大河ドラマの舞台 今回の史跡探訪は
鎌倉の二大勢力のひとつ比企一族
その終焉の地となった 妙本寺
(ここは、かつて比企氏の屋敷があった場所
です。鎌倉駅から歩いて数分という近い場所にある妙本寺は祇園山ハイキング コースに通じる谷戸の奥深くにあるために、鎌倉市中心部とは思えないほどの森に囲まれた静かで落ち着いたお寺です。ノウゼンカズラと海棠の名所として有名な寺院なので、早朝から三脚をセットしたカメラマンたちが場所取りをしています。桜も見事ですが、私は本堂傍にある海棠(カイドウ)に魅力を感じていて、桜の後に咲くふっくらと可愛らしい花を見るために何度か足を運んだ事があります。その他にも鐘つき堂の斜面を覆い尽くすシャガなどが、この寺ならではの雰囲気を演出している私のお気に入りスポットのひとつです。
今回、ここが比企一族の終焉の地だった事を知り、久しぶりに訪れてみました。
鎌倉の二大勢力でありライバルだった北条と比企、ここがその戦場だったとは全く知りませんでした。今までの認識では、戦場になったのは天然の要塞と言われた鎌倉の出入口付近、切り通しで多くの血が流されたというイメージでした。ところが市内でも御家人同志が醜い権力争いを繰り広げていたんですね。
私にとって今回の大河ドラマ歴史探索は、地元の歴史を知る良いきっかけになっていますが、四季の花に囲まれた古都鎌倉とはかけ離れた、人間の醜い一面を見せつけられる史跡巡りになっています。
妙本寺境内には比企氏一族の墓や、源頼家の妻若狭の局が自害した蛇苦止堂(じゃくしどう)などがありました。


