大河ドラマ 地元の史跡めぐり
鎌倉殿の愛されキャラ 和田義盛
今回は 彼をしのんで和田塚へ
鎌倉から江ノ電に乗ると最初の駅が和田塚駅です。何度か利用した事がある駅なので良く知っていますが、今回の歴史探索のおかげで駅名の由来を初めて知りました。
今までは、昔ここにあった古墳にちなんだ駅名だと思っていましたが、ここは鎌倉市内最大の市街戦があった古戦場であり、和田一族の墓が作られた場所だったんですね。
その戦いは御家人同士が市街戦を繰り広げ、誰が敵か味方か分からないという状況でしたが、一族の三浦義村の裏切りによって敗れた義盛は敗死。67歳でした。共に自害した一族は250余人ともいわれています。
明冶25年、新道を開く為にこの塚の一部を掘ったところ数百体の白骨が出たといわれています。中には刀を握ったままの骨も発見されたそうです。
戦のない世の中を作るための戦。人類は平和を求めながら今も戦争をしています。そんな事を考えながら和田塚で一族の冥福を祈ったあと、由比ヶ浜へ足を向けました。
鎌倉海浜公園の広い芝生の向こうには広く輝く海と、大島や伊豆半島の山々が目に飛び込んできました。そこには秋晴れの平和な景色が広がっていました。


逗子市沼間に「桐ケ谷歴史庭園」というのがあるのを知りました。まだ見に行ってはいません。
源頼朝の父、義朝が邸を構えた「沼浜亭」(沼浜城)跡にある屋敷をもつ桐ケ谷さんという人が古い家を解体して資料館を作ったそうです。わきの田越川を飛び交うカワセミから名を取って「かわせみの家」として公開しているそうです。
歴史資料館とバラ園があるそうで、30畳ほどの展示室には古民家から出てきた道具や書物、庭にはローズガーデンのバラのほかに竹林、桜、梅・・・などが。裏山には横穴古墳があるそうです。
★逗子市沼間2-23-24(東逗子駅から徒歩9分)