>> 48
読むの嫌いで書くの好きは誰からも珍しがられるよ。実は幼稚園では読むのも大好きだったのに小学校入って読書感想文の宿題で一気に嫌いになった。
師匠いわく手塚治虫が言ってたそうだ。「子供を漫画嫌いにする方法は簡単だ。授業で教えて感想文を書かせればいい」。
私が書き手だったことはナチュラルは知ってるから喧嘩板のどこかで言ったはずだと思う。もっとも、プロデビューと引退(本業と両立できず)がほぼ同時なんで実績なんてほとんど残してない。実力的には素人以上プロ未満の微妙なとこだと思う。
そうそうファンタジーってもともとご都合なんだから作品内で辻褄が合ってりゃいいのであって、リアルとの整合性を気にしすぎるとつまらなくなる。また手塚治虫の話出すけどブラック・ジャックも「そんなので治るはずがない」って医者からかなりクレームがあったらしい。本人は「いやこれは漫画ですので」って答えてたらしいよ。
文化的価値ないのかなあ。そりゃ源氏物語になれるかって言われると難しいかもしれんが…。
けど中国史で言えば宋代まではフィクションなんてサブカルチャーでまともな文化人は手を出さなかったらしい。それが元になって戯曲が書かれるようになって明くらいに小説か。三国志演義だって羅貫中の作と言われてるけど羅貫中なる人物がよくわからなくて、サブカルに手を染めると評判落とすからって複数の人間が1つのペンネームでこっそり書いた説まであるらしい。
アニメというサブカルがサブカルのまま終わるか、文化として評価されるかは分からないと思う。アニメーションという表現手法自体が20世紀に開発されたばかりだからサブカル扱いされるだけかもしれない。まあ、そこは今後の作家次第か。
「ONE~輝く世界へ~」は日向が生まれる前だからさすがにやってないか。
クラナドの一ノ瀬ことみの話は多元宇宙論につなげる話じゃないかと思う。この世界はより高次元世界の中にあってそこには無数の宇宙が存在する。私もよく知らんけど今の宇宙物理学では宇宙は無限に存在してて観測できないけど相互に干渉はあるんだとか。「終わってしまった世界」とか、渚の死んだ世界から渚の生き延びた世界への移行?の根拠になってるみたいだ。
そうだよなーだから私はPC中心の世界からスマホ中心の世界に移行できないんだ。私のスマホ嫌いの理由はPCなら危なっかしいと思えば簡単にオフラインにできるけどスマホはWi-Fi切ってもデータ通信しちゃうってのがあるんだけどね。それも半分は言い訳だけど。
アニメは見るだけだからいいけどゲームは操作方法を覚えて攻略法をみつけないといけない。それが面倒臭くなってきたってのはあるね。老化だなって自覚はある。
ハピシュガも見てたか。話自体は単純で見やすかったけど異常者が多すぎる。私もまぁまぁって言ったように特別深い何かを感じるわけじゃないけどそこそこ楽しめた。