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「第二次ソフィスト」の研究 / 3

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American_Crusoe 2025/07/14 (月) 12:29:10

まずはウィキペディアにある基本情報を引いておきましょう。
 

「第二次ソフィスト(だいにじソフィスト)は、ローマ帝国期のギリシア語圏で活動した知識人集団。第二次ソフィスト思潮、第二次ソフィスト運動、第二ソフィスト時代、第二のソフィスト術(英: Second Sophistic, 独: Zweite Sophistik)などともいう。

明確な範囲は決まっていないが、主にピロストラトス『ソフィスト列伝』に挙げられるところの、アッティカ方言を駆使する、1世紀から3世紀の弁論家を中核とする。古典期ギリシアの本来の「ソフィスト」と異なり、蔑称の意味合いは薄く、哲学者を兼ねる人物も含まれる。

主な人物に、ディオン・クリュソストモス、パボリノス、ヘロデス・アッティコス、アエリウス・アリステイデス、ラオディケイア(またはスミュルナ)のポレモン、アプレイウス、ピロストラトス、リバニオスらがいる。ルキアノスは第二次ソフィストに属しながら、『弁論教師』『レクシパネス』などで第二次ソフィストを風刺した。アテナイオスの『食卓の賢人たち』も第二次ソフィスト時代を背景に書かれた。

当時の背景として、ネロやハドリアヌス、プルタルコスらも関与したローマ帝国期のギリシア文化復興運動(ギリシア・ルネサンス)があった。出身地は様々だが、活動地はアテナイ、スミュルナ、エフェソスの三都市が主だった。皇帝やローマ人エリートと交流し、政治に影響を与える者もいた。

第二次ソフィストの弁論は、古典期のような法廷弁論・議会弁論よりも、ショーとしての模擬弁論(デクラマティオ)が主流だった。弁論の文体は、「アッティカ主義」すなわちアッティカ方言の擬古的で簡潔典雅な文体と、「アジア主義」すなわちヘレニズム期小アジア風の装飾過多な文体が、対立しつつ混在していた。

ホメロスの改変作品を著すことも多かった(ディオン・クリュソストモス『トロイア陥落せず』、ピロストラトス『へロイコス』など)。

近現代の西洋古典学では、1876年ドイツのエルヴィン・ローデによって初めて取り上げられ、1960年代末アメリカのグレン・バワーソックによって主題的な研究対象とみなされ始め、2000年代頃から欧米で積極的に研究されるようになった。」

引用終わり。

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