American_Crusoe
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2025/07/14 (月) 12:47:19
ここで言われている「ショーとしての模擬弁論(デクラマティオ)」が、先ほど私が「演示弁論」と呼んだものです。ただ、この二つの呼び名が意味するところが完全に一致するのかどうかは、今のところ不明です。「演示弁論」という呼び方は、浅野楢秀氏の『論証のレトリック』に出てきますが、この本はアリストテレスの『弁論術』をわかりやすくしてくれた本で、岩波文庫のアリストテレス『弁論術』では、「演説的(演示的)なもの」と翻訳されています。最近の選挙をみると、「演説」もまた「ショー」だというのは納得できますが、昭和的な感性でいえば、真面目な「演説」と遊戯的な「ショー」は全く別のものです。従って、同じ「演示弁論」でも、古典期ギリシアでは真面目な演説的性格の強かった「演示弁論」が、第二次ソフィストの時期には、遊戯的な「ショー」の性格を強めていったと考えることもできます。ただし、古典期ギリシアの第一次ソフィストも、ずいぶんふざけた「遊戯的弁論」を多く行っていたようです。
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