H.O.P.E.

「第二次ソフィスト」の研究 / 41

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American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:28:56

「ここでまず思い起こされてよいのは、イソクラテスにおける「哲学」φιλοσοφία という語の用いられ方であろう。よく知られるように、彼は自らの弁論術的な営みにこの名称を用いているが、そこでの「哲学」とは、しかし、抽象的な思弁を斥けた、国家の政治に関わる市民としての現実的な姿勢を指すものだった。「 厳 密 な 知 識 」 ἐπιστήμη よりもむしろ「健全な常識」δόξα が強調されていることからも明らかなとおり、そこでははっきりとプラトンとは異なる、おそらくはライバルを強く意識しての「哲学」観が示されていた。こうしたもう一つの「哲学」は、しかしプラトン—アリストテレスら「主流派」の優位によって圧倒され、消滅した、というのが「哲学史」の常識であるのかも知れない。けれども、帝政期の修辞学文献に見られるφιλοσοφία の用例には、狭義の「哲学」には収まりきらない意味の広がりが、少なからず見受けられるのも事実である。」

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