とりあえず操作とか流れに慣れてきたから簡単な物語を作ったりしながらいつものようにスクショ上げる形式でのんびりゲームしていくよ。
今作の仕様で基本的に史実武将独立ifみたいなのは自分でできないことに一応なってるんだけど、その史実武将の血縁の新武将(苗字は史実武将と同じ)を作ってシナリオ開始、開始後のゲーム内設定で武将の移動をして、その新武将から家督を譲り新武将を追い出したり寿命までこき使えば模擬的に史実武将でやれるからそれを使ったストーリーも作っていきたい。
※この武将のifやってほしい的なのがあったらどうぞ!
あとは〜、私たちHOPEのメンバーの新武将作って天下統一目指すとかw
難易度はすべて超初級寄りのカスタム。
といっても災害だけ多め。
チュートリアルはなし。
寿命やら武将名やらは史実(史実の討死系は70歳くらいまで生きるらしい)
架空姫あり。姫武将モード。
合戦参戦範囲は広い設定に。
私の名前の新武将作っていいよーオビディの家臣として使ってくれ。
私の名前の由来は海軍の南雲忠一とは無関係だけど、下の名前をつける時はそれにちなんで南雲宙二という設定(宙なのは子供の頃に宇宙好きだったから。別に中二病ではない)。
傾向はどう考えても武力がないから内政型ね。その他詳細は適当に!
>> 1
おけおけ!
詳細に決めちゃってもいいけどね!
今回の信長の野望のバロメーターは統率・武勇・知略・政務の4種類だから。
明智の野望
時は1434年6月。
当時の明智家当主だった明智光継の夢枕に謎の人物が立った。
「私は明智を導く者……私とともに天下統一を目指さん」
彼はそのまま暗闇へと進んでいく。
光継は訳が分からなかったが、とにかく見失わないように必死に彼についていった。
その朝。
光継は目覚めると、なんと土岐家から独立しているのだった。
というわけでパート1は明智の野望です。
1434年6月信長誕生シナリオで、明智が独立していたら?という感じのストーリーにしてみた。
ここから、明智を導く者という明智家一門の新武将勢力を作って……
こんな感じに作ってみた。
なお明智を導く者は追放という()
とりあえずまだ登場してない明智光秀や秀満はともかく、斎藤利三あたりは登場したら家臣に組み込みたさがある。
とりあえず今土岐氏に攻められたら終わりなので、織田と同盟を結ぶ予定。
東美濃の岩村城も攻めて取っておこうかな。
いずれ武田と接敵するから武田との同盟も必要かもしれない。
献言させるとみんな三木家を攻めろという……。
1537年正月。
光継、病気にかかる。
まあ64歳だし仕方なさもあるけど。
翌1538年正月。藤田伝五昇進。
1538年2月。光継、死去。
試験的にやってみたけど更新が早すぎて連投みたいになっちゃうな。
ゲーム内の1ヶ月か1年をこっちの1日としてプレイするか?
>> 12
明智光継「我が命をもってしても天下には届かなんだか……」
この支配領域で言えるセリフかよ(死ぬ時の決まり文句なんだろうけど)
>> 13
い、一応天下統一を目指してるから……(震え声)
ってふと思ったけど、規模的に美濃国統一でちょうどいいかもしれない。
このゲームこそ配信向きだな。
マイクラみたく定期的な更新に向いてないことに気づいた。
信長の野望の愚痴というか要望。
丹波赤井家が大名家として使えるようになったのはいいんだけど、登場人物が赤井時家とその息子家清と直正兄弟、そして庶流で直正の養父になった荻野秋清だけなの少なすぎない?
まあ創造の時と比べればだいぶありがたい(時家と直正だけだった)けど、せめて家清の息子の忠家くらいは欲しかったな……(小声)
直正の解説のところに、「兄・家清の戦死後は若年の甥・忠家を後見した」って書いてあるんだから再現してほしかった。
欲を言えば家清の孫や直正の息子も欲しかったよ!!!
てか兄・家清は1557年に戦傷が治らず死亡、弟・直正も1574年に病死するんだし跡継ぎいていいじゃん(なお父・時家は1581年まで生きる模様)
次作では忠家登場に期待してるよ……。(その忠家ですら1605年に死んでるけど)
ちなみに創造の時は波多野家が丹波の独立大名で、赤井家はその家臣だった。
今回波多野家が独立するのはだいぶ後のシナリオで、信長誕生シナリオでは細川管領家の家臣になってる。
しかもなぜか創造の時には生きていて大名だった波多野稙通が今作ではシナリオ開始時の4年前、1530年に死んでるという。
まあ波多野家は細川晴元の家臣だから創造の時がおかしかったんだけどね。
もう一回、信長の野望の実況プレイを文字でやってみようかなぁ。
上手くやれたらいいけど。
能登畠山氏の野望
能登畠山氏は第3代将軍、足利義満にキレられて蟄居させられた兄に変わって畠山氏当主となるも、義満の死後、弟であることを理由に兄に家督と守護職を返した畠山満慶を初代とする。
返してもらった兄はそのお礼に分国の一つ、能登をくれたのだ。
応仁の乱後は在国大名となったことから、下剋上こそ起こらなかったが、4代当主畠山義元の頃、弟との兄弟争いが起きたことで義元は追放され、能登は荒れることになったが、加賀一向一揆の勢いが能登にも来たことで両者は和解。
義元は当主に返り咲いたものの、弟の子である義総を次の当主にすることを約束させられた。
そうやって家を継いだ義総は名君であり、自らの新しい居城──七尾城──には、京の都から文人たちが移住し、小京都とも呼ばれていた。
しかし、畠山の守護国は既に河内と紀伊の一部であり、越中国は守護代である神保家が跋扈していた。
義総は再び畠山氏の栄光を取り戻すこと、そして何より戦国の世を生き残ることを城内の一室で静かに誓った。
時は1534年6月。畠山義総の戦いが始まった。
パート2は、天下統一を目指すのではなくて、畠山氏の守護分国(越中国・河内国・紀伊国)を支配すること、そして加賀一向一揆の鎮圧が目標。
分国のうち、宗家である河内畠山氏が持っている場合はそのまま。
滅亡したら旧領支配復活を目指す、という感じ。
とりあえず、能登・越中・加賀三国を支配するのが第一目標かな。
更新頻度は死亡・誕生・部将登用・戦争くらいかな。
現在の家臣団(1534年6月分)