⚪︎ストーリーにおけるタイムダイレーションについて
23-5のタイムダイレーションの下りが分かりづらかったので整理する。論文とかは見てないし、ネットの情報とか妄想とか入ってるのであしからず。
0.前提条件
23-5において、起こってることを整理する。
・マヤのいる館(以下館と呼称)とヴィータのいるarcaea(以下arcaeaと呼称)の2つの空間がある。
・この二つの空間は別の次元、又は時空に存在する(ストーリー内で明確に次元時空が違う描写はないが、arcaeaとか館の空間が不安定なのは事実なのでこういう設定にしておく)。
・マヤとヴィータは、精神的な繋がりによって会話できる。
・ただ、空間の時間の流れが違う。
1.タイムダイレーション(時間の遅れ)とは
タイムダイレーションとは、「ある場所では時間がゆっくり進み、別の場所では早く進む」という現象。この現象は、物理学的には相対性理論で説明される。
例えば、地球上にいるA君と、高速で進む宇宙船にいるB君とでは、宇宙船内にいるB君の時間が遅く進む、ということが起こる。A君から見ればB君は若返ったように見えるし、B君はから見ればA君は急速に年をとったように見える。
ただストーリー内では、館とarcaeaが物理的な距離によってタイムダイレーションが起こったとは考えにくい。そしてarcaeaと館は次元的に異なる空間に存在しているので、物理的な距離によるタイムダイレーションではなく、それぞれの空間の「時間の進み方」が根本的に違うと考察する(マヤもタイムダイレーションの感覚に"近かった"って言ってるしね)。
2.時間の流れが違うということについて
ストーリー内では、「館の1時間がarcaeaの1日になる」とある。つまり、マヤが1時間過ごしている間に、ヴィータは1日過ごしているということ。
3.arcaeaの時系列に一貫性がないということについて
普通のタイムダイレーションでは、一定の比率で時間の進み方が違うだけだが、ストーリー内では「館の1時間がarcaeaの1日になる日もあれば、1分が1時間だったりする。」とあるため、マヤも言ってる通り、arcaeaの時系列には一貫性がないということになる。つまり、
・館の1時間=arcaeaの1日
・館の1分=arcaeaの1時間
・館の1分=arcaeaの1秒
というように、普通のタイムダイレーションとは違い、比率がコロコロ変わる。
その結果、arcaea側では時間の因果関係がぐちゃぐちゃになっているように感じる(館から見ると「arcaeaでの過去」「arcaeaでの未来」が混在しているような状態)。
(ここではarcaeaの方が時系列に一貫性がないとして書いているが、ストーリーの解釈によっては、館の方の時系列に一貫性がないようにもとれる。)
4.会話によって時間は引き延ばされないという点
タイムダイレーションが起こっているなら、例えば館の1秒がarcaeaの1時間なら、ヴィータがマヤの返事をするのにマヤから見てとても長い時間を要することになる。
しかし、マヤはストーリー内で「私たちの声が繋がる時、会話が時間によって引き伸ばされることはない」と言っている。
おそらく、精神的な繋がりの中では時間の影響を受けない、みたいなことが起こってる。現実の時間とは別の「心の次元」的なものを通して話していると考えると分かりやすい。
元はヴィータという1人の人間で、そこから抜け落ちた記憶がマヤという人間を形取ったなら、2人には特別な精神回路が存在していても違和感はない。
5.まとめ
①館とarcaeaでは根本的な時間の流れが違う。
②arcaeaでは時間の流れが一定ではなく、館から見て時間が飛んだり、巻き戻ったりする。
③精神的な繋がりによって、マヤとヴィータは時間の影響を受けずに会話できる。
以上。
書いてて思ったのが、マヤが時間的な矛盾を感じているのと、今回のストーリーの時系列が意味わからなすぎて頭パンクしてる状況が、結構似てるなぁと。