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つまり、
・客体だけが単独で成立しているのでもなければ、
・主体だけが単独で成立しているのでもない。
主体も空、客体も空。
その空なる主体と客体が関係し合うところに、
さらに縁起の世界が開いてくる。
だからこそ、ここで重要になるのが、
「能觀所觀性皆寂滅。」
という次の一句です。
ここを、
「見る側も見られる側も消滅して、何もなくなる」
と読んでしまうと灰身滅智へと向かいます。
寂滅するのは、能観・所観そのものではなく、そこに立てていた「性」です。
つまり、
・見る側である主体にも自性はない。
・見られる側である客体にも自性はない。
ここで、三蔵教と通教を代表する二つの縁起が見えてきます。
・見られる側「客体」→ 此縁性縁起(三蔵教)
・見る側「主体」→ 相依性縁起(通教)
主客を消滅させて、
・主体もない
・客体もない
という話ではないんです。
空である主体と、空である客体との関係を縁起として観る。
それが体空なのですが、
智顗はそれを
「如此空慧體諸見思即幻而真。」
と説いています。
ここに出てくる「即幻而真」という言葉ですが、
何を意味しているのかと言いますと、
人間が「主観」と「客観」として捉えているもの
その主観も客観も、どちらも幻なのです。
主観と客観に付着している「自性」を空じていくことで
「このモノが、このモノとなり得たのは何によってなのか?」
というところに意識が向いてきます。
つまり、
そのモノがそのモノとなり得た因果・縁起が体空として起こってきます。
これが、「即幻而真」の意味するところです。
幻だから何もないのではありません。
主観も客観も空(縁起)だからこそ、
その成立を支えている縁起が体空として起こるんです。