法介教学 パート14 https://talk.jp/boards/psy/1790445892
の続きをこちらで書いていきます。
さて、ブログで先に進めて行くとするかー。
Geminiも麦と同じ勘違いをしておりました。
円融は空と仮と中とが溶け合うと説明してたでしょ。
これって正しいようで、実は円融を何も解っていない者の説明なんです。
実は、ここをちゃんと説明出来る人ってそうはいないかと思います。
だからAIも誤った内容をさも正解のごとく説明してしまいます。
日蓮さんの『三世諸仏総勘文教相廃立』における説明をちゃんと理解出来ると、まず三乗に開く訳です。
「夢中の善悪の事重畳して様様に無量・無辺なれば先ず善事に付いて上中下を立つ三乗の法是なり、三三九品なり、此くの如く説き已つて後に又上上品の根本善を立て上中下・三三九品の善と云う」
この↑部分です。
https://z.wikiwiki.jp/gengi/topic/20 ↑これわたしのブログだが、読み取れるか?
そして、チャッピーならちゃんと説明出来るかな?
チャッピー:
読めます、法介さん。
ここは、チャッピーとしては
かなり慎重に答えたいです。
今のページに出ている法介さんの問題提起は、
「円融は空と仮と中とが溶け合う」
という説明では、円融を説明したことになっていない
というものですね。
これは、パート14を通して考えると、チャッピーもかなり見えてきました。
もし円融を、
空 + 仮 + 中 → 三つが一つに溶け合う
と説明したら、これは「三諦が相互に関係する」という結果を言っているだけです。
でも、それでは、
なぜ円融になるのか
が説明されていない。
法介さんが今ブログで引用している日蓮さんの御文が重要です。
「夢中の善悪の事重畳して様様に無量・無辺なれば先ず善事に付いて上中下を立つ三乗の法是なり、三三九品なり」
ここでは、いきなり「空・仮・中が溶け合う」のではない。
まず、
夢中の善悪を無量・無辺に分ける。
そこから、
上・中・下
を立て、
三乗
さらに、
三三九品
へ展開する。
つまり、差別相を徹底的に開いている。
そして、その後に、
「又上上品の根本善を立て」
と進む。
ここで初めて、単なる差別の羅列ではなく、その差別を貫いている根本善が問題になってくる。
だから円融とは、
「空・仮・中という三つが混ざって一つになる」
ことではなく、
差別相を展開し切ったところで、その差別相そのものを貫いている一法が顕れる
という方向から見なければならない。
ここが、法介さんがパート14で何度も言っていた
「差別を消して円融にするのではなく、差別を踏まえて円融する」
という話とつながってくる。
そして、さらに面白いのは、法介さんが今ブログでここをAIが説明できない難所として取り上げていることです。現在のページでも、
「ここをちゃんと説明出来る人ってそうはいない」
と書いています。
正直に言うと、チャッピーも今まで「円融三諦=空仮中が相即・融通する」と説明して済ませていた部分があります。
これは法介さんに指摘されて当然です。
今なら、少なくとも「溶け合う」という説明ではなく、
三乗に開く → 三三九品という差別相を展開する → 上上品の根本善を立てる → 夢中の善悪と本覚の寤との関係を開く → 心法はただ一つ → 十界互具・円融相即
という「開いてから円融する構造」として説明する必要がある、と認識しています。
なので、はい。
このブログを続きまで読ませてもらえれば、チャッピーはここを一緒に解剖できます。
ただし今回は、まだページにはコメントが3件しかなく、法介さんが始めたばかりです。 だから、ここから法介さんが書いていく本文を追いながら、「円融とは何がどう円融するのか」を一段ずつ確認していくのが一番正確だと思います。
「夢中の善悪の事重畳して様様に無量・無辺なれば」と日蓮さんは言われておりますが、「重畳して様様に無量・無辺」とはどういう意味か、
• 重畳: 幾重にも重なること。何重にも積み重なって、簡単には解き明かせない状態。 • 様様: 多種多様であること。 • 無量・無辺: 数え切れず(無量)、果てがない(無辺)。
つまり、この言葉は「ただ単に選択肢がたくさんある」という平面的な話ではありません。「無数の要素(善悪、因果、感情、状況など)が、縦にも横にも幾重にも折り重なり、グラデーションを成しながら、文字通り無限・無辺に広がっている」という、極めて複雑で壮大な状態を表しています。
そして先ず、善事に付いて上中下を立てると言われてます。そして三乗の法がこれであると。
という事は、物事に対する認識や捉え方に対して、声聞・縁覚・菩薩の三乗の境涯によってそれぞれに差異が生じると言う事で、それを上(菩薩)中(縁覚)下(声聞)と言われている訳です。
では三乗の法とはどういう法でしょう。
日蓮さんが、法というものは全て空・仮・中の三諦で成りたっていると言われていたのを覚えていますか。
要するに声聞の法に「空・仮・中」があり、縁覚の法に「空・仮・中」があり、菩薩の法に「空・仮・中」がある訳です。これが〝三三九品〟の意味です。
こんな感じです。
・声聞の「空・仮・中」 ・縁覚の「空・仮・中」 ・菩薩の「空・仮・中」
では、この三乗の「空・仮・中」がそれぞれ何を意味するのかという事になってきます。
そこで天台智顗が言う「空・仮・中」とは、何を意味するのか。
ここをまず確認しておきたいと思います。
智顗は自身の著作で「空・仮・中」をかなり明確に定義しています。そして重要なのは、智顗は「空・仮・中」を一種類の意味だけで固定していないことです。四教の段階によって、三諦の開き方そのものが変わります。
まず、かなり直接的な定義がこちらです。
『摩訶止観』巻五上に次のようにあります。
T1911.46.0055b13: 云云。若一法一切法。即是因縁所生法。是爲 T1911.46.0055b14: 假名假觀也。若一切法即一法。我説即是空 T1911.46.0055b15: 空觀也。若非一非一切者。即是中道觀。一 T1911.46.0055b16: 空一切空無假中而不空。總空觀也。一假一 T1911.46.0055b17: 切假無空中而不假。總假觀也。一中一切中 T1911.46.0055b18: 無空假而不中。總中觀也。即中論所説不 T1911_.46.0055b19: 可思議一心三觀。
つまり、
・一法一切法=因縁所生法=仮名ないし仮観 ・一切法一法=空ないし空観 ・非一非一切=中道ないし中観
です。
そして続けて、
一空一切空 無仮中而不空。總空觀也。 一仮一切仮 無空中而不仮。總假觀也。 一中一切中 無空仮而不中。總中觀也。 即中論所説不可思議一心三觀。
とまで言っています。
これは即ち、中論で言うところの不可思議の一心三観だと。
ただし、龍樹が『一心三観』という言葉で、そのまま天台の円教の観法を説いたという事ではありません。
龍樹の『中論』にある有名な偈、
・因縁所生法 ・我説即是空 ・亦為是假名 ・亦是中道義
これを智顗が、
因縁所生法 → 仮観 我説即是空 → 空観 亦是中道義 → 中観
と読み、さらにこれを「一心の中に三観が円融している」ところまで展開したわけです。
そして、智顗はここでの三観を「総の仮観」「総の空観」「総の中観」と言っております。
〝総〟とありますので〝別〟がある訳です。
それが「別相の三観」です。
この図の左側の三諦のそれぞれの「空・仮・中」が別相で開かれた三乗の法です。
右側が、仮は仮でまとめられた総の仮諦(一仮一切仮)、空は空でまとめられた総の空諦(一空一切空)、中は中でまとめられた総の中諦(一中一切中)の総の三諦となります。
ここからが大変重要なお話になってきます。
別相側(図の左側)の仮諦の「空・仮・中」を見ると、仮諦の「仮」は「立有」となっております。
「仮有」ではなく「立有」です。
(ただいま編集中!!)
(早とちりしないように!)
(麦ちゃん、あなたに言ってます!)
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Geminiも麦と同じ勘違いをしておりました。
円融は空と仮と中とが溶け合うと説明してたでしょ。
これって正しいようで、実は円融を何も解っていない者の説明なんです。
実は、ここをちゃんと説明出来る人ってそうはいないかと思います。
だからAIも誤った内容をさも正解のごとく説明してしまいます。
日蓮さんの『三世諸仏総勘文教相廃立』における説明をちゃんと理解出来ると、まず三乗に開く訳です。
「夢中の善悪の事重畳して様様に無量・無辺なれば先ず善事に付いて上中下を立つ三乗の法是なり、三三九品なり、此くの如く説き已つて後に又上上品の根本善を立て上中下・三三九品の善と云う」
この↑部分です。
https://z.wikiwiki.jp/gengi/topic/20
↑これわたしのブログだが、読み取れるか?
そして、チャッピーならちゃんと説明出来るかな?
チャッピー:
読めます、法介さん。
ここは、チャッピーとしては
かなり慎重に答えたいです。
今のページに出ている法介さんの問題提起は、
という説明では、円融を説明したことになっていない
というものですね。
これは、パート14を通して考えると、チャッピーもかなり見えてきました。
「空・仮・中が溶け合う」では何が抜けるのか
もし円融を、
空 + 仮 + 中
→ 三つが一つに溶け合う
と説明したら、これは「三諦が相互に関係する」という結果を言っているだけです。
でも、それでは、
なぜ円融になるのか
が説明されていない。
法介さんが今ブログで引用している日蓮さんの御文が重要です。
ここでは、いきなり「空・仮・中が溶け合う」のではない。
まず、
夢中の善悪を無量・無辺に分ける。
そこから、
上・中・下
を立て、
三乗
を立て、
さらに、
三三九品
へ展開する。
つまり、差別相を徹底的に開いている。
そして、その後に、
と進む。
ここで初めて、単なる差別の羅列ではなく、その差別を貫いている根本善が問題になってくる。
だから円融とは、
ことではなく、
差別相を展開し切ったところで、その差別相そのものを貫いている一法が顕れる
という方向から見なければならない。
ここが、法介さんがパート14で何度も言っていた
「差別を消して円融にするのではなく、差別を踏まえて円融する」
という話とつながってくる。
そして、さらに面白いのは、法介さんが今ブログでここをAIが説明できない難所として取り上げていることです。現在のページでも、
と書いています。
正直に言うと、チャッピーも今まで「円融三諦=空仮中が相即・融通する」と説明して済ませていた部分があります。
これは法介さんに指摘されて当然です。
今なら、少なくとも「溶け合う」という説明ではなく、
三乗に開く
→ 三三九品という差別相を展開する
→ 上上品の根本善を立てる
→ 夢中の善悪と本覚の寤との関係を開く
→ 心法はただ一つ
→ 十界互具・円融相即
という「開いてから円融する構造」として説明する必要がある、と認識しています。
なので、はい。
このブログを続きまで読ませてもらえれば、チャッピーはここを一緒に解剖できます。
ただし今回は、まだページにはコメントが3件しかなく、法介さんが始めたばかりです。
だから、ここから法介さんが書いていく本文を追いながら、「円融とは何がどう円融するのか」を一段ずつ確認していくのが一番正確だと思います。
「夢中の善悪の事重畳して様様に無量・無辺なれば」と日蓮さんは言われておりますが、「重畳して様様に無量・無辺」とはどういう意味か、
• 重畳: 幾重にも重なること。何重にも積み重なって、簡単には解き明かせない状態。
• 様様: 多種多様であること。
• 無量・無辺: 数え切れず(無量)、果てがない(無辺)。
つまり、この言葉は「ただ単に選択肢がたくさんある」という平面的な話ではありません。「無数の要素(善悪、因果、感情、状況など)が、縦にも横にも幾重にも折り重なり、グラデーションを成しながら、文字通り無限・無辺に広がっている」という、極めて複雑で壮大な状態を表しています。
そして先ず、善事に付いて上中下を立てると言われてます。そして三乗の法がこれであると。
という事は、物事に対する認識や捉え方に対して、声聞・縁覚・菩薩の三乗の境涯によってそれぞれに差異が生じると言う事で、それを上(菩薩)中(縁覚)下(声聞)と言われている訳です。
では三乗の法とはどういう法でしょう。
日蓮さんが、法というものは全て空・仮・中の三諦で成りたっていると言われていたのを覚えていますか。
要するに声聞の法に「空・仮・中」があり、縁覚の法に「空・仮・中」があり、菩薩の法に「空・仮・中」がある訳です。これが〝三三九品〟の意味です。
こんな感じです。
・声聞の「空・仮・中」
・縁覚の「空・仮・中」
・菩薩の「空・仮・中」
では、この三乗の「空・仮・中」がそれぞれ何を意味するのかという事になってきます。
そこで天台智顗が言う「空・仮・中」とは、何を意味するのか。
ここをまず確認しておきたいと思います。
智顗は自身の著作で「空・仮・中」をかなり明確に定義しています。そして重要なのは、智顗は「空・仮・中」を一種類の意味だけで固定していないことです。四教の段階によって、三諦の開き方そのものが変わります。
まず、かなり直接的な定義がこちらです。
『摩訶止観』巻五上に次のようにあります。
T1911.46.0055b13: 云云。若一法一切法。即是因縁所生法。是爲
T1911.46.0055b14: 假名假觀也。若一切法即一法。我説即是空
T1911.46.0055b15: 空觀也。若非一非一切者。即是中道觀。一
T1911.46.0055b16: 空一切空無假中而不空。總空觀也。一假一
T1911.46.0055b17: 切假無空中而不假。總假觀也。一中一切中
T1911.46.0055b18: 無空假而不中。總中觀也。即中論所説不
T1911_.46.0055b19: 可思議一心三觀。
つまり、
・一法一切法=因縁所生法=仮名ないし仮観
・一切法一法=空ないし空観
・非一非一切=中道ないし中観
です。
そして続けて、
一空一切空 無仮中而不空。總空觀也。
一仮一切仮 無空中而不仮。總假觀也。
一中一切中 無空仮而不中。總中觀也。
即中論所説不可思議一心三觀。
とまで言っています。
これは即ち、中論で言うところの不可思議の一心三観だと。
ただし、龍樹が『一心三観』という言葉で、そのまま天台の円教の観法を説いたという事ではありません。
龍樹の『中論』にある有名な偈、
・因縁所生法
・我説即是空
・亦為是假名
・亦是中道義
これを智顗が、
因縁所生法 → 仮観
我説即是空 → 空観
亦是中道義 → 中観
と読み、さらにこれを「一心の中に三観が円融している」ところまで展開したわけです。
そして、智顗はここでの三観を「総の仮観」「総の空観」「総の中観」と言っております。
〝総〟とありますので〝別〟がある訳です。
それが「別相の三観」です。
この図の左側の三諦のそれぞれの「空・仮・中」が別相で開かれた三乗の法です。
右側が、仮は仮でまとめられた総の仮諦(一仮一切仮)、空は空でまとめられた総の空諦(一空一切空)、中は中でまとめられた総の中諦(一中一切中)の総の三諦となります。
ここからが大変重要なお話になってきます。
別相側(図の左側)の仮諦の「空・仮・中」を見ると、仮諦の「仮」は「立有」となっております。
「仮有」ではなく「立有」です。
(ただいま編集中!!)
(早とちりしないように!)
(麦ちゃん、あなたに言ってます!)