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では、その次に置かれている
空=泯空
とは、何を意味しているのでしょうか。
「泯」という字には、
・ほろびる
・つきる
・くらい
・しずむ
などの意味があります。
ということは、ここでいう「泯空」とは、空がまだ十分に機能していない状態を表しているのではないでしょうか。
実際、仏教史において「空」が本格的に展開されるのは、三蔵教ではなく通教の段階です。
龍樹が『般若経典』をひも解き、大乗仏教の中で「空」を徹底して展開していきます。
それ以前の三蔵教では、空はまだ暗く沈んだ〝泯〟の状態にある。
では、三蔵教では「空」をどのように説いているのでしょう。
『維摩経玄疏』では、三蔵教の空門を、
「三藏教明折正因縁假實法生滅入空」
と説いています。
つまり、
正因縁によって生滅する仮・実の法を析して、空に入る。
ということです。
三蔵教では、まず「因縁によって生滅する法」を有として立てる。
これが、
仮=立有
です。
そして、その「有」として立てられた法を析していく。
具体的に言えば、『倶舎論』でこの「有」を徹底的に解体していくわけです。
因縁によって生じ、因縁によって滅する法として分析し、その「有」を析して空に入る。
これが三蔵教の析空観です。
分かりやすく言えば、
・煩悩が有る状態 → 煩悩が無い状態
・自我が有る状態 → 自我が無い状態
というように、「有」と「無」の状態として空を捉えている。
つまり、
有るものを析して、無いところへ入る。
これが三蔵教の空です。
だからこそ、ここでは、
空=泯空
となる訳です。