南ヨーシャー市を中心とした資本主義体制の南部のダンユ地域に対し、ソ連に与する北部のヴァカチクビンスク人民共和国より進軍してきた共産勢力が激突したとされる、エーヴィ=ダンユ内紛をモチーフにしたマップです。
丘陵・森林・平地がバランスよく配置されたこの一帯では、各国の戦車にもれなく活躍できるチャンスが少なからず存在する事でしょう。
ヴァカチクビンスクは、キメテンダル・C(クレヨーゼフ)・タクヤンの率いる過激派武装集団『ウリクルィ』が、国内の反体制派や共産主義者達と共に、ソ連軍からの支援も得て主要都市エーヴィンを含む北方地域(エーヴィ地方)を占領、独立を一方的に宣言すると共に改名して生まれた首都ならびに国家の名です。
当時、新たな旗を掲げたエーヴィンに招かれたソヴィエト高官は、この街に残る非共産的な雰囲気を「(ブルジョアの蔓延る)南ヨーシャーみたいで萎えた。あの街並みはナニかね?」と失望したように指摘し、タクヤン達を静かに責め立てたと言います。
その後、モスクワに見放されぬよう躍起になった彼らは、エーヴィンなどに存在するあらゆる損傷した建物を解体させ、そして自身の権力を見せるようにソ連式の建造物へと次々建て替え、『ヴァカチクビンスク』を完成させました。
抜本的な作り替えは住居等の配置を効率的にする以外にも、国内にそれまで存在しなかったような大規模な工場地帯を誕生させ、大統領となったタクヤンは自分達の独立国家の大躍進に期待を寄せていました。
しかしその"急造"した工業地帯は、広大さに比べて従事する人々の知識や意識、あるいは揃えられた機材などはお粗末そのものであり、そんな所から産み出された製品は民需から兵器工場まで例外なく悉く低質でした。この事は視察した高官の一人が流れてくるシワや変形のある金属板を見て「乾燥途中の干し肉みたいだ」と嘆いたと日誌に残されます。
が、そんな内情でありながら、国内外への教育やプロパガンダは終始入念に行われ、首都機能を移して富豪の別荘地から姿を変えながら発展しつつあった南ヨーシャーと、ヴァカチクビンスクは酷似とされた上に、工業力では優ってすらいる頑強な都市と宣伝されました。
「(ヴァカチクビンスクは)南ヨーシャーには全く似ていません!赤軍国家にありがちな、重工業ばかり鍛えあげた酷い国土です!」
この言葉は、南部の街並みを一望して膝から崩れ落ちた瞬間を撮ったとされる一枚と共に有名となり、タクヤンらを激怒させました。一説では「(処刑前に)死ぬ寸前まで痛め付けてやる!」とまで言い放ったとされています。
この後、「もう許せるぞオイ!」と不問のフリをして南部政府に脱走兵の身柄を引き渡すよう要求しましたが、それが上っ面の物である事は看破されており、再三の交渉は全て決裂。面子の取り繕いと宗主国たるソ連へのケジメの為に、上層部では南方地域をも占領する構想が浮き上がりました。
この流れを受け、国内に存在する供与KV戦車(76mm砲装備)は火力不足解消のため、大統領主導で独自開発したタクヤン107mm砲1型を搭載した大型新砲塔に換装された"KB/タクヤン.mk-I Tank"(KB/T.IT)へと急ピッチで姿を変え、85mm砲装備のKV隊に補助戦力として付随し、共に旧首都の北ヨーシャー市包囲網に参加しました。
実戦投入当初は支援砲撃を担当し、初戦の苛烈な砲撃と大柄の砲塔シルエットの威圧感から恐れられたKB/TITでしたが、南ヨーシャーからの増援と地の利を活かした旧首都防衛隊の奮戦を受け、前線を担当するKV-85の消耗を埋めるために前進した結果、砲塔防御力がおざなりな火力一辺倒な性質が露呈し、肝心の主砲も鹵獲試験にて全容が明らかになると「(敵ながら)哀れ。」と同情されたと言われます。
全力の攻撃を数日毎に投じて北ヨーシャー市をなんとか入手(但し防衛隊は時間稼ぎや消耗を強いる戦術を取っており、しかも攻勢限界から退却を許している)させた同軍は、大々的な宣伝を行いながら士気と戦力の回復に努めました。
北部政府壊滅のために戦力の質と量を育て上げてきた彼らは、一気に十数キロまで接近して占領部隊を撃滅する準備を開始。この時偶然にも、タクヤンが陥落記念演説の為に来訪しており、なけなしの戦力を全てかき集めて反攻部隊を今の内に挫くよう命じます。
そして飛び出した迎撃隊は、森林と丘陵地帯に身を隠しながら徐々に接近していくものの、KV中心だった構成が仇となり、泥地や柔らかな土壌に足を取られるような形で虎の子のT-34隊と足並みが揃わなくなり、察知した反攻隊に各個撃破されました。
更には本国に要請したはずの北ヨーシャー市への援軍は、温存のために地上・航空戦力共に適当な理由を付けて出されることはなく、侵攻に躓いた事で切り捨てられ、裏取引の材料にもされたタクヤンは停戦に向けての人柱として、最前線へ無慈悲にも取り残されました。
これに気づいた彼が、自身の着飾った格好を脱ぎ捨て裸で哀叫した事は、その後有名なエピソードとして今なお語り継がれています。
翌朝、大統領命令で許可が下りた事で士気も戦力もどん底の占領軍は殆どが投降し、数日後にはほぼ無血状態で北ヨーシャー市は奪還が完了。民間施設の一室で裸のままで座り込んでまともに会話できなくなっていたタクヤンが、民間人と誤認されて保護されました。
ぶつぶつと「許してくれるんですか…」と呟き続ける彼の姿は、とても同一人物とは思えなかったと言われています。
その後は計画どおり大統領の独断侵略として処理し、一時的な停戦を手に入れたヴァカチクビンスクでしたが、実権力は弱いものの政府上層部のバランサーであったタクヤンを売り渡した事がきっかけで、今度は有力な派閥同士の衝突と内ゲバが加速。次第に報復がエスカレートし内紛状態に発展しました。
その際投入された陸空の戦力は、少なく見積もっても北ヨーシャー侵攻時のソレを優に超えたとされ、それを聞かされた獄中のタクヤンは半ば笑いながら「ウソだろお前!笑っちゃうぜ。…悲しいなぁ…」と漏らしたと言われています。
(侵攻が)グダグダどころか内ゲバ、コミーの末路
こんなにクッソ長い駄文読んでくれて嬉しい…嬉しい…ありがとナス!
(折り畳みが)広がってないか?
ん、そうですね…。やってしまいました、まさかこんなに書けるとは思わなかったんでね。あと歴史の段後半がクッソ長くなったから区切ったら序ファッ!?急みたいになったゾ、読み易さが増した可能性が微レ存…?