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箸墓増築説は畿内説の人が引っ込むほど明確に否定されてたっけ?
九州説としては助かるけど、それなら卑弥呼の墓は記述を見る限り円墳だから、箸墓=卑弥呼の墓自体が成立しなくなる。
古墳をもっと調べさせてほしいってのは私もある。でも今でも天皇には神秘性が必要で、分かっちゃ困ることもあるだろうから仕方ないとも思う。天皇家の出自とかね。おそらく任那の問題とか絡んでくるだろうな。
はっきり言うと、私は邪馬台国九州説(東遷説)をとりながら、真相は分からないでいてほしいって思ってる。九州でも畿内でも、はたまた四国でも、分かっちゃったらつまらないじゃん。謎だから楽しいんだよって思う。
てか記紀そのものが神功皇后=卑弥呼の前提で書かれてるからね。これが最古の仮説になる。
そもそも台与時代の邪馬台国の記録は卑弥呼時代ほど詳細じゃない。明帝死後の魏や晋になると政情不安でそのまま戦乱時代に突入するから倭国の記述がなくなっていく。だから台与の統治体制まではよくわからない。
卑弥呼の死後、男王が立って邪馬台国そのものが内乱状態になり、それが台与が女王になることで鎮まったのだから、台与派(卑弥呼系支持派)vs男王派の争いと見られる。男王の正体は不明だけど一説には難升米とも言われるね。卑弥呼が男王のクーデターで殺された(とされる)経緯を見ても内乱の構図としてはクーデターに乗った勢力と乗らなかった勢力の抗争だろう。乗らなかった勢力は「卑弥呼に代わるトップ」が必要だから、卑弥呼の「宗女」の台与を選んだ。
こうした展開なら、卑弥呼を「共立」したのは邪馬台国を含めた諸国連合で、台与は邪馬台国一国の内部ですら内乱状態の時に即位したことになる。そして内乱を鎮めはしたけど、あくまで仲間割れを治めたに過ぎない。初期の台与の権威はさほどではなかったはず。その後は強くなったと考えていいけど。
卑弥呼の弟は、卑弥呼アマテラス説をとる私としては月読命だと思ってる。太陽(卑弥呼)に対する月だからね。
卑弥呼は人前に姿を見せなかったのであくまで神秘的な女王、なら弟は実務を仕切ってたと思われる。卑弥呼と一緒に弟も殺されたのか、あるいは台与政権の樹立に尽力したのか何も書いてないから分からない。空想する立場としては台与を支えて男王派を滅ぼす中核になってほしいものだ。
北に逃げるって、卑弥呼がすでに北部九州にいるんだから北に逃げる余地はない。北にあるのは九州北岸まで卑弥呼時代の「邪馬台国連合」に含まれる国で、仮に狗奴国の圧が理由なら、その辺の従属国なんていつ寝返るか分からない国なんだから。邪馬台国の直轄領ではない同盟国を「今日からここが邪馬台国だ」と乗っ取ったら寝返らない国も寝返ってしまう。北に逃げる土地はないし逃げても自殺行為。行き先は東しかない。それが中国でも四国でも畿内でも。
それに「逃げる」と言っても、畿内の勢力と戦っての「東遷」なんだから、戦に敗れて潰走してるような状態じゃない。軍事力は十分にあった。ただ、狗奴国に対抗するには力不足だっただけ。
邪馬台国が太陽に向かうのは、邪馬台国が太陽信仰の宗教国家であるというアイデンティティがあるから、占いなんかとは次元が異なる。たとえるなら、今のイランがアラーの神を捨てて現体制を維持できるか、ってレベルの問題だよ。実現はしなかったけど神聖ローマ帝国はアイデンティティのためにずっとローマを版図にしようとしてた。
三国時代の蜀の諸葛孔明が数倍の大国である魏と戦い続けたのは、勝てるはずもない戦だった。なぜ孔明が勝ち目のない戦を続けたかというと、「漢の再興」が蜀統合のアイデンティティであって、この旗をおろせば蜀が自壊するからだよ。
邪馬台国も太陽信仰のアイデンティティがあるから巫女じゃない男王では統治できなかったし台与で国を鎮められた。「狗奴国の圧」があれば、邪馬台国が存続する方法は、狗奴国と戦って勝利するか、国家的アイデンティティのために太陽に向かって新天地を求めるかしかない。
伊都国や魏の玄関口である帯方郡を捨てると言うけど、台与の時代に魏は滅んで晋になった。その晋たるや八王の乱でめちゃくちゃになって北方異民族が侵入してくる。邪馬台国が東遷した時代なんて、中国北部は五胡の侵入で帯方郡もあったもんじゃない。晋は南に東晋があるけど、伊都国経由で外交ができた時代じゃない。
邪馬台国は中国の権威を借りられなくなっている。卑弥呼の時代に親魏倭王になって魏から黄幢をもらっても狗奴国に勝てなかったんだからなおのことだ。
前方後円墳の成り立ちは、こう考えてオオクニヌシの国譲りと結びつけたら面白くなるって話だからそうじゃないならそうじゃなくていい。ただこの独特の形状がなぜできたのか、合体でなければ不思議だよね。
記紀によれば九州勢力が畿内を攻めて、畿内にヤマト政権を打ち立ててからヤマトタケルに熊襲を討たせて九州を平定してる。素朴に考えると九州にいたのなら普通まず九州を統一してから東に行くよね。ところが先に東に行ってから九州征伐をしてる。その理由は?って考えたときに、先に九州統一はできなかったからじゃないかと。これを邪馬台国東遷説につなげると、「狗奴国の圧」がでてくる。
狗奴国の位置として、邪馬台国の東説はこっちが原典なら陳寿の魏志と矛盾する。もっとも、魏志では邪馬壱国だから魏志に間違いがないわけじゃない(邪馬壱国が正とする説もあるが)。ただ畿内説では邪馬台国の道程でも南を東に変えてるから、「范曄はリッパな人だから間違えないけど陳寿は2回間違えました」ってのは都合がよすぎるよ。
大元の魏略を今見られないのは残念だ。
台与も巫女ならおそらく生涯独身だったろうから、直系で天皇家とはつながらないだろうけど、前回書いた王朝交代説が全部嘘なら血縁は多分あるだろうね。卑弥呼も子はいなかったけど台与は親戚なんだから台与と天皇家が縁続きなら卑弥呼とも縁続きになる。
そのへんハッキリしないから、自由板でSiphonと議論したとき私は天皇を「継体から1500年」と計算したけどやっぱり神武からつながってほしいという願望はあるよ。
>北に逃げるって、卑弥呼がすでに北部九州にいるんだから
ここちょっと説明不足で混乱する言い方だった。私は邪馬台国はもともと「北部」九州にあったと思ってる。ただ、東遷した時代(神武)に日向は邪馬台国の版図だったと思う。ここを詳しく言うとまた長くなるので今回は割愛するけど、狗奴国は肥後から肥前に伸びてきてる想定。狗奴国が押してれば元邪馬台国同盟の約30国も一枚岩ではない。
それと、悪いけど風邪ひいたんで週末はちょっとつらい。