ロマンシアは苛立つ自分の感情をぶつけに来たのではあるが、ステファニアについての不憫云々はスターダンスに効いた。立ち直ったのだ。それでやっと彼女に向き合う気になるのだが一行で収まる気がしない。
それはそうと、タナティアの民は信徒でなくてもシシ教の伝説やその文言をそらんじているのか。教会のシスターというその教会は、たしか【中央】から広まって現在主流になってる宗教組織で、引いては天界由来だ。シシ教は(本来は関係ないけど)魔王崇拝と混淆している。
「本来は別だけど」という、その本来の部分がシシの伝説なんだ。もっとも、ここではいちいち突っ込まずそれはInterWikiでAcheronに単語記事にリンクすればいい。ここはやはり気持ち、心情のはず。……「友情を誓う」というが、これ本当に友情と思ってるのか? タナティア民は恋愛感情にうとくて、好きなら引っくるめて「友情」と呼んでいるのかもしれんね。
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鳥使いの儀式
戦争の合間に、戦争にかこつけて男子兵士と女子兵士が寄り添うのは不潔だ。不潔、というとかわいそうだけど、明日死ぬかもしれないので今のうちにあれこれ言っておこう、ってどさくさじゃないか。その気持ちはあるのかな。『僕と離れ離れになったら……』いつかの馬のお返しではあるけど状況はシリアスだ。それくらいとして……
今日いろいろ考えたあとで疲れてもう文字にならない。こういうのって、ポレンの最中にも思ったが三十一文字のような和歌のほうができるのかもしれない。また常識的にわかられないことを……
しかし、その全てを語ることはできないので、シシ伝説という儀式に託す。それが本物の鳥使いの儀式になる、なってしまうという全編の物語……だ。やはり和歌のような印象あるね。言い尽くせない気持ちの全ては儀式という形式に託す。三十一字でもいいという連想。