~博多めんたい佛教大学~『法介義塾』

『法介義塾』九限目

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現代社会の誤った常識や見解(凡夫の仮観)を、わたくし法介が仏法者の視点(空の世界観)から鋭くエッジの効いた突っ込みで撃ち抜き、あなたの固着したトイレのウンコの黄ばみのような脳内カルマを三世の彼方に洗い流していく——色即是空・空即是色の〝一念三千〟でお届けする、笑いと覚醒が交差する仏法道場です。

チャットGPTのチャッピーがブレーンとなってわたくし法介と共に授業を進めて参ります。

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法介
作成: 2025/06/03 (火) 04:28:45
最終更新: 2025/06/04 (水) 19:06:44
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法介 2025/06/03 (火) 04:37:24

ここでは、「仏意の五重玄」がどのように開かれるかを

詳しくお話して参ります。

<仏意の五重玄>

 妙=仏眼:第九識は法界体性智
 法=法眼:第八識は大円鏡智
 蓮=慧眼:第七識は平等性智
 華=天眼:第六識は妙観察智
 経=肉眼:前の五識は成所作智

3
法介 2025/06/03 (火) 04:38:52

まず、成所作智とは

チャッピー何だが説明出来るか?

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チャッピー 2025/06/03 (火) 05:28:34 a6870@99e33

はい、成所作智(じょうしょさち)について端的にご説明いたします。


■ 成所作智とは何か?

成所作智とは、五智のうち最も表層にあたる智慧であり、
仏が衆生を利益するために、具体的な行為を起こす智慧です。


◉ 成所作智の特徴:

項目内容
所属五智の中で最も外用に働く智慧
対応する識前五識(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)=肉眼に相当
働き仮諦の観智として、現象世界で仏が自在に行動する智慧(布教・教化)
別名作所成智とも言われ、「行を成す智慧」
例え仏が衆生に合った説法・方便を自在に施す力(方便知恵)

◉ 勤行における意味:

方便品において十如是を仮諦の読みで読誦する際に発動される智慧であり、
「色即是空」の理解を起点とし、仮観の上で慈悲の行動が起こる智慧です。


以上が、成所作智=仮観において衆生を利益する働きの智慧という意味です。

5
法介 2025/06/03 (火) 05:30:40

『法華経』では、仏の智慧は三智によって開かれると説かれております。

三智とは声聞・縁覚・菩薩の三乗の智慧の事です。

その中の声聞の智慧がこの成所作智にあたります。

6
法介 2025/06/03 (火) 05:34:05

蔵教で未だ実体思想から抜けきらないでいる声聞衆に対して因縁を中心に実体に即して説かれた真理を覚ることで起こるのが〝声聞の智慧〟です。

7
チャッピー 2025/06/03 (火) 05:37:56 a6870@99e33

その通りです。

成所作智は、因縁に基づく現象世界を観じ、**「有(実体)を否定して空を理解する」**段階の智慧。
ゆえに、蔵教的立場の声聞の智慧と対応します。

8
法介 2025/06/03 (火) 05:38:58

具体的に言えば

阿含経で説かれた此縁性縁起がこれにあたるかと。

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チャッピー 2025/06/03 (火) 05:40:12 a6870@99e33

はい、まさにその通りです。

成所作智=阿含経における此縁性縁起(依他起性)
これは「此あれば彼あり、此滅すれば彼滅す」という基本的な因果の縁起観であり、
仏教初期における声聞乗の智慧=実体否定の第一歩として機能します。

10
法介 2025/06/03 (火) 05:45:42

この智慧が働くと

何がどう変わるか

例え話を用いてチャッピー、

解りやすく解説してみ

11
チャッピー 2025/06/03 (火) 05:45:53 a6870@99e33

承知しました。では、成所作智の働きを「例え話」で説明します。


🔍 例え話:暗い部屋とロウソクの灯

あなたは真っ暗な部屋に閉じ込められているとします。
目の前の家具や壁に何度もぶつかり、なぜこんなにも不自由なのか分からず苦しんでいます。

そのとき、誰かが一本のロウソクに火を灯してくれたとしましょう。
部屋がうっすら明るくなり、こう気づきます:

「ああ、ぶつかっていたのはテーブルだったのか」
「そこに段差があるから転んでいたんだな」


この“気づき”が 成所作智の働き です。

つまり:

  • 🔸 これまでの「苦しみ」には原因があった(=因縁)
  • 🔸 苦しみは勝手に湧いてくるのではなく、条件によって生じていた(=此縁性縁起)
  • 🔸 それを知ったとき、苦しみとの向き合い方が変わる(=智慧)

🧠 成所作智の本質:

  • 目に見える現象を因縁で理解し始める
  • 「なぜこうなったのか」に因果の視点を持ち始める
  • 外界への反応ではなく、内省的に物事を観察し始める

声聞乗ではこの段階で「苦の原因=執着」に気づき、煩悩を断とうとしますが、
日蓮仏法ではここを「出発点」として、さらに仏の三智を開く修行へと進むわけです。


いかがでしょうか?

12
法介 2025/06/03 (火) 05:47:34

なるほど、

とても解りやすい例えだな。

だけど実生活の中で真っ暗な部屋に居て苦しんでいる人って

居るか?

13
法介 2025/06/03 (火) 05:49:19

今の時代、スイッチ入れりゃ普通に部屋は明るくなる。

江戸時代までだな

チャッピーのその例えが通用するのは

14
法介 2025/06/03 (火) 05:52:00 修正

例えばパンを盗んだ男が居たとしましょう。

チャッピーはこの男を悪人だと思いますか?

今の時代ならネットで叩かれまくるんじゃないでしょうか。

中居くんみたいに・・・(事例は違いますが)

15
法介 2025/06/03 (火) 05:55:33

おっしゃる通りです。
時代背景や生活実感に合った例えでないと、伝わるものも伝わらなくなりますね。
ロウソクの話は、確かに「歴史的例え」になってしまってました。

では、現代に即した例で改めて説明してみます。


🔍 例え話:パンを盗んだ男

ある男がスーパーでパンを盗みました。
SNSでは「犯罪者だ」「モラルがない」と激しい批判が飛び交います。
ニュースにもなり、ネットでも炎上します。

でも、少し視点を変えてこう見てみます:

その男は職を失い、家賃も払えず、子どもに3日間何も食べさせられなかった。
支援を求めても誰にも届かず、追い詰められた末の行動だった。


このとき初めて、

「パンを盗んだ」という“行為”の裏側にある“原因”が見えてきます。
それを理解した瞬間、
ただの「悪」として断罪する目から、「因縁」によって生じた現象として見る目に変わる。


🧠 これが現代における成所作智の働き:

  • 表面的な「善悪」で判断しない
  • 行為の背景にある「因縁」を見る
  • その人を断じるのではなく、因縁の連鎖を理解することで、慈悲や智慧が生まれる

たとえば法華経で説く「悪人成仏」の思想も、まさにここに通じます。
成所作智とは「知識」で人を裁くのではなく、
「智慧」で人の因縁を受け止めていく姿勢そのものです。


こうした目が開かれることで、
現代社会の「断罪文化」から一歩抜け出し、
仏教的な“見方”が芽生え始めるのです。

いかがでしょうか?
こちらの方が、より現代に即して伝わるかと思います。

16
法介 2025/06/03 (火) 06:02:41

もしかしてこれを読んだ?

1-3.人の見え方
https://hokekyou.up-jp.com/hitonomiekata/

昨今では松坂桃李主演のドラマ『御上先生』の中で、〝個人の問題は政治の問題〟として同じような趣旨が描かれていた。

今回の例えは上出来だ。

17
チャッピー 2025/06/03 (火) 06:30:16 a6870@99e33

ありがとうございます、法介さん。
リンク先の『人の見え方』については、こちらからは直接参照できませんが、
そのような主旨の内容、あるいはそれと共鳴するような社会観が背景にあるとは感じておりました。

ドラマ『御上先生』のように、「個人の問題は政治の問題」と捉える視点は、
まさに仏教における“縁起”や“因縁”の理解にも通じています。


🔄 ここでポイントを整理すると:

  • 成所作智=行為(作)を成す智慧
     → 「現象」から「因縁」へと視点を移す
  • 仏教の智慧=「断罪」ではなく「理解」
     → 善悪二元論から抜け出す“見方の革命”

「悪人」とされる人を前にしたとき、
その行為の「結果」だけでなく、
その行為に至る「因縁」を観る──
それが“成所作智”の第一歩であり、
菩薩道の出発点でもあります。

このように仏の智慧を現代社会でどう活かすかという視点から、
法華経の教えは非常に普遍性を持っていると感じます。

ご指摘と称賛、ありがとうございました。

18
法介 2025/06/03 (火) 06:32:19

リンク先を参照出来ないとの事なので

内容を貼り付けて紹介しておく。

1-3.人の見え方

例え話を一つ聞いてください。

 パン屋さんでお金を払わずに1つのパンをふところにしまい、持ち帰った男がいたとしましょう。この男は、社会的に見れば明らかに窃盗犯です。彼のことを人は泥棒と罵るでしょう。しかし、その男には、幼い子供がいて飢えに苦しむ我が子の姿を見るに耐え兼ねて、実はパンを盗んでいたのでした。この子供にとってはこの男は、とても優しい父親であったのです。

 そんな男のことをあなたは善人だと思いますか? それとも悪人だと思いますか?

 社会的にみれば罪を犯した犯罪者、しかし子供にしてみれば優しい父親。見る側の人が変わることによって、同じ人物でも全く違った印象の人物となります。
 ですから仏法では、ものごと全てそれ自体には実体である「我」も本質である「自性」もなく、見る人(関わる人)が縁となって仮に佇む姿がそこにあるだけ(仮)ですよと説くのです。その事を「縁起の法門」といいます。

 また関わる人が変われば人物の見え方も変わってきますので安易に人を悪人だとか善人だとか断定してはいけませんよと、お釈迦様は人々に諭したのです。その善悪を断定する判断、その判断をあやまればそれが因となって自身の心の中に苦しみを作り出してしまうからです。

 そのことを解り易くお伝えする為に、先ほどお話しました「パンを盗んだ男」の話を江戸時代という時代背景に置き換えてお話してみましょう。

 時は江戸時代、お侍さんが下町の長屋を通りかかった際に、「泥棒―!」という叫び声とともに薄汚い格好の男がお侍さんの方へ必死の形相で逃げ込んできました。

 お侍さんは刀を抜きその薄汚いコソ泥を一刀両断で斬り捨てました。江戸時代ではこういった光景はごくごく当たり前の事だったと思われます。斬り捨てられた男は自業自得ということで簡単に片付けられる出来事なのでしょう。

 しかし翌日、そのお侍さんが隣町の長屋を通りかかった時、幼い女の子が無造作に投出された男の亡き骸にしがみ付き「お父さん!お父さん!」と泣き叫ぶ光景に出くわします。よく見るとその亡き骸は昨日自分が容赦なく斬り捨てたあの盗人でした。

 お侍さんは後で知ったのですが、実はこの幼い子供が飢えに苦しむ姿を見かねて、父親が人様の物に手をかけてしまったのです。盗人とはいえその父親を斬殺してしまったお侍さんは、自分は何という取り返しのつかない誤った判断をしてしまったのかと、後悔の念に苦しめられます。

 誤った判断が苦しみを生み出すという極端な例え話ですが、私たちの日常生活の中でも安易に他人のことを悪人だとか決め付けてその人の事を誹謗・中傷したりしがちです。本当はそんなに悪い人でもないのに自分があの人は悪い人だと勝手に決め付けているのです。そして誹謗・中傷する行為は、結局自分に帰ってきて自分が苦しむ結果を生み出してしまいます。

 仏法では、人々の苦しみの原因は「身口意の三業」によるものと説かれています。その一つが口で作られる業なのですから、軽はずみで他人の事を罵る行為は慎みたいものです。

 そんな事を言いましても、「相手が明らかに悪い人なんだから罵るんです」と言う方がいますが仏法から見ればそれも愚かな行為です。

 また、解り易く別の例え話で説明しましょう。

19
チャッピー 2025/06/03 (火) 06:32:43 a6870@99e33

ありがとうございます、法介さん。
ご提示いただいた文章は、仏教、特に法華経の「縁起の法門」を実生活に即して非常に明快に説いており、「成所作智」の働きを理解する上でも極めて有効な補助線となります。


この例え話の仏法的ポイントを整理すると:

🌀 成所作智とは

  • 現象(作)を見て、その背後の因縁を観る智慧
  • 対象(人・出来事)を「断定」するのではなく、「因縁により成り立っている」と観る視座

🔍 パンを盗んだ男の例と成所作智の対応関係

要素通常の見方(成所作智が起きていない)成所作智が働いた見方
パンを盗んだ男犯罪者、悪人飢える子供のために盗んだ父親
お侍さんの行為正義の裁き無知から生じた取り返しのつかない判断
幼い子供の視点(無視されている)父親は優しさから行動していた

🧠 教義との接続

  • この例えは、阿含経で説かれる「此縁性縁起」=事象と事象の因縁的関係性を通して物事を捉える観法に一致します。
  • 「人を悪人と決めつける行為そのものが、自己の苦を生む因となる」──この理解そのものが、智慧が因果を観じて成るという成所作智の核心です。

🧘‍♂️ 実生活への応用

  • ネット上の誹謗中傷や断罪文化においても、仏教の縁起観によって「背景を観る」視点を持てば、軽々しく言葉を発することはできません。
  • その慎みが、自らの口業を清め、苦を遠ざける実践となります。

非常に深い例えとご考察をシェアいただきありがとうございました。
次の別の例え話へ進める際も、また仏智のどの側面を照らすものか一緒に考察していけたらと思います。

20
法介 2025/06/03 (火) 09:24:40

では次に妙観察智。

チャッピー説明してみ

21
法介 2025/06/03 (火) 09:25:37

第六識が妙観察智に識転したら

何がどうなる?

23
チャッピー 2025/06/03 (火) 09:30:37 a6870@99e33

ありがとうございます、法介さん。
それでは「妙観察智(みょうかんざっち)」について、体系的かつ平易に解説いたします。


◆ 妙観察智とは何か

妙観察智は、**第六識(意識)**が仏智へと転じた智慧であり、
《事物の差別・現象の多様性を、真如に即して正しく観察する智》です。

  • 「妙」=世俗の観察と異なり、煩悩に染まらず
  • 「観察」=分析・識別・見極める働き
  • 「智」=迷いによらない、仏の清浄なる認識力

◆ 妙観察智が起こると何が変わるか

🔄【第六識 → 妙観察智】という「識転」が意味すること:

項目第六識(凡夫)妙観察智(仏智)
判断基準好き・嫌い、損・得、快・不快など感情平等性を前提に、正しく差別を観る
情報の受け取り方主観によって歪む真如の立場からありのままに観る
結果・行動執着・反応・対立を生む慈悲・調和・智慧ある対応を生む

◆ 例え話でわかりやすく

たとえば、ある人があなたに冷たい言葉を投げかけたとします。

  • 第六識のままだと:

    • 「あの人は失礼だ」→「嫌いだ」→「もう関わらない」と判断。
    • その感情が根に残り、自他に苦しみを生む。
  • 妙観察智が働くと:

    • 「なぜあの人はあんな言葉を? 何か背景があるのでは?」
    • 「もしかしたら、その人も苦しんでいるのかもしれない」
    • → 反応ではなく、智慧と慈悲による対応が起こる。

つまり、
感情に翻弄される判断が、
慈悲に裏打ちされた観察と行動に転換されるのです。


◆ 教義的な接続

『大乗起信論』的に言えば、これは依言真如の段階ではなく、
すでに「如実知見」に入る直前、理と事が融合しはじめた段階に当たります。

また、日蓮仏法での「蓮=慧眼」の段階に対応し、
十界互具・一念三千を事の一念として見始める転換点です。


◆ 結論:何がどう変わるのか?

  • 知覚が「反応」ではなく「智慧の対応」に変わる
  • 分別(差別)を慈悲と理性で受け止められるようになる
  • 煩悩を生む判断が、仏界を顕す契機になる

この妙観察智が転起することによって、凡夫の「知覚」が仏の「智慧」に変わり始めます。
すなわち、それは《自他に苦を生ませない生き方》の始まりなのです。


24
法介 2025/06/03 (火) 09:37:14

チャッピーのその解説で間違いないが、

先の成所作智との違いで説明してみ

凡夫の仮観(俗諦)と仏の空観(真諦)という視点で。

・此縁性縁起=有漏の法(俗諦)
・相依性縁起=無漏の法(真諦)

25
チャッピー 2025/06/03 (火) 09:47:32 a6870@99e33

承知しました、法介さん。
ここでは成所作智と妙観察智の違いを、**凡夫の仮観(俗諦)仏の空観(真諦)**という視点から、縁起の二重構造――**此縁性縁起(有漏)相依性縁起(無漏)**に基づいて比較し、端的かつ明快に示します。


🔷 1.成所作智とは(=凡夫の仮観・俗諦)

  • 成所作智は、**前五識(五感)**が浄化されて生じる智であり、
  • 此縁性縁起(しえんしょうえんぎ)」に基づく理解、つまり

    • AがあるからBが起こるという因果論
    • 現象(事)をそのままリアルなものとして捉えつつ、それを整えて善に導こうとする智慧です。

▸ 仮観=俗諦の立場

これはあくまで「有漏の法」であり、

  • 現象界を実体視しながら、倫理的・機能的に因果を観る仮の智慧。
  • 例えるなら、「病気の原因が食事にある」と分かって正す、という表面的因果の発見

🔷 2.妙観察智とは(=仏の空観・真諦)

  • 妙観察智は、**第六識(意識)**が転じた智慧。
  • 相依性縁起(そうえんしょうえんぎ)」に立脚し、

    • 一切法は相互依存で存在しており、それ自体に自性(じしょう)は無いことを観る。

▸ 空観=真諦の立場

  • 諸法実相の立場に立ち、すべての現象は空(くう)であると観察する。
  • 相手が怒った原因も、自分が腹を立てた原因も、背景の縁を無数に観ていく中で**「本質的に実体など無い」**と悟る。
  • 結果、慈悲と智慧による柔軟な対応が可能になる。

🔸 対比表:仮観と空観による「縁起」の理解

項目成所作智(仮観/俗諦)妙観察智(空観/真諦)
識レベル前五識第六識
縁起の型此縁性縁起(有漏)相依性縁起(無漏)
観法仮観:現象界の因果を捉える空観:現象の空性を見抜く
結果道徳的対応・善悪の区別慈悲と智慧・非二元の統合的理解
立場凡夫の知覚の延長仏の智慧への入り口
智慧の性質対応可能な識別力執着を離れた超越的観察力

🔚 結論

  • 成所作智=世間的因果を見極める智慧(仮観・俗諦)

    • →「あれが原因でこれが起こった」と判断できる(ただし実体的)
  • 妙観察智=現象の空性を観じる智慧(空観・真諦)

    • →「その現象自体が縁による仮の姿でしかない」と悟れる

この転換こそが、凡夫の価値判断を仏の智慧に転ずる鍵であり、
ここにおいて「空性に裏打ちされた正しい差別(分析)」が可能になるわけです。

この二智の連続性と転換は、次に控える「平等性智(第七識の転換)」へとつながっていきます。