『イラスト図解 中華後宮事典 中華風ファンタジー創作のための』
柿沼陽平監修
河出書房新社
【総評】
あえて言う。「書名詐欺」である! これで「後宮事典」を名乗るな!
書名・帯を通じて「後宮事典」とあおっているが、実態は「中華風ファンタジー創作入門事典」である。後宮を直接論じたのは、全7章中、「第4章 後宮のしくみ」のみ。分量が圧倒的に少ない。「後宮事典」を名乗るのなら、全体の半分以上は後宮にすべき。
見よう見まねで、曲がりなりにも中華風後宮ファンタジーを書いた者としては、「最初に買いたかった中華風ファンタジー創作資料」。本書があれば、中国の歴史、諸制度、衣食住、皇帝・皇后から一般庶民までの住人などの唐代を中心とした「中華時代劇世界」を一通り、理解することができる。そして、中華風ファンタジー世界を作ることができる。
中華風ファンタジーの創作であれば、最低限本書の内容の知識は必要。それぞれの専門書と比べれば情報量は落ちるとはいえ、「服飾」「建築」「生活」の三つは要領よくまとめられている。中華モノ創作の生活考証で必読の一冊、『古代中国の24時間』の著者、柿沼陽平氏監修だけのことはある。
内容は、上記出版元「河出書房新社」(一部ページが公開されているが)よりも、東方書店ウェブサイト『イラスト図解 中華後宮事典 中華風ファンタジー創作のための』のページを確認していただきたい。東方書店のほうは、目次が公開されている。
書名が「中華風ファンタジー創作入門事典」であれば、もっと「正当」に評価できたし、されたと考えられてならない。
それに、日本人向けに日本語で書かれた本であることも大きい。例えば、衣裳の種類や部位の名前が知りたい場合、情報量は多いが「中国語からの翻訳」だと、スッと入ってこないことが多い。
他の本では、文庫本や新書本だと版型が小さい、写真や図版があっても白黒、なことが多い。特に、衣裳(上は皇帝・皇后から、下は一般庶民まで。中国服飾史本では一般庶民は取り上げてないこともある)、宮殿・庭園建築(西太后の私室の図解あり)、家具のイラストの質が高い。
管見の限りではあるが、他の中国史本では見たことがない、唐代の医薬監督制度の記述もあった。また、皇帝の象徴が「竜」であることは分かるが、皇后の象徴が「鳳凰」であることには確証が持てなかった(Wikipediaの記述で「一応そうらしい」との認識はあったが)。本書「第7章 中華世界の信仰」で「鳳凰は皇后の象徴」とはっきり書いてあって、だいぶスッキリした。
称号、役所、聖獣、衣装など「これ、何て名前だっけ?」という場合、本書があれば、机の上に何冊もの資料を広げることは少なくなる。例えば、「刑部」を「法務省」と書いて世界観を台無しにすることがなくなる。
本書監修者柿沼陽平氏著で、既に投稿した『古代中国の24時間』『古代中国の裏社会』の視覚的イメージを補う上でも、両書との併読をお勧めする。というより、『イラスト図解 中華後宮事典』『古代中国の24時間』『古代中国の裏社会』の三冊は、中華風ファンタジー創作資料として、最初に買うべきものである。
【残念な点】
内容が全体的に「広く浅く」で、「狭く深く」には向かない。また、本書の立ち位置も中途半端な感を禁じ得ない。本書は先述・後述の通り、とても「後宮事典」と名乗れる内容ではない。中華風ファンタジー創作資料となると、以下の点が不十分。
・「後宮事典」を名乗る以上は、せっかく監修者が『古代中国の24時間』の著者柿沼陽平氏なのだから、中華モノ創作の生活考証で必読の一冊『古代中国の24時間』の「後宮版」にしてほしかった。創作の舞台にされやすい唐代や史料が比較的残っているであろう清代の後宮の一日を詳述してほしかった。一応、第4章には「後宮の1日」と題するページはある。が、見開き2ページに過ぎず、大したことが書かれていない。出版社の本書内容の発信がずれている。すでにリンクを貼った通りではあるが、出版元の河出書房新社のサイトでは目次の公開もなく、内容とはズレている「後宮事典」が強調されていた。むしろ、販売店の東方書店が独自に目次を公表していたことが良心的だ。
・神仙思想、天界、呪術・呪符(特に具体的なやり方)、仙人・道士・仏教僧侶の修行(1日ルーティン)、道教寺院における参拝作法などのオカルト・宗教関係はよりページ数を割いてほしかった。中華風ファンタジーには欠かせぬ素材である。オカルトがらみの事件といえば、漢の武帝の「巫蠱の禍」、明の「喜靖の変」は有名だが、それぞれ「呪術」のページの「豆知識」に3行、「後宮事件簿」の半ページにしか記述がない。
・先述の通り「後宮事件簿」は、帯に「ストーリー展開のヒントになる「後宮事件簿」収録!」とあるわりには、1事件半ページしかなく、ストーリー展開のヒントにするには不十分。「後宮事件簿」だけでも、本が1冊できるのでは?
※付言
後宮がらみの事件であれば、当掲示板で紹介し、無料で視聴できるYouTubeチャンネル『じんべ大帝』の方が圧倒的に詳しい。
しかも、明の「喜靖の変」にも以下の動画ある。
・「軍事」は一通り書いてはあるが、「中国武術」が取り上げられていない。中国武術家も中華風ファンタジーにとっては大事な素材である。
・「医学」も唐代の監督制度を除き、大したことが書いていない。『薬屋のひとりごと』(日向夏、ヒーロー文庫)はじめ、「中華後宮・医療」は一ジャンルを形成している。薬、毒、鍼灸、薬膳料理、気功など、ページを割いてもっと具体的に書いてほしかった。
・中国建築・家具のイラストは素晴らしい。だが、外観中心で、家具の配置など「室内の様子」が分かる図版が少なかったのは残念。せっかく西太后の「生活空間」が解説されていたのだから、想像画でも良いので皇帝の生活空間や謁見の場、宮中での宴席、下級宮女の部屋など、宮殿内部のイラストを多くしてほしかった。
・日本の時代劇の「官位」(浅野内匠頭の位なら従五位)に相当する、一品などの「品階」に対する扱いが薄い。一応は衣裳の解説で書いてはあった。ただ、非常に目立たない。ほかの時代もあればそれに越したことはないが、唐代だけでも文武官、妃・女官の品階を一覧表にして、何品なら何色の衣裳を着て、どの役職に就けるのかを示してほしかった。妃の階級名は書いてあるが、それを見ても上下関係がすぐ分かるわけではない。品階なら数字なので、上下関係が一目瞭然である。
・官職名の扱いも中途半端。中央官制は、漢代はまだいいが、唐代以降は「現代日本の『省』に当たる官庁の名称」は書いてあるが、「『省』の長官の『役職名』」までは書いていない。そのため、例えば「唐代モデル」のファンタジー小説を書いた場合、「刑部尚書」と書くべきところを「刑部長官」と書いて、やや興ざめになりかねない。かの柿沼陽平氏の監修を仰いでおきながら、紙幅の関係か、前項の「品階」の扱いが薄い、本項の「官職名」の扱いが中途半端なのは残念である。
・宮廷料理も大した記述がない。単に、珍しい食材が列挙されているに過ぎない。具体的なメニューと再現画を載せてほしかった。
・本書を「入門書」と見た場合、『古代中国の24時間』にならって、各部分の出典を細かく明示したり、参考文献も単に書名を列挙するのみならず、簡単な紹介を付けたりしても良かったのでは?





