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書評『皇帝食 - 不老不死を求めて 古くて新しい“生命の料理”哲学』

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『皇帝食 - 不老不死を求めて 古くて新しい“生命の料理”哲学』

皇帝食 ── 不老不死を求めて 石橋幸(龍口酒家 チャイナハウス)
SLOGAN

石橋幸(龍口酒家) 著
南條竹則 解説
スローガン

総評

 書名やうたい文句から、歴代中華皇帝の食に関する具体的なエピソードや、「満漢全席」をはじめとする歴史的料理の献立・調理法に関する深い考察を期待して本書を手にした。しかし、率直に言って、その期待は大きく裏切られた。

 ただし、以下の点には、「中華ファンタジー創作資料・副読本」として一定の価値を感じた。
 
 ・具体的なレシピや献立までは言及がなかったとはいえ、満漢全席の料理のカラー写真があったこと。
 ・第二章「材」では、ともすれば「ゲテモノ食い」にもなる、貴重・珍妙な食材解説が詳しいこと(なお、白黒写真のため価値は半減)。この箇所は、大金持ちの食事場面の参考になる。
 ・本書は実質、「料理人自伝」。なので、料理人キャラ創作の参考資料になる。

期待と現実の乖離

 本書の実態は、「中華料理人・石橋幸氏の自伝」としての側面が非常に強く、私が知りたかった歴史上の食事、食の哲学の「具体的な中身」は抽象的・概念的な記述に終始していた。

皇帝食・献立表の扱い

 中華料理人である著者(石橋幸氏)と、満漢全席の研究にも携わった解説者(南條竹則氏)という専門的な経歴を持つことから、献立表の詳細な解説や、それに基づく料理の再現・調理法に関する深い考察を強く期待していた。しかし、本書には、「杭州の宴席献立表」「則天武后の宴席献立表」「曲阜、孔子78代目子孫による皇帝料理献立表」「2005年、杭州・皇帝料理の献立表」「2003年、上海・大唐盛宴献立表」といった興味をそそる素材がカラー写真で掲載されているにもかかわらず、その詳細な解説や料理の再現・調理法に関する記述が一切なかった。また、本文中に原文引用や翻訳文の掲載もなかった。

満漢全席の対談に関する不満

 中国宮廷料理の最高峰である満漢全席を取り上げた「第六章 満漢全席の記憶ー対談 南條竹則×石橋幸」は、私にとって本書を購入した最大の目的であった。だが、本書の著者略歴に「南條竹則氏とともに、2003年より満漢全席を研究」とあるにもかかわらず、その貴重な経験に基づく話題が極めて少なかった。さらに、本来であれば当該箇所を引用してしかるべき南條氏の小説『満漢全席』『寿宴』からの引用もなく、満漢全席に関する話題を事実上、これら小説を読むことへと丸投げしているかのような編集姿勢にも、大きな問題を感じた。

 満漢全席再現が中国で大きく報道され、中国の料理人が大勢見学に来たという事実や、「品数が多いので食べきれないと思うが、108品が供されたが、翌日にはちゃんと空腹感を覚えて、健康を害するものでなかった」など、実際に再現した者でなければ語れない貴重な知見の部分が、「日本下げ」「日本落とし」の論調によって完全に吹き飛ばされてしまったことは、読者として非常に残念であった。

具体的なレシピの欠如

 著者の店がメニューやレシピを持たず、その時の食材と客の要望に応じて料理を提供するスタイルであることは理解できる。だが、薬膳料理など、「生命の料理」と銘打つからには、その哲学を裏付ける具体的な献立例やレシピが一切示されなかった点も、読者としては物足りなさを感じた。

著者の主張に対する強い違和感

 本書全体、特に第六章の対談に強く感じたのは、「現代の日本人の食生活批判」「日本の経済低迷」「昔は良かった」といった、現代日本に対する強いネガティブな論調であった。これは、本来貴重であるはずの「食の哲学」に関する対談の印象を薄めるほど、強く響いてきた。
 
 そして、それ以上に違和感を覚えたのが、著者と解説者に見られる、中国を絶対的に正しく、日本を劣った国と見なすかのような「中華思想」的な姿勢である。中華ファンタジー好き(すなわち中国の歴史や文化に強い興味を持つ)の私が読んでも、非常に強い違和感と嫌悪感を覚えたほどだ。「日本では料理人の地位が低い」「日本人は中国に比べて食に対する探求心が低い」といった中国礼賛の主張には、説得力を感じない。
 
 実際、日本の創業100年以上の企業は全国に4万5,284社存在し(出典:帝国データバンク「全国「老舗企業」分析調査 2024年9月時点)、これは世界の圧倒的多数を占めている。一方、中国では公的に認定された老舗ブランド「中華老字号」のうち、創業100年を超えているのは701社に留まる(出典:商務部・日本東方新報 2023年時点)。

 具体的に、創業480年を超える「とらや」(和菓子)や、明治創業の「出町ふたば」(和菓子)、大正創業の「玄冶店 濱田家」(料亭)、明治創業の「和久傳」(料亭)など、食文化の継承と探求の歴史が極めて長い。
 
 日本では、牡蠣いかだや発電所、船舶に被害を与え駆除対象であり、毒を持つため食用に向きづらいムール貝を安定的に食用に供することに成功している(出典:ムール貝を含む二枚貝の毒化リスクに対する厚生労働省および各自治体による厳格な貝毒検査体制)。また、中国では古代からフグ食文化が存在したものの、中毒死の危険から衰退したのに対し、日本人は縄文時代からフグを食し、明治以降に厳しい調理師免許制度を確立した独自の技術と文化によって、猛毒を持つフグを食べ続けている(出典:下関春帆楼公式情報、Wikipedia「ふぐ料理」など)。彼らの主張は、日本の食文化や食の技術進化の側面を無視していると言わざるを得ない。

「理想」と「現実」の間の視点不足

 著者が農薬や化学調味料、食品添加物に対して否定的な立場を取るのは理解できるし、自らできる限りを使わないよう努力している姿勢も読み取れる。しかし、だからこそ、「誰もが、無理なく、できる範囲でより良い食生活を営むにはどうすれば良いか?」という、読者の日常に寄り添った視点にもっと立ってほしかった。
 
 本書の主張は一理あるものの、「理想ばかり高い」という印象を拭えない。また、著者は「健康情報」を発信しているにもかかわらず、専門書や論文、統計データの引用が一切なく、単に「好み」で語っているように映ってしまった点も、その妥当性に疑問を感じざるを得なかった。
 
 また、「今の日本人は体に悪い物ばかり食べている」との主張は、日本人の平均寿命が伸びているという現実と矛盾している。具体的に、1970年(昭和45年)時点の平均寿命が男性70.17年、女性75.58年であったのに対し、2024年(令和6年)時点では男性81.09年、女性87.13年となっており、この半世紀で男女ともに約11〜12年延びている(出典:厚生労働省「簡易生命表」、習志野市公開資料など)。さらに、以下の引用の通り、著者自身の両親や兄弟を早くに亡くした原因を食に求めているとの記述からは、「昔の日本人が健康的な食生活を送っていた」という前提自体が崩れてしまうという強い矛盾も感じた。

石橋 うちの親も、兄弟も、早死になんです。それを見ていると、やっぱり食べものじゃないかなと。母親はトコロテンが大好きで、夏でも冬でも食べていたんです。子どもの頃の私が見ていても、えっ、また食べてるの、というぐらい。これで早く亡くなってしまったから、私はなるべく食べないようにしている(笑)。親父は漁師だから、しょっぱいものが好きでした。血圧が高かったんだろうね。だから私はしょっぱいものは食べないようにしています。(第六章の対談、188ページ。太字引用者)

結論

 書名が示す「皇帝食」の具体的な内容ではなく、著者の食に対するストイックな思想や自伝に関心が向く読者には価値があるかもしれないが、歴史的・文化的な「食」の探求や、満漢全席の具体的な知識を求めている読者にとっては、期待外れに終わる可能性が高い。したがって、本書は「中華料理人・石橋幸の自伝」であることを、書名や帯の時点で強調すべきであった。

ドラコン
作成: 2025/10/28 (火) 14:06:04
最終更新: 2025/10/28 (火) 16:10:06
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