エンタメ小説研究交流会

対談における偏向的論調と主張への批判的検証 — 日本の食文化に対する論調の偏向と、その背景にある「中華思想」 — 書評『皇帝食 - 不老不死を求めて 古くて新しい“生命の料理”哲学』

0 コメント
views

対談における偏向的論調と主張への批判的検証 — 日本の食文化に対する論調の偏向と、その背景にある「中華思想」 —

※この項が長くなり過ぎましたので、本編に入りきりませんでした。本編は下記リンク先からどうぞ。

エンタメ小説研究交流会
書評『皇帝食 - 不老不死を求めて 古くて新しい“生命の料理”哲学』
『皇帝食 - 不老不死を求めて 古くて新しい“生命の料理”哲学』 皇帝食 ── 不老不死を求めて 石橋幸(龍口酒家 チャイナハウス)SLOGAN 石橋幸(龍
zawazawa

 本稿は、対談内容に対し批判的に検証を行うものである。だが私自身、南條竹則氏の著書『中国文人食物語』(中公文庫)を中華風ファンタジー小説執筆時に参考にさせていただいた経緯があり、氏の造詣の深さには敬意を表する

主張に対する考察と反論

 
 本書全体、特に第六章の対談に強く感じられたのは、「現代の日本人の食生活批判」「日本の経済低迷」「昔は良かった」といった、現代日本に対する強いネガティブな論調であった。そして、南條氏、石橋氏、編集部に見られる、中国を絶対的に正しく、日本を劣った国と見なすかのような「中華思想」的な姿勢にも、中華の文化や歴史に関心があり、中華風ファンタジー好きであり、曲がりなりにも中華風ファンジー小説を執筆した私でも強い違和感と嫌悪感を覚えた。

 第六章の対談において、それまで特段日本が話題に上っていなかったにもかかわらず、「それに比較すると、特に日本では、食についての意識が低かったように感じられるのですが、これはどうしてでしょう?」(171ページ)という編集部による唐突にも思える誘導的な問いかけ(太字引用者)から、日本を「食意識が低い」国とする論調に話が展開しているように感じられた。

「満漢全席の対談に関する不満」の項でも述べたが、体感的には「第六章 満漢全席の記憶ー対談 南條竹則×石橋幸」は、体感的には「満漢全席」「中国の食の歴史」の話題が少なくとも半数程度は占めていた。

 だが、編集部の唐突なこの問いと、(机を叩いて)それは武士が悪いんですよ! 刀なんか振りまわす者が天下を取ってしまったから、食が貧しくなってしまった。味を云々するなんてことは武士道にありませんからね」(172ページ)(太字朱字化引用者)との南條氏の机をたたいてまでの発言によって、本書購入の最大の目的である「満漢全席」「中国の食の歴史」の話題がほとんど頭に入らず、本書全体の印象が「中国上げ、日本下げ」に決定された。

 この対談が満漢全席の話題をこれ以上掘り下げることができないのであれば、率直に言って、171ページ以降の第六章は不要であったと断じざるを得ない。

 なぜなら、170ページまでは中国の食文化に対する歴史的な考察や南條氏、石橋氏の貴重な経験談など、中国を褒める論調に終始しており、「日本下げ」はなかったからだ。

 仮に170ページで対談を終えていれば、ページ数は少ないながらも、満漢全席に関する貴重な知見がまだ読者の印象に残ったはずであり、『皇帝食』全体の印象がここまで悪くなることもなかっただろう。

 むしろ、満漢全席とそれに関連する中国の食の歴史(食の文献記録、食による統治、歴代皇帝の長寿食など)という貴重な話題を、これ以上掘り下げられないのであれば、対談は171ページで打ち切り、浮いたページに満漢全席などの歴史的宴席再現の写真を載せたほうが、よほど読者の満足度を高められたのではないか?

 この対談は、前掲の引用の通り、編集部による「日本は劣っている」という論拠なき誘導に対し、南條氏が「武士が悪い」「食が貧しくなってしまった」と応じ、議論が日本の歴史・文化批判へと偏向している。南條氏の主張は、食文化の担い手たるは中国の科挙官僚やフランスの貴族のような「支配階層」「特権階級」あるべき、との印象が非常に強い。後述の通り、日本の食文化が比較的早期に町人階級という幅広い層に「民主化」され、発展したという歴史的な優位性を認識していない。

「武士が『無学』『無教養』である」論への反論

 南條氏は、「刀なんか振りまわす者が天下を取ってしまったから」と発言している(太字引用者)。このことからも、「武士を『無学』『無教養』な者」と見なしているようだ。だが、以下の2名のように、深い知識と文化的教養を備えた武士が実在している。

徳川光圀

 
 南條氏にとって文化や学問は「中華のもの」との認識のようだ。しかし、漢学の素養が非常に深い徳川光圀は、鎖国体制下にもかかわらず、明が崩壊した際、当時最高の儒学者であり、亡命者の朱舜水を政治的リスクを冒してまで招き、師事し、日本の歴史編纂(『大日本史』)の参考にした。それとともに、ラーメンを教わったと伝わっている(出典『舜水先生文集』)。

(※『大日本史』:漢学に基づき、日本独自の歴史観を確立しようとした水戸藩の国家的大事業。元禄3年(1690年)に徳川光圀が編纂を開始し、大正13年(1925年)に完成。約235年の歳月を要した)

織田信長

 織田信長は、茶の湯を単なる教養や趣味から、「政治的権威」として戦略的に活用した最初の指導者である。信長は、価値の高い名物茶器を家臣への最高の褒賞や罰則として用いることで、茶の湯を武力に匹敵する文化的権威へと昇華させた。

 この過程で、信長は千利休を重用し、その才能と地位を極限まで高めたことが、後の侘び茶の確立と現代に続く茶道の発展の決定的な土台となった。

また、教師ルイス・フロイスの記録にも、信長の豪華な饗応料理や珍しい食材への関心が記されており、信長が最高の賓客をもてなす食の儀礼を重視していたことが分かる

 この「茶の湯の政治利用」と千利休への庇護がなければ、現代の日本茶道は確立されなかったと言える。

出典
『信長公記』
ルイス・フロイス『日本史』

南條氏への主張の反証文献のご紹介

※2026年1月20日追記
 南條氏、石橋氏、編集部には、『皇帝食』(2024年11月30日初版発行)の約1年後に出た、『戦国めし、南蛮メシ』(2025年12月26日第1版第1刷発行。音食紀行・遠藤雅司著、伊川健二監修)を読んでもらいたい。同書には、南條氏が「刀なんか振りまわす者」とこき下ろしにした、織田信長(文化・外交の軍師として千利休や津田宗及らを重用)、豊臣秀吉、徳川家康などの武士が、美食家で、首脳会談や宮中晩餐会に相当する茶会で食を外交・社交の道具と活用する姿が生き生きと描かれている。さらには、徳川秀忠・家光が、後水尾天皇を招いた「寛永二条城行幸」で、天皇に出した菓子にも触れられている。『戦国めし、南蛮めし』の詳細は、下記リンク先をご参照のこと。

エンタメ小説研究交流会
書評『戦国めし、南蛮メシ』
『戦国めし、南蛮メシ』 遠藤雅司(音食紀行) 著 伊川健二 監修 亜紀書房 亜紀書房 - 戦国めし、南蛮メシ亜紀書房刊行の書籍の紹介。社会問題を扱う書籍からビジネス書、実用書を発行
zawazawa

武士による食文化「貧困化」主張への反論

 南條氏の「武士が食を貧しくした」という主張は、江戸時代の武士の食生活の一側面のみを捉えたものであり、一概に「貧しい」と断定することはできない

 武家の食文化は、儀礼の最高峰を示す豪華な饗応料理と、格式ある教養文化として発達した。

 武士社会には、料理をもって主君に仕える「包丁侍(庖丁侍)」という専門職が存在し、魚を捌ける料理人は武士並みの格を与えられることもあった。これは、武士の社会においても料理の技術が地位に直結していたことを示している(出典:TBSテレビ「日曜九時の時代番」、Wikipedia「包丁侍」)。

儀礼の極致としての豪華饗応

 
 その豪華さは、例えば元禄14年(1701年)の事例に顕著である。赤穂藩主浅野内匠頭が命じられた、朝廷からの年賀答礼の勅使饗応の献立である。これは三汁十一菜を基本とする武家儀礼の最高峰を示す本膳料理であり、鯛や野鳥、季節の珍味を多用した極めて豪華なものであった(出典:はんだ郷土史研究会「忠臣蔵 勅使饗応料理の全て。研究者の徒労」)。

将軍による菓子の儀式

 武家社会の食への関心は、単なる食事に留まらず儀式にも見られる。江戸城では毎年6月16日に「御嘉祥(ごかじょう)祝い」という重要な儀式が行われ、将軍から大名・旗本へ羊羹、饅頭など八種類の菓子が、最大2万個も下賜された。これは、菓子を食して厄除けと招福を願う、公的な教養文化の一環であった。

 御嘉祥祝いでは、『慶長日記』などによると、徳川家康は「薬食同源」の思想に基づき、滋養強壮の効果がある嘉定餅を下賜したと伝わっている。
 
 これにちなみ、1979年に全国和菓子協会によって、毎年6月16日が「和菓子の日」に制定された(出典:戦国ヒストリー「御嘉祥祝い」、Japaaan「6月16日は『和菓子の日』」、虎屋「6月16日『和菓子の日』のルーツ」)。

 なお、御嘉祥祝いのことはじめて知ったのは、小学生のころに読んだ歴史学習漫画の徳川吉宗の巻(将軍が臣下にお菓子を配る日)だった。

現代和食への影響

 この武家文化によって確立された本膳料理の形式、作法、食材の取り扱い方、食事を通じた節度の考え方は、現代の懐石料理や和食の基本として色濃く残っており、日本の美食文化の基礎を築いたと言える(出典:ビジプリ飲食・飲食用語辞典「【近世武家の食文化とは?】」)。

料理人評価(個人と暖簾)に関する主張への反論

「暖簾(のれん)」文化の真の評価軸と老舗企業の優位性

 南條氏の「個人じゃなくて暖簾」(172ページ)という不満に対し、「暖簾」の評価は、特定の個人を超えて、特定の料理哲学や技術が後継者によって何世代にもわたり「継承されていること」、すなわち「技術の永続性」を評価する、文化的な強みである。

日本の創業100年以上の企業は全国に4万5,284社存在し(出典:帝国データバンク「全国「老舗企業」分析調査 2024年9月時点)、これは世界の圧倒的多数を占めている。 一方、中国の公的に認定された老舗ブランド「中華老字号」のうち、創業100年を超えているのは701社に留まる(出典:商務部・日本東方新報 2023年時点)。

 具体的な食文化の継承として、創業480年を超える「とらや」(和菓子)や、明治創業の「出町ふたば」(和菓子)、大正創業の「玄冶店 濱田家」(料亭)、明治創業の「和久傳」(料亭)など、食文化の継承と探求の歴史が極めて長いことが示されている。

独自の「位付け」と技術評価の存在

 
 南條氏の「個人じゃなくて暖簾」という不満や、石橋氏・南條氏の「日本だけ料理人の位付けがない」(172ページ)という主張は、日本の美食文化の評価システムを短絡的に捉えたものだ。日本の料理人に対する独自の「位付け」や「評価制度」の存在を無視したものである。しかも、両氏は中・仏の料理人の評価には具体的な言及をしていない。また、編集部も料理人の評価方法について何ら注記を付けていない

「板前」と「花板」の称号

 
 料理人の最高位の称号である「板前」や調理場の責任者「花板(板長)」といった厳格な階級制度が存在し、技術と経験に基づいた評価システムが機能していた(出典:Japaaan「『板前』は料理人の最高位の称号!その語源に込められた、おもてなしの心とは」)。

「切れ味」という評価軸

 
 生ものを美味しく食べるためにこだわった包丁技、すなわち「切れ味」を「味」にたとえる言葉が存在し、料理人の技術と味覚に対する評価が極めて高度なレベルで行われてきたことを示す(出典:wellbeing100「江戸料理・文化研究家、時代小説家 車 浮代(くるま うきよ)さん」)。

現代の「個人」評価と職人気質

 
 現代の日本料理界では、料理人個人の卓越した技術と哲学が、ミシュランガイドのような国際的な評価によって世界的に認められている。

権威的な評価を超越する信念

 しかし、日本の「職人気質」は、必ずしもミシュランの星といった権威的な外部評価を第一とはしない。複数の事例が示すように、料理人は自らの信じる料理の道を追求し、客との一対一の関係性を重視している。

 これは、極めて高い職人気質の表れであり、外部の評価よりも独立性と独自性を優先する姿勢を示している。著名な寿司店や老舗料亭の中には、ガイドブックへの掲載による予約の過熱や、自由な営業への制約を嫌い、意図的にミシュランガイドへの掲載を辞退したり、掲載基準から外れることを選択したりする事例が複数存在する。

掲載辞退の具体的背景

 この姿勢を具体的に示す事例として、長年三つ星を獲得していた「すきやばし次郎」(東京)は、一般客からの予約を受け付けないという方針を優先した結果、2020年版以降、ガイドの「一般利用可能」という掲載基準から外れた。また、「京味」など、ミシュランの星を意図的に拒否したことで知られる料亭も存在する。

 これらの事例は、国際的な評価を得ながらも、商業的な成功や権威的な評価よりも、職人としての信念と顧客との関係性を重視する日本の伝統的な「職人気質」が現代に強く根付いていることを示している。

日本の美食文化に対する国際的評価

 美食文化を牽引した担い手が「町人」であっても、その文化は現在、極めて高い国際評価を得ている。

 この「民主的な美食」の土壌こそが、日本で創業100年以上の老舗企業が4万5千社以上と世界的に圧倒的多数を占める「暖簾」文化の永続性を支えている。南條氏は、この日本の最も優れた点である文化の永続性と多様性を、「例外」として矮小化している。

ユネスコ無形文化遺産への登録

 
 2013年に「和食:日本人の伝統的な食文化」がユネスコ無形文化遺産に登録された。これは、特定の支配階級に限定されず、一般市民の生活文化として発展した日本の食文化の多様性、自然の尊重、継承性といった精神性の高さが評価されたためである(出典:文化庁「食文化(和食)の保護・継承」、農林水産省「和食の保護・継承」)。

ミシュランガイド評価からの検証

 食の探求心を測る国際的な目安の一つとして、ミシュランガイドの評価がある。その評価基準の妥当性には様々な意見があるものの、国際的な知名度を持つ指標として比較するに値する。

  なお、本書の著者略歴欄によれば、石橋氏は「ミシュラン3回獲得」とある。(太字朱字化引用者)

 また「暖簾」による評価と同様に、ミシュランガイドの評価も「店」に対するものであり、料理人個人に対するものではない。

日・中・仏の星付きレストラン総数

 2023年時点のデータ(概算値)に基づけば、ミシュランの星付きレストラン(一つ星以上)の総数は、日本が約550軒と、ミシュランの本国たるフランス(約600軒超)と並び世界トップクラスを占めている。

 一方、近年急速に掲載都市を増やしているとはいえ、中国本土の星付きレストランは約250軒前後に留まっており、日本の半分以下である。日本の食の技術レベルの高さが国際的に実証されている(出典:各都市版ミシュランガイド公開情報、関連報道より概算)。

猛毒のフグ食文化と毒性のムール貝食用化に見る探求心

 彼らの主張は、日本の食文化や食の技術進化の側面を無視していると言わざるを得ない。

 中国では古代からフグ食文化が存在したものの、中毒死の危険から衰退し、「空を飛ぶものは飛行機以外、四つ足のものは机以外何でも食べる」と評されるほど食に対する探求心を持つ中国人さえ食べることを断念した猛毒のフグを、日本人は縄文時代から食し、明治以降に厳しいフグ調理師免許制度を確立した独自の技術と文化によって、現在まで食べ続けている。これは、極めて高い「食の探求心」と「職人気質」を示すものである(出典:下関春帆楼公式情報、Wikipedia「ふぐ料理」、関連報道など)。

 フグは猛毒を持つが、非常に美味であることは一般常識である。「日本の食の探求心が低い」と言われれば、フグの例を持ち出して反論できるのは、素人でもすぐに思い付く。ミシュランの星を獲得したほどの料理人、石橋氏がこのことに触れていないのは、非常に不可解である

 編集部が171ページで「日本人の食意識」に話題をふったのは、フグを持ち出しての反論を期待してのことだったのだろうか? 石橋氏がフグを話題にすれば、第二章「材 ーー中華料理で不可能な食材はない」で取り上げられた貴重・珍妙な食材に話題が広がり、対談はより深いものになっていたのではないか?

 日本では、毒を持つ上、牡蠣いかだや発電所、船舶に被害を与える駆除対象という二重の困難を抱えるムール貝を、安定的に食用に供することに成功している。 これは、ムール貝の毒化リスクに対する厚生労働省および各自治体による厳格な貝毒検査体制を確立したことによるものであり、毒を扱う文化の深さを示すものである(出典:ムール貝を含む二枚貝の毒化リスクに対する厚生労働省および各自治体による厳格な貝毒検査体制)。

南條氏の見識の狭さ

 南條氏の主張は、下記引用の通り、中国の官僚移動による食文化交流と同様に、日本の固有な歴史的機構である「参勤交代」が、大名とその家臣団の定期的な往復を通じて、高級食文化の広範かつ恒常的な技術交流と地方の食文化の発展を担った影響を見落としている。しかも、参勤交代の制度自体は、小学校の授業でも取り上げられている。

 参勤交代は、江戸を一大消費地とする広範な食材流通網(北前船など)の発達を促し、各地の食材が江戸に集まることで、高級料亭文化(外食産業)の発展を促した。これにより、江戸料理は京料理とは異なる独自の個性を保ち続けた

 南條氏は、中国では高級官僚は癒着防止のため、出身地以外へ意図的に派遣される、つまり全国規模人事異動が行われることを指摘し、以下のように述べた。

彼らは地方に赴任するとき、コックを連れて行くんです。自分の口に合うものが食べたいですからね。それで技術の交流が起こる。(180ページ)

 南條氏はさらに、この中国の事例と対比させ、日本の状況について以下のように主張する。

 日本の場合、震災や戦災で江戸料理が滅びてからは、高級料理というとすべて京料理で、一元化されたものになっていますよね。でも、中国は違います。(180、183ページ。間に2ページ写真あり)

 中国において官僚(予備軍を含む)が文化の担い手であることと、満漢全席が中国でなければなし得ない非常に魅力的な文化であることには同意する。ただし、類似の文化が、日本その他の国でもなけらばならい理由にはならない。むしろ、「中国にしかない」との唯一無比の独自性にこそ、価値がある。南條氏の上記の発言は、満漢全席に類する文化がないことをして、「日本に食文化がない」(少なくとも中国に劣るもの)との印象を受ける。また、南條氏の「武士が悪いんですよ!」発言がなければ、氏の上記発言は、多少中国礼賛気味ではあるにせよ、「日中の食文化を対比したに過ぎない」との印象にとどまった可能性がある。

料理人・技術の交流

 大名行列には、藩主の食事を用意する専用の料理人が必ず同行し、地方の食材を江戸に持ち込み、江戸で手に入れた他地域の食材や調理技術を国元に持ち帰った(出典:yummyyummy.jp「【参勤交代、江戸江戸~】大人数&長旅の参勤交代、ごはんはどうしてたの?」、YouTube「『参勤交代』の意外すぎる事実が判明!」)。これは、南條氏が指摘する中国の官僚がコックを連れて移動したことと全く同じ構造であり、武家社会が主導した高級料理の技術交流を証明する

食材と種子の広範な流通

 参勤交代の往来により、街道筋の各宿場町で地域の特産品や食材が交換され、江戸の文化・商品が地方へ波及し、その逆も起こった(出典:note「参勤交代:江戸時代を支えた大名統制システムの全貌」)。一例として、江戸の白首大根種が参勤交代の際に持ち帰られ、紀州(和歌山県)で紀州白だいこんとして定着するなど、全国的な食材の多様化と地域ごとの高級化に寄与した(出典:tradveggie.or.jp「諸国を行き交う野菜の種」)。

献立の原型形成

 大名行列の食事は、朝夜は本陣で、昼は出発前に作った「お重」をいただくことが多く、これが後のおせち料理や仕出し弁当の原型になったとされる(出典:yummyyummy.jp)。この弁当文化は、持ち運びを前提とした高級で儀礼的な料理文化が、武家社会で確立していたことを示す

現代の多様性

 参勤交代によって築かれた食材流通と地方文化の交流は、現代の日本料理が地域色豊かな郷土料理を保持し、高級料理の世界においても「京料理」と「江戸料理」が並立する、多様な高級食文化を形成する土壌となった。南條氏が言うような「京料理への一元化」は、現代のミシュランの星の獲得状況や、東京の老舗料亭が守る江戸前の味の強さを無視した見解である

 下記の表の通り、ミシュラン掲載店数は京都府内より、東京都内が圧倒的に多い。特筆すべきは、江戸前料理の寿司・天ぷら店が、東京都内39軒に対して、京都府内は1軒であること(ただし、京都府内も寿司・天ぷら店が懐石・会席料理などの日本料理一般に含まれている可能性が高い)。また、東京と京都では人口規模5.6倍、経済規模14.4倍もの差を考えると、京都の食文化も相当健闘していて、国際的評価が高い。

 南條氏の言う、高級料理が「京料理に一元化」されたのであれば、ミシュラン掲載店数も京都183軒、東京108軒と数値が逆転していなければならないのではないか? 高級食文化で「京料理への一元化」が起きたのであれば、江戸前料理の代表格である寿司・天ぷらが独立したカテゴリーではなく、「日本料理」のカテゴリーに吸収されていたのではないか?

比較項目東京都 (江戸料理圏)京都府 (京料理圏)比率 (東京/京都)
人口 (概算)約 1,400万人約 250万人約 5.6倍
経済規模 (GDP・概算)約 115兆円約 8兆円約 14.4倍
------------
星付きレストラン総数183軒100軒約 1.8倍
三つ星レストラン数12軒5軒約 2.4倍
日本料理 (懐石・会席など)61軒36軒約 1.7倍
寿司・天ぷら (江戸前料理)39軒1軒約 39倍
出典:ミシュランガイド東京・京都/大阪 2024年版公表データに基づく、人口・GDPは概算値。

第六章対談における編集部の問題点

 第六章における編集部の問題点は、次の3つである。

1、核心テーマを逸脱させ、議論を偏向させた誘導的な問い

 
 第六章の章名は「満漢全席の記憶ー対談 南條竹則×石橋幸」。にもかかわらず、編集部は本書の購入目的である「満漢全席」や「中国の食の歴史」といった核心テーマを掘り下げず、「日本では食意識が低い」という誘導的かつ論拠の曖昧な問いを唐突に挿入した。この一言により、対談は南條氏の「武士が悪いんですよ!」という強い口調の日本文化批判へと偏向し、読者が最も求めていた中国食文化の深い知見が失われた。

2、小見出しと乖離した、ネガティブな経験談への終始

「食は人生を変える」(170ページ)という小見出しを付けながら、対談内容は「人生には良い食が必要」という大雑把な概念に留まった。編集部は、南條氏や石橋氏の食によって人生の転機を迎えた具体的でポジティブな実体験を引き出すことができなかった。結果、対談にはいくらかはポジティブな思い出話があったとはいえ、「昔は良かった」「今の若者は意識が低い」といった一方的な説教的な論調に終始し、読者の共感や学びを得る機会を逃した。より共感できるような、「先輩に連れて行ってもらった高級店の味に感動した」「お金がない中で無理してでも通った店の味が忘れられない」という感じの思い出話を引き出してほしかった。

3、主題の深掘りを放棄し、絶版本へ丸投げした責任

 進行役は、南條氏を「満漢全席を再現するに至る」まで中華料理に傾倒させた原体験を引き出すことをせず、実質絶版である南條氏の小説『満漢全席』『寿宴』にその説明を「丸投げ」した

 また、自ら提示した「私は石橋さんに、料理が文化であると同時に、統治と健康のためのテクノロジーであることを学んだ気がしているのです」(188ページ)という論点についても、健康については曲がりなりにも話題に上ったが、国の食文化が「公的な文化教養」として統治に果たした具体的役割を深掘りすることがなく、「中国すごい」という抽象的な賛美に終始した。

 これは、対談という形式の役割と責任を放棄したに等しい。江戸時代の「御嘉祥祝い」「勅使饗応」のように、中国でも皇帝が臣下や外国使節に菓子を配ったり、饗宴を催したりする例を、南條氏、石橋氏へ問うべきだった。

 徳川光圀と朱舜水との関係といえば、ドラマ『水戸黄門』の中で、光圀が自ら麺を打ち、ラーメンを助さん、角さんらに振る舞うシーンが、多くの日本人に親しまれた有名なエピソードとして認知されている。

 にもかかわらず、編集部は、自ら『皇帝食』の略歴欄に記した南條氏の『中国文人食物語』で示された傾向を知りながらも、議論の質を放棄したのである。

 その傾向とは、南條氏のくどくどと愚痴を書く傾向、中華礼賛、「昔は良かった」という論調はかなり鼻についたが、その水準は本書ほどひどくはなく、何とか読める程度にとどまっていた、というものであった。

 編集部は、この思想が安易な日本批判へ転化する際のリスク管理や、徳川光圀と朱舜水との関係、参勤交代といった適切なカウンター論点を準備しなかったのである。

第六章の総括

 本項で示した反証材料を使えれば、石橋氏とともに満漢全席のような歴史的宴席の再現を繰り返した南條氏(160ページの発言)から深い中国食文化史の知見を引き出し得たかもしれない。単なる「日本下げ」ではなく、正当な日中食文化史比較になり得た可能性があったのではないか?

 第六章の対談を総括すると、以下の通りになる。上記の通り貴重な経験を繰り返した南條氏は、最高の知見という「美味」を持つが、その傾向が議論を破綻させかねない「毒」にもなり得るフグに似ている。南條氏と石橋氏、そして「則天武后の宴席献立表」といった最高の材料がそろっていたにもかかわらず、その最高の材料が、その「毒」を扱う技術を持たない誤った料理人(編集部)にわたり、誤った調理(編集)の結果、激マズ料理にされた。

 この対談が、対談者(本書の場合、南條氏)に主導権がいく「対談」でなく、編集部が主導権を持つ「インタビュー」にできなかったのか? 「対談形式」のため、進行役が裏方に回ってしまい、本書の著者石橋氏と監修者南條氏という「身内同士」の対談であることもあり、171ページの進行役による「日本の食意識に関する問い」、それを受けて、机をたたいてまで南條氏が「武士が悪いんですよ!」(172ページ)と応じてしまった。これにより、この箇所以降の対談は「呑み屋での愚痴の言い合い」なってしまった。

「対談形式」を採った以上は、本項冒頭で指摘した通り、「武士が悪いんですよ!」とそれを引き出した「日本の食意識に関する問い」以降の対談を削除していれば、本書に対しては、現状よりは肯定的に評価できた。

 インタビュー形式であれば、171ページ以降の対談に、論理矛盾に伴う強烈な違和感を覚えることもなく、編集部が第六章、ひいては本書全体の肝心な部分である「満漢全席に関する話題」を、南條氏作の小説『満漢全席』『寿宴』の丸投げされることもなかったはず。さらには、編集部、南條氏、石橋氏の信用維持に資するものになったはずである。
 
(大幅改定2025年11月10日-13日)

『皇帝食- 不老不死を求めて 古くて新しい“生命の料理”哲学』
石橋幸(龍口酒家) 著
南條竹則 監修
スローガン

ドラコン
作成: 2025/11/10 (月) 17:59:19
最終更新: 2026/01/21 (水) 00:19:44
通報 ...