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3、キリスト教、西洋近代文明の押し売り、住人のプライベート空間への侵入ではないか? との疑問
キリスト教、西洋近代文明の押し売りし、住人のプライベート空間への侵入しているのでは? との疑問も感じた。バード女史は、中国人の礼儀、道徳、文明を論じていた。私は、バード女史にこのように問いたい。
「バードさん、あなたは中国人から見て、慣習と礼儀にかない、道徳的・文明的振る舞いをしていましたか?」
すでに詳述したように、「覆いのない轎」に乗り続けるという、現地民からすると「憎悪」の対象になる行為を繰り返していた。これがどうしても疑問である。
本書は、バード女史自身による序の末尾「本書を中国と中国問題に関する世論の形成に役立つ資料作成の真摯な試みとして受け入れていただければ幸いである」と、2巻の訳者解説の「3 中国と朝鮮の旅をめぐる仮説――中国旅行記の理解と鑑賞のために」を読むと、先に読んだ『ロッキー山脈踏破行』『チベット人の中で』とは異なり、英国政府への対中政策(特に通商関係)、宣教師への対中伝道の「助言の書」では? と感じている。実際、1巻には貿易統計が付録として付いているし、四川省入りしてからも「どうすれば英国製品が受け入れられるのか?」との記述もある。そして、2巻第三十九章の章名が「中国のプロテスタント系伝道会に関する覚書」。
『ロッキー山脈踏破行 』はキリスト教国で、西洋近代文明国のアメリカが旅先なので感じなかったのは当然としても、西洋文明国のキリスト教徒からすれば「未開の地」である旅で、キリスト教伝道の記述の多い『チベット人の中で』でも、バード女史によるキリスト教、西洋近代文明の押し売りは特に感じなかった。『チベット人の中で』では、非キリスト教徒からも大変慕われている現地駐在の宣教師が同行していたとはいえ、橋のない増水した川を、村人総出、かつ命がけで、バード女史一行を渡してくれたことを見ても、バード女史の人徳を感じられたのだが。
だが、本書ではずいぶん印象が違う。バード女史が中国人に対して厳しい見方をするのは当然ではある。だが、2度も襲撃を受け、2度目では重傷を負わされたにもかかわらず、中国人への憎悪をあらわにしない極めて公正なバード女史をして、それが人道的善意に基づいていたとしても「未開の野蛮人は、キリスト教と西洋近代文明で教化されなければならない」との考えを持っているように感じられる。西洋近代文明国のキリスト教徒と東アジアの多神教・多宗教文化とでは、どうしても越えられぬ壁を感じ、根本の部分では相容れないものを禁じ得ない。
バード女史はこのように書いている。
布教の仕方や教会の建築、宣教師の住居に外国の要素があること。また、仕方ない面もあるのだが、中国人の慣習が無視されることによって、どうしてもキリスト教は「異国の宗教」とみなされたり、いつまでも不健全な外来物のままにとどまる結果になってしまうのである。思うに、非常に重要なことは、キリスト教が中国の国民生活に害とならないものとだけ結びつき、中国の国民性を支持し、我々の導き方と中国の導き方を合体させることである。また、キリスト教精神に反しない慣習はすべてまもっていくようにすべきである。(2巻第三十九章336~337ページ)
上記引用文、特に引用者において太字にした部分は、以下に引用する箇所との矛盾を感じる。中国の慣習が「キリスト教精神に反」する場合はどうするのか? 既存の慣習・信仰を、「迷信」として否定的に見ることは、「中国の国民性を支持」することにはならないのでは? むしろ、中国人に対する「敵意」ではないか? 中国人の祖先崇拝を、「この慣習は、子が親を思う優しく麗しい感情に発するものであろうが、明らかに主として恐怖心によって起こされてきている」とまで書いている(2巻第三十九章327ページ。太字は引用者)。このように中国の慣習を否定的に見ていて、キリスト教や西洋近代文明が真に中国人に受け入れられるのであろうか?
なおバード女史の中国(アジア全体を含む)の宗教への考えや、伝道感が分かる箇所なので、中途半端な引用では分からなくなる。なので、3ページほどとかなり長いが引用させていただく。もっとも、両方とも「宣教師向け」に書かれた箇所ではある。
伝道活動を活動家[宣教師]とその部会社両面から丹念に調査し、中国人改宗者の現状や品行を、二〇年前に私が中国に立ち寄った当時のものと比べているうちに、私は中国のプロテスタント系伝道会に関して若干の考えを持つようになった。それをここで読者の方々に手短に述べてみる。今や伝道会はこの帝国を目覚めさせるのに非常に重要な役割を果たしているので、分別や思慮のある人ならば、伝道会を無視できない。もし無視すれば、その分別や思慮深さについて評判を落とすことになるだろう。この問題については自分の考えを敢えていえば、私は外国での伝道活動に特に熱心というわけではないものの、「全ての国にキリスト教を教えること」が義務であり、希望への道であると心から信じるものである。
[都合]八年に及ぶアジアの旅の最初[一八七八年の日本の旅]の頃は、この主題にはほとんど、あるいは全く関心がなかった。伝道会や宣教師を鼻であしらうのを楽しんでいたふしさえある。そんな私に、英国とアジアの地域社会で健全な精神を求めて過ごしていることの多い彼らは、私が半時間にわたって真面目に調べても、その仕事や方法について何も話してくれなかった。私の方でも、旅にあっては、可能な限り伝道会の拠点を避けていた。
しかし、後半の旅[一八八九年の小チベットの旅](引用注。前掲『チベット人の中で』)で、住民の日常生活に触れながら何カ月にもわたって過ごすようになると、彼らが最もよい時でさえ実に悲惨な状態に置かれていることに胸を打たれた。そして、偉大な方法[キリスト教への改宗]によってこの状態をよくすることが我々の義務であると考え直すようになった。キリスト教に由来する諸々の天恵をこれらの国の人々に伝えることをが明らかに我々に課された義務であると考え直したのである。その天恵とは次のようなものである。永遠なる神の信頼。父なる神の認識。男らしさ・女らしさに関するキリスト教の理想像。また、敬虔な家庭生活や社会生活を結ぶ上での最良の考え。政治的自由。女性の地位。我々の公平で戒律の尊厳の不滅なこと。我々の処罰の矯正的側面。さらには、正義を支え、悪を非難するキリスト教によって広められた世論そのほか幾多のこと――これらを我々は何世紀にも及ぶ「イエスの教え」の歴史の中で我々のものにしてきたのである。我々自身にとって都合のよさだけに満足してそれを甘受し、中国を実際には一つの貿易相手地域としか見ないのは、キリスト教精神に反した利己主義の極みに過ぎない。このことは申し分なき主キリストに対する不義と背信の極みではなかろうか。主キリストが最後におっしゃったことは何世紀にわたっても我々の耳に響いてきたのに、我々はそれを実現せぬままに満足してきたのではなかろうか。
私は、私が目にした宣教師の善行はむしろ、それがいかに必要とされているかということと、アジアの絶望的な宗教制度に強く心を動かされた。いくつかのアジアの宗教、とりわけ仏教は、当初その時代のものとしてはきわめて進んだ崇高な考えと道徳性を備えていたが、何世紀にもわたって変遷する間に素晴らしさを失ってしまった。そして中国では、仏教は今や未開の国々の邪教程度のものになっている。在来の鬼神信仰や自然崇拝、偶像崇拝を大いに取り込んだためにこれらとの融合を生じ、この結果、幼稚な偶像崇拝や妖術まがいの者がはびこり、寺院は怪物のような奇怪な偶像にあふれ、僧侶は徳を失い、高潔な教えは今は影をひそめてしまっている。このような構造が堕落の度を強めていく傾向を阻止するすべは全くない。何を生み出すこともなくなっているのに、依然として強い力を保ってこの国の社会生活と関連し合っているのである。〈アジアのどの宗教にも復興の力はない〉。そして、あちこちに公正さを渇望して、「私たちすべてのすぐ近くにおられる」主キリストを求める人々がいながら、アジアのどの宗教もそのような人々に導きの手も援助も差し伸べないのである。(2巻第三十九章327~330ページ。太字は引用者)
ここまで仏教寺院に否定的な見方を書いておきながら、旅の最中には中国の寺院を訪れている。そこでは「何を見たか」を感情を交えず、淡々と事実を記述していた。ここにもバード女史の言動の矛盾を感じる。
本書全巻を通してだが、「キリスト教と西洋近代文明が『知的で道徳的で正しい』」を大前提に、それを基準にして、「未開の野蛮国」を「知的か?」「礼儀正しいか?」「文明的か?」を判定しているように感じられてならなかった。バード女史は、「仏教は堕落した」と書いていたが、何をもって「堕落」と見えたのだろうか? 19世紀末時点で非キリスト教徒から見て、キリスト教が堕落してなく「清い」存在であり、今までの信仰や慣習を捨て改宗するほど魅力があるものと断定できるのか? 礼を備えて「道徳的」なものなのか? キリスト教に無知な私からすると、バード女史の宗教観はよく分からない。
訳者解説・あとがきでは、バード女史にとってキリスト教伝道が極めて重要なものと強調されていた。だが、「バード女史にとってのキリスト教伝道とは何か?」「亡き妹の名を冠した伝道病院建設の地を中国奥地に選んだ理由は?」「対外感情が極めて悪い時期になぜ中国奥地を旅したのか?」との疑問を禁じ得ない。訳者解説では、直近の朝鮮旅行を「英国政府の委託による調査活動では?」のとの仮説を立ていた。極東にいて、そのついでに足を延ばしたにしても、「ついで」の域をはるかに超えている。
バード女史にとっての伝道とは、単にキリスト教徒の数や、教会の数を増やすことではなさそうではある。伝道に対する態度は穏健なもの。だだ、それでも「キリスト教押し売り」との感があり、鼻につくが。田舎の農家に泊まった際、好奇心から地元の女性たち30人の訪問を受けた際にこう書いている。
私は、私の知る東洋のどの国の女性よりも中国の女性が好きである。彼女らには多くのよい素質があるし、気骨もある。もしこのような女性がキリスト教徒になれば、きっと完璧なキリスト教徒になるであろう。親切心にあふれているし、大変慎み深くもある。また、忠実な妻であるし、彼女らなりによい母親でもある。(1巻第二十四章412ページ。太字は引用者)
バード女史は「きっと完璧なキリスト教徒になるであろう」とは書いても、「キリスト教徒にならければならない」「彼女たちをキリスト教徒にしなければならない」とまでは書いていない。また、当該箇所を読む限り、この場ではキリスト教については話題は出ていないし、バード女史が改宗を勧めることもしていない。
本書では、高らかと「○○宣教師は何人の中国人を改宗させた」「何軒の仏教寺院、孔子廟、道教寺院を破壊した」「何軒の教会を建てた」とは書いていない(少なくともそのような印象は持たなかった)。キリスト教の伝道というと、改宗者数、破壊した他宗教施設数、建設した教会数をほこるイメージがある。
博識・公正なバード女史も、「門前の小僧」どころか「牧師の娘」。キリスト教的価値観を持たぬ人は「不幸な人」「かわいそうな人」なのだろうか? バード女史が望んでいた伝道とは何か? ことごとく仏教寺院、道教寺院、孔子廟が破壊され、キリスト教会となり、中国人全てが祖先の位牌ではなく、十字架を拝むことなのか? それとも、インド以東、特に東アジア(中国・日本)の多宗教・多神教文化(日本の神仏習合)に合わせて、儒教・道教・仏教の「三教」にキリスト教が加わる「四教」になることだったのか? つまり、同一人物が儒教・道教・仏教を掛け持ち信仰する中に、キリスト教が加わることを認める姿勢なのか? 東アジアの多宗教・多神教文化では、日本の神仏習合のように、他の宗教との「掛け持ち信仰」を認める宗教でないと、定着は難しいのでは?
「結論」の章では、「西洋の酵母」との節を設け、西洋の知識、キリスト教が中国の発展に役立つことを高らかとうたい上げている。
西洋が発明した機械の数々や蒸気船・鉄道・ガス・電報・蒸気機関・浚渫船・大砲・魚雷・精密兵器・海底電信・蒸気捺染・写真、また、西洋の外科医術や外国人居住地[租界]の美しさと、すばらしい市会[工部局]、さらには際立つ富――これらすべては、これらに触れることになった人々の自惚れを打ち砕いてきた。中国人はいまや電信線を利用したり、多くの汽艇を所有して運航したり、我々「西洋式」の病院に医学生として入ったり、芸術的センスには欠けるものの、〈技術的〉にはほぼ完璧なすばらしい写真を撮ったりしている。中国人の所有・経営になる工場もあちこちで興っており、そのうちには成功すると思われる。「招商局」は揚子江下流の大きな定期客船会社の一つになっている。
すでに述べたように、内陸でも外国人の家族が何年にもわたって住んできた。その国籍はいろいろだが、全員が一つの見えざる神の信仰者だった。このような人々は奥地に、灯油ランプ、石鹸、黄燐マッチ、蠟軸マッチ、加糖練乳や缶詰類、ミシンそのほか多くのものを持ち込んだ。このうち、灯油ランプは中国社会生活の変革に大きく与り、ミシンはすごい数の仕立て人に導入された。そしてすべてのものがそれぞれの有効性を認められ、中国人は「未開人」[夷狄]の能力を認めざるをえなくなった。
(中略)
最後になるが、決して軽視できないこととして、西洋の学術書や歴史書、キリスト教の書物が流布したことを挙げておきたい。軽視できないのは、これらの流布がこの国の知識指導者やふわわしい指導者に影響するからである。これらは、[中国という]「粉全体を発酵させる西洋の酵母」なのである。皇帝や改革のための種々の勅令を発布し、その後の復興運動にもたいして影響されなかった。そして、これらの勅令(一部は時期尚早で賢明ではなかった)の発布は、皇帝が以前から西洋の書物を熱心に読んでいたことに直接結びつくことには疑問の余地がない。(2巻「結論」354~365ページ。太字は引用者)
博識・公正なるバード女史をしても、西洋近代文明とキリスト教に関する「自惚れ」を禁じ得ない。
また、本書に持った違和感の一つ、「バード女史とはこんな人だったっけ?」は、この引用箇所と、先に引用した2巻第三十九章327〜330ページの部分で、ある程度理解ができた。邦訳が確認できなかったマレー半島、ペルシャ、モロッコの旅を目的に、本書以前に読んだバード女史の伝記『イザベラ・バードーー旅に生きた英国婦人』(パット・バー著、小野崎晶裕訳、講談社学術文庫)でのバード女史は、「大英帝国の『ご威光』と蒸気船・スエズ運河などの『西洋近代文明の恩恵』で旅ができているのにもかかわらず、それを毛嫌いする。そして、旅先の人々に『西洋化・近代化することなく純朴のままでいてほしい』と言う人」との印象が強かった。
本書では、キリスト教・西洋近代文明礼賛とまではいかぬものの、中国その他「未開の地」に対し、「西洋化・近代化・キリスト教化してほしい」と言う。
また「第三十八章 ケシとその利用」では、中国人のアヘン中毒を詳述し、バード女史はこのように締めくくっていた。
中国はどのようにして急速で増大しつつあるアヘン常用癖から自らを解き放つのであろうか? これは、この民族のこれまでの驚くべき活力を奪い取りつつあるのである。(2巻317ページ)
英国がアヘンを中国に持ち込み、結果的にアヘン戦争につながったことにまったく触れていないどころか、「中国におけるアヘンの栽培と利用の歴史について触れるつもりはない」と逃げ口上を打っている。一応、インド産アヘン(原著刊行当時、インドは英国領)が中国で輸入されていることには触れてはいる。だが、アヘン戦争に触れた上ならともかく、英国人がこれを言える義理はあるのか? 本旅行は、英国首相を通じて清国政府の旅行許可を取得しているので、アヘン戦争には触れることができなかったのか? 英国人のアルコール中毒には触れられているので、それほど「一方的」ではなかったが。
バード女史の伝道観、西洋文明押し売りについて、訳者には解説・あとがきでより深堀してほしかった。
本書が19世紀末の長江流域・四川省の模様を知るには超一級の史料ではある。ただ、最近の日本では、外国人旅行者による観光公害が深刻化している。その中で本書を読むと、その克明な観察・記録のために、外国人が歓迎されていないどころか、強く憎悪されている所へ行き、住民の生活を観察することは、客人のために用意されている「客間」ではなく、寝室・書斎などの「住人の極めてプライベートな空間」に押し入るものではないか? と感じてならなかった。バード女史の旅行記『ロッキー山脈踏破行』『チベット人の中で』は、日本での観光公害が深刻化する前に読んだこともあり、このような疑問は感じなかったのだが。
また、バード女史は1巻第十九章320~324ページで、町の宿での「持ち物を盗まれる」「部屋に隣室から穴を開けられて覗かれる」「宿の女房」など女性たちからの「持ち物吟味、質問攻め」を以下のように憤慨している。
漆喰の壁をそろそろと削って穴をあけられることだった。特に、穴が一つしかない場合だと、壁の向こう側から本当に腹立たしいひそひそ話が聞こえてくるや、違う人間が入れ替わり立ち代わりその穴から覗き込んではひそひそと話したりくすくす笑うのがわかった。こんな時には必ずや、その穴に連発拳銃の銃口か洗浄器の口を向けてやりたい気持ちに駆られたものである! 時には、漆喰の大きな断片が私の部屋に落ちてきて、誰の仕業かわかったが、犯人は無知な苦力(引用注。人夫)よりは、きちんとした身なりの旅行者であることが圧倒的だった。(332ページ)
私はまた女ものの中国服を着、日本の〈人力車夫〉がかぶっているたびに最適な帽子をかぶり、英国製の手袋をはめて英国製の靴をはいていたが、このいわば「ごった煮」が、彼女たちのしゃくの種だったのである。彼女たちの質問はまことに軽薄だったし、好奇心は異常なまでに知性を欠いていた。この点で日本人の質問とは好対照だった。ここには、していることに目新しさも多様性もなく、食べることと書くことだけをしている人間(引用注。バード女史)を何時間にわたってじろじろ見ることに費やすという、大人としての異常なまでの無神経さが見てとれた。ところが、一般大衆の好奇心は、田舎者的なものではあったが侮辱的ではなかった。これに対し、彼らよりも階層の上の人々、とりわけ文人階層の連中の好奇心は残酷で侮辱的だった。そして、外国人に対する敵意をかき立てる傾向があった。
夜になって自分の部屋がほとんどいつも完全な「暗室」になったので、私は部屋で写真の現像を行ったが、そんな時に、隣の部屋の人間が壁に穴をあけるのに成功して明るい光が部屋に入ってくることほど腹立たしいことはなかった。貴重なネガに取り返しのつかないほどの「かぶり」をこうむったからである。(323、334ページ)
ここまでするか!? との感じで、この憤慨はもっともではある。ただ、言葉は悪いが「珍獣(中国人)を見物しに行ったら、逆に『珍獣として見物された』」との印象も持った。また、知識層の多い都市よりもそうでない田舎、旅前半の漢族の地域よりも、旅後半のチベット人の地域のほうが、敵対性や「珍獣」扱いされる度合いが少なく、自然に接してもらいやすかったのが印象的だった。
さらに、本書が「現代の旅行系動画」とすれば、観光地でもなく、旅行者が来ることを想定していない、ごく一般的な住宅街で撮影するようなものではないか? バード女史はいわゆる「迷惑系配信者」ではない。ただ、友好的に撮影できたとしても、そのような動画が多く再生されれば、安易にマネをする配信者が出てこないか? 特に「迷惑系配信者」をおびき寄せる結果にはならないか? との懸念を持ってしまった。
本書を読んでいると、バード女史の細かな観察・記録故に、ドラえもんの透明マント・石ころ帽子を使って、他人宅に侵入し、住人の生活を「観察」している気分になった。どうにも気まずいというか、据わりが悪い感じがする。
本原著刊行当時なら、時間・費用をとっても簡単にマネできることではない。さらには、バード女史が清国政府より高官待遇の旅行許可(この旅行許可はバード女史の安全を保障することにはなっていたが、十分な機能はしていなかった。だが、この許可のおかげでケガぐらいで済んだのではないか?)を得られたのは、英国首相に伝手があってのこと(2巻第三十一章163ページ)。「迷惑配信者」がマネしたくてもマネできない状況で、それを懸念し、対策する必要がなかったことは幸いである。
1巻第十六章274、275ページでは、「文人の無知」について憤慨していた。中国の文人たちが世界を知らないのに比べて、バード女史のほうが誤解が皆無ではないにしろ「中国を知っている」。
〈文人階層〉の多くの人々の無知さ加減はひどい。それは宿坊での会話の中にとめどなく現れてくる。軍のある高官は、劉を頭とする黒旗軍[清末の将軍劉永福が創設した軍事組織]が台湾から日本人を駆逐したとか、劉が神々に誓った誓いと祈りが功を奏して台湾海峡が大きく口を開いたとか、ロシア、イギリス、フランス、日本の海軍が戦禍に広く巻き込まれ、やられてしまったとか言って憚らなかった!
(中略)
彼らは、英国女王が中国に従属しているとか、わが国の大臣が貢ぎ物を捧げようと北京に滞在していると思っている。また、女王が皇太后[西太后]の六〇歳の誕生日に送った贈り物が、この儀式のための特別な貢ぎ物だったと思っている。
彼らはまた、先頃アメリカの使節団が成都に滞在していたのは、この前の暴動でアメリカ人が蒙った財産上の被害を査定するのが目的だったのに、新しい太守が就任したのを祝って派遣されたのだと信じていた!
また、華北でも聞いたことがあったが、こんなことを言う文人も多い。曰く、中国の外には五つの王国があってイエス・キリストという百姓上がりの皇帝の下に統治されている。曰く、そのうちの一国には犬顔族(引用注。本書原注・訳注によると「犬を神として崇める」中国の部族のことと思われる)が住んでいる。曰く、別の国で一人の女が二人の夫をもち、女の胸には穴が一つ空いていて、旅をする時には二人の夫がそこに棒を突き刺して運ぶ! またこんなことも言う。曰く、宣教師が万や保寧のような僻地へやってきて住んでいるのは、中国の偉大さの秘密を探り出し、魔術によって破壊するためだ、と。さらに、宿坊には一枚のアジアの地図がかかっているのだが、トンプソン氏は、それを見た訪問者が「この「外国の悪魔(〈洋鬼子〉)を見ろ! 奴らは中国を地図の上でこんなに小さくしやがった! やつらの神をまどわすためだ」と喋っているのを立ち聞きしたことが何度かあった。
確かに文人たちの当時の国際情勢の認識が、滑稽なほどトンチンカンで笑ってしまう。ただ、トンチンカンな認識でも、外国人への危害を防ぐ意味でも「誤解」させておいたほうが良かったのでは? という気もする。その理由や背景について、十分な観察・分析がなかったのはもどかしい。また、本原著刊行当時の一般の英国人たちは、中国の文人たちを笑えるほど「中国を知って」いたのだろうか?




