エンタメ小説研究交流会

書評『戦国めし、南蛮メシ』

0 コメント
views

『戦国めし、南蛮メシ』

遠藤雅司(音食紀行) 著
伊川健二 監修
亜紀書房

亜紀書房 - 戦国めし、南蛮メシ
亜紀書房刊行の書籍の紹介。社会問題を扱う書籍からビジネス書、実用書を発行する出版社。
Akishobo

●総評

 著者遠藤氏のXで「大航海時代の料理史本を執筆している」とのポストが流れてきて、『食で読む東方見聞録』(山川出版社)がマルコ・ポーロの行程に沿って料理を紹介していたので、「大航海時代の航路に沿って、欧州、インド洋、東南アジア、中国・日本、新大陸各地の料理が紹介されるのか?」と感じていた。実際には、「南蛮人の宣教師に記録された『戦国めし(日本料理)』」と、「天正少年遣欧使節団によって記録された『南蛮メシ(欧州料理)』」の対比本だった。

 当初の期待からは微妙に違う部分もあるが、テーマを絞っただけに個々の料理に掘り下げられていること、レシピ付きなので具体的な材料が分かること、レシピが記されていている料理すべてにカラー写真があることが良い。

 故に、日欧の食習慣の対比が非常に分かりやすい。
 
 日欧ともに、食による饗応が重視されていることがよく分かる。特に、日本側の登場人物は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など、そうそうたる顔ぶれであり、彼らが社交・外交の場としての茶会をはじめ、食に深い関心があることが記述されている。

 これは、下記リンク先の書評で詳述した通り、『皇帝食』(石橋幸著、南條竹則監修、スローガン)の「第六章」の石橋氏と南條氏との対談で、南條氏が「武士を食に無頓着で、無学・無教養な者」とこき下ろししたこととは、対照的である。

対談の書評はこちら。「対談における偏向的論調と主張への批判的検証 — 日本の食文化に対する論調の偏向と、その背景にある「中華思想」 — 書評『皇帝食 - 不老不死を求めて 古くて新しい“生命の料理”哲学』」

エンタメ小説研究交流会
対談における偏向的論調と主張への批判的検証 — 日本の食文化に対する論調の偏向と、その背景にある「中華思想」 — 書評『皇帝食 - 不老不死を求めて 古くて新しい“生命の料理”哲学』
対談における偏向的論調と主張への批判的検証 — 日本の食文化に対する論調の偏向と、その背景にある「中華思想」 — ※この項が長くなり過ぎましたので、本編に入
zawazawa

対談以外の書評(本編)はこちら。「書評『皇帝食 - 不老不死を求めて 古くて新しい“生命の料理”哲学』」

エンタメ小説研究交流会
書評『皇帝食 - 不老不死を求めて 古くて新しい“生命の料理”哲学』
『皇帝食 - 不老不死を求めて 古くて新しい“生命の料理”哲学』 皇帝食 ── 不老不死を求めて 石橋幸(龍口酒家 チャイナハウス)SLOGAN 石橋幸(龍
zawazawa

 また、天正少年遣欧使節団も、各地で賓客として遇され、ごちそうでもてなされていた。

●津田宗及の紹介について

「戦国めし(17)串焼き法で炙った鱒焼き」で、織田信長が津田宗及一人を招いた茶会(一亭一客)を開き、信長自らご飯のおかわりをよそった、とあるのを見て、本当に驚いた。「堺の茶人・商人」程度の紹介でしかなく、「津田宗及って誰!?」「信長から何でこれほどのもてなしを受けたのか!?」だった。

 本書には、ポルトガルの宣教師ルイス・フロイス、徳川家康が信長自らの給仕を受けたことが明記されている(64、65ページ)。南蛮の賓客や重要な同盟相手が、信長の給仕を受けるのには納得できる。また、本書には信長の給仕を受けたとは書いていないが、信長自らが給仕する相手が、同じ茶人の千利休や有力な公家であれば、不自然ではない。

 調べてみると、津田宗及は以下のような人物だった。そして千利休と比べて、現代における知名度は、はるかに劣る。

「織田信長の茶の湯の師匠にして、文化・外交・情報面の軍師、堺の政商。千利休とは信長家臣として同僚かつ好敵手の関係」

 なので最低限、この程度のことは書いておいてほしかった。これぐらいの情報がないと、宗及が分からないし、信長の強い敬意も違和感でしかない。

 それに、「宗及のための茶会はなぜ開かれたのでしょうか」(85ページ)とあったものの、その答えは書いてなかった。2回の茶会を経て、信長自らが給仕をした茶会が開かれた、とあったのみだった。

 信長が給仕した、宗及ための一亭一客茶会の経緯や目的、宗及にもっと踏み込んでほしかった。

 よほど「信長自らが一介の茶人・商人のおかわりをよそった」ことが、遠藤氏にも衝撃的だったのだろう。「信長の給仕」相手として、フロイス、家康も特筆はしている。だが、『宗及茶湯日記』の当該箇所の原文を引用し、82ページの宗及のイラストには「ごはんのお代わりも上様がしてくれた」とのセリフまであり、宗及は前二者を上回る強調ぶりだ。
 
 それ故に、宗及が信長に一対一の茶会に招かれた経緯・目的、信長と宗及との関係の認識が吹き飛んでしまったのではないか?

●寛永二条城行幸の記述について

「後水尾天皇が徳川秀忠・家光の招きに応じて二条城へ行幸」(169ページ)の一文が、なぜ「戦国めし (38) あるへいとう」の項にあるのか? 寛永二条城行幸はその行幸で出された「戦国めし (40) 雪餅(日本のボーロ)」の項である。なので「雪餅」の項を読んでも、行幸のホストが秀忠らしい、とは思っても、「秀忠だ」とまでは確信が持てなかった。

 巻頭の登場人物一覧に書いてある家康の没年と、寛永二条城行幸の年号を突き合わせれば、家康没後であることは分かる。だが、いちいちそこまではしない。戦国時代の本なので、家康の存命中か、没後かの別がはっきり分かる書き方をしてほしかった。「秀忠・家光の招きに応じて二条城へ行幸」の一文が「雪餅」の項にあれば、迷うことはなかった。

 また、せっかく寛永二条城行幸を取り上げるなら、「雪餅」以外の行幸で供された料理の詳細も取り上げてほしかった。

●「料理史年表」について

「料理史年表」は、年代順に並んでいない本文の料理を「年代順に並べ替えただけ」である。なので、桶狭間の戦い、長篠の戦、安土城完成、本能寺の変、秀吉の太閤就任、関ケ原の戦い、大坂の陣など、主要な出来事がまったく書かれていない。年表を見るだけでは、その料理がどの出来事の前後のものなのかが分からない。本文を注意深く読む必要がある。もっと丁寧な年表にしてほしかった。
 
 

ドラコン
作成: 2026/01/19 (月) 21:06:03
最終更新: 2026/01/21 (水) 00:21:56
通報 ...