幻想体はねじれと違い、個人(の苦痛)という具体性がないのが大きな特徴。ねじれが最終的に幻想体になるということは、自我が普遍的に抽象化し、希薄になっていくということだ。つまり、イサンは思索を巡らしているが、この縛られた王には幻想体になる前の個人的な惨劇の記憶も理由ももうないということ。
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幻想体はねじれと違い、個人(の苦痛)という具体性がないのが大きな特徴。ねじれが最終的に幻想体になるということは、自我が普遍的に抽象化し、希薄になっていくということだ。つまり、イサンは思索を巡らしているが、この縛られた王には幻想体になる前の個人的な惨劇の記憶も理由ももうないということ。