採点対象となる投稿を締め切りました。今回もありがとうございます。
今回の講義では、ゲシュタルト心理学や人間の物に対する認知についてなど学んだ。ゲシュタルト心理学とは、人の精神はある一部分や要素から成り立つものでないため、全体性や構造を重視するべきという考え方の心理学である。一般的には、ゲシュタルトの法則けゲシュタルト崩壊などが日常生活では聞き覚えがあるだろう。現在、ゲシュタルト心理学の原則は日常のさまざまな場面で活用されており、パラパラ漫画やグラフィックデザイン、テレビのリモコンなどで使われてることを調べで見て知った。人間の物の認知に対する認知については、形や大きやへの認識によって行われていることを知った。講義中はルンバなどの例を用いて説明されていた。人間が何かを認知するのには、能動的に動かす必要があり、そうすることによって人は自分の体の一部とし、物の長さや大きさ、重さや形状を知覚することができるのだと学んだ。
今回の講義でゲシュタルト心理学について理解が深まった。自分で調べた日常的な例についてパラパラ漫画が挙げられた。パラパラ漫画は一枚一枚は動かない絵(部分)が、連続してみると(全体)動いて見えるということである。これがゲシュタルト心理学の中にでてくる「仮現運動」と呼ばれるものの一つということが分かり、この「仮現運動」は初めて聞く言葉でそこからさらに様々なキーワードと関連付けられてることもわかった。ゲシュタルト心理学はこれまでの心理学史には欠かすことのできないものなので、機会があれば授業で話されなかったところも調べてみたいと思った。そしてアフォーダンスという言葉も自分の中では印象的な言葉だった。アフォーダンスとは周囲の環境が我々に提供する意味や価値といった情報を指しており、モノが人間に使い方を提供するという関係は普段の生活の中でありふれていることがわかった。
今回の講義でゲシュタルト心理学を学び、認知心理学に通ずるものがあると思った。人間の知覚や認識の仕組みを解明する手助けするものだと思った。ゲシュタルト心理学は物事を分けて理解するのではなく、全体の関係性を重視すると感じた。また、人間の心理を理解することで、広告やマーケティングでの効果的なコミュニケーションがとれると思った。
今回の講義を受けてゲシュタルト心理学について知ることができました。物事を「部分」ではなく「全体」として見る脳の働きについて学び、バラバラの点が集まると「形」が見えてくるとか、見え方がまとまりやすいルールがあると思いました。「近くにあるものをひとまとまりと見なす」ような人の感じ方の特徴を学べて、普段何気なく見ているものも少し違った視点で見られるようになりました。
今回の講義でゲシュタルト心理学を学び、認知心理学に通ずるものがあると思った。人間の知覚や認識の仕組みを解明する手助けするものだと思った。ゲシュタルト心理学は物事を分けて理解するのではなく、全体の関係性を重視すると感じた。また、人間の心理を理解することで、広告やマーケティングを利用し、とても効果的なコミュニケーションがとれるとおもった。
今回講義を受けてみてゲジュタルト心理学について興味が湧いた。生活してる中でゲジュタルト崩壊が起こることはあるがなぜ起こるのか考えたことがなかった。認知能力が低下することによって起こり、頭や精神状態が異常をきたしているわけではないと分かった。同じものを何度も見ることによって視野が狭くなり細部が気になりがちだからである。一部分だけを見るのではなく、全体性や構造を意識することが大事だと学ぶことができた。
今回の講義を受けて、アフォーダンスについて深く学ぶことができた。 アフォーダンスにはいくつか種類があり、物理的アフォーダンス、知覚的アフォーダンスなどがあげられる。物理的アフォーダンスとは、物体が物理的に得られることである。例えば、椅子が「座れる」という性質を持つことなどを言う。知覚的アフォーダンスはあまりイメージが湧かなかったので、詳しく調べたところ、見た目から直感的に理解できるアフォーダンスであるそう。アフォーダンスとは単なる物体の特徴ではなく、行動を引き出す可能性や人と物との関係を表す概念として理解されているものである。
今回の講義を受けて、大人がよく認識して座っている椅子が幼い子供には椅子として認識できないという話がとても印象に残りました。確かに、私は幼いころよくおしゃれな場所にあるカウンターチェアに座るのが怖くて泣いてしまったことを思い出しました。そこで、他にも大人と幼い子供で身体的認識の違いがあるのではないかと思い、考えてみたところ、例えば、大きな銭湯に行ったとするそこで、大人は銭湯を体を洗う場所だと認識できるが、幼い子供は背の高い大人の目線で見ることができないため、大人よりも銭湯が大きく認識するだろう。ならば、幼い子供はここは体を洗う場所だと認識しづらいのではないだろうか。このことから大人は椅子があれば座り、銭湯があれば体を洗うが、幼い子供は認識の違いからaffordできない部分があり、逆に大人が幼い子供用の椅子を椅子だと認識できないように、大人もaffordできないことがあると考える。
今回の講義ではゲシュタルト心理学を中心に話されていた。それを元に感じたことを述べる。それに伴いまず、アフォーダンスについて調べた。その結果、アフォーダンスとは「周囲の環境が与える価値や意味などである。」そしてその具体例はドアノブの話が非常にわかりやすい。このように人は無意識下で合理的な行動を行う事があるがそれは主にゲシュタルト心理学とアフォーダンスの関係が主軸になっていることが分かった。また、コンピュータを用いるパソコン等の機械も情報を活かしていることから似たことが言えると感じられた。
今回の講義で、偈頌タルト心理学について知ることができました。中学の頃の授業では錯覚として学んでいたことのしっかりとした名称とその現象とは何なのかについて学びました。中学で学んだゲジュタルトでは、別々の人がその色や形を一度認識したら金に見える服が青に見えたり、老婆が若い女性に見えたりするという認識のずれが起こることを指していました。実際自分には老婆は若い女性にしか見えなかったり服は金にしか見えなかったがクラスメイトは自分と逆の意見を言う人がいました。今回の講義で学んだのは、人は絵や写真に限らずメディアなどによって植え付けられたイメージで物事をみるとイメージで先行してしまいなかなか修正することができないがこれは自分が体験した中田と漫画のキャラで好きなキャラは自分にとってはとてもかっこよく映るが友人にとってはあまり刺さらなかったなどのイメージや買う尺の不一致にも起こっている現象なのではないかと思い、気づいていないだけでゲジュタルトは日常に潜んでいるのだなと知った。
今回の講義で私はゲシュタルト心理学に興味をもった。ゲシュタルト心理学は様々な点で活躍され、今の心理学にも大きな影響をあたえている。その中でもパソコンやリモコンなどの、入力、処理、出力に利用されており、今の世の中に必要な心理学であることがわかった。
今回の講義で、まずはアフォーダンスはなんなのかわかりませんでしたが、ドアノブは「回す」というアフォーダンスを持っているとされ、ユーザーは見た目や形状から「回す」行為を予測したり、椅子は「座る」ためにデザインされているため、座るという行動を自然に促進するなど、製品デザインやインターフェースデザイン、構築の分野などで重要中田なのではないかと私は思いました。使う人が無意識にそのものをどのように使うかを考慮して設計するべきなのではないかとも私は思いました。
今回の講義やこれまでにでてきた表象主義の話題の中で生まれた、なぜ人間はすべての情報を写し取らなくてもものの認知や判断ができるのかという問いの答えが得られたように感じた。例えば、ルンバは自分の身体(機体)と対象との距離を超音波などから測ることで「物にぶつからないで動く」という目的を果たしている。人間も、「物と物の隙間を通る」という行動において、部屋の詳細な情報をチェックしなくても、通り抜けるルートに置かれている物を見ることで通り抜けることが可能になる。この時、自分と通り抜けたい隙間がどのような位置関係にあるかという情報も重要で、身長や体形、地理的な傾きによって異なる物の捉え方をする。また、計算主義の外界の様々な情報を計算して人間の脳の中で意味を与えるという考えも、包囲光の発見・検出が人間の機能だという生態心理学の考えによって、コンピュータアナロジーの考え方から脱却することができたように感じる。このように見ると、AIブームによって人間の脳や記憶がコンピュータのように例えられたという時代背景があり、やがてその考え方を批判する形で別の学派が起こるという流れを理解できた。
今回の講義で、壁と壁の幅によって通路か通路でないかを認識するという話が印象に残りました。人間は、肩幅の約1.3倍をきると通路と認知できなくなることから、肩幅に差がある大人と子供では通路と感じる場所に違いが生じるという話を聞きました。このこと以外にも大人と子供には認識の違いが多いと考えました。大人と子供では、身長や体重、人生の経験も違うため見えている世界が違い、認識も違います。例えば、50メートルは大人には短い距離に感じるのに対して子供には長い距離に感じます。これは、身長や経験の違いによって起こる認識の差だと考えました。
今回の講義ではゲシュタルト心理学について特に理解が深まりました。ゲシュタルト心理学で有名な若い女性と老婆の2つの見え方がある騙し絵がありますが、すぐに若い女性と老婆の2つの見え方に気づく人間もいますが、片方に目が集中してしまいもう片方を中々見つけられない人間もいます。何故個人差があるのか調べたところ、一般には自分が興味をもっている対象ほど見えやすいと考えられており、人間はものごとをありのままには見ていないという事が分かりました。何かを見た時、見えたものがそこにあることを信じて疑わず、私たちの意識が感知しいるイメージは、脳が立体感などの復元や補正を行い、さまざまな個人の解釈を盛り込んだ加工済み画像であることを知りました。外にある光の刺激を頭の中でコピーするように写しをとり、分析することで認識していると講義中に学びましたが、その分析の個人差で同じものを見た人間でも違いが生じるのだと思いました。
今回の講義で、人が野球のボールを補給するときや、道の幅を通路だと認識する感覚において、物理的な絶対値はなく、自分の体の大きさなどから算出されるタウという感覚を学んだ。 人が物の重さや長さや形状を知覚するためには、自分の体の一部として動かすことでわかることができると知りました。 そのことから、人が物を認知し、知覚するためには、能動的に動かす必要があると知った。
今回の講義でゲシュタルト心理学に興味を持った。ゲシュタルト心理学にはたくさんの法則があり、身近な例が気になったので調べてみると映画やアニメーションでは、静止した画像が速い速度で連続して表示されることで、動いているように見える。例えば、映画のコマが毎秒24フレームで切り替わることで、動いているかのような感覚を得るのは「動きの知覚」の一例でる。や白黒のイラストで、白い部分と黒い部分が明確に区別される場合、白い部分は「図」として認識され、黒い部分は背景(地)として認識される。たとえば、有名な「顔とキャンドル」の画像では、白と黒の部分が異なる図として認識される(見る人によって、顔とキャンドルのどちらを「図」と見るかが変わ る)。など普段自然に私たちがしてしまっているようなこともゲシュタルト心理学が関係していて認知心理学は知れば知るほど面白いなと感じた。また、芸術によくゲシュタルト心理学が視覚的な認識の仕組みを理解する上で重要な指針となると知り、様々な場面で使用されている用途の多さに驚いた。
今回の講義を受けて、ゲシュタルト心理学が面白いなと思った。パターンこそが対象をきてめるってのが難しいけどしっくりくるなと思った。自分たちの認知についてのカギはパターンではないかなと思った。 ゲシュタルト心理学の身近な例を調べてみた。たとえば、人は音楽を耳にしたとき、それをひとつひとつの音符の集まりとして捉えるのではなく、ひとつのまとまりをもった楽曲として捉えます。樹木を目にしたときも、1枚1枚の葉っぱの集まりだと捉えるのではなく、樹木全体をひとつの植物として認識します。同じように、果物が描かれた絵を見たときにも、それが線や点の集合だと捉えることはしないでしょう。全体的な枠組みで見て捉えて、「りんご」や「みかん」などと認知します。などが出てきた。様々な場面で色々なパターンによってできてるんだなとわかった。 調べてるうちに面白い記事を見つけた。ゲシュタルト心理学は経営学にも生かせると書いてあった、人材育成に活用できるらしい。こんなところでも活用できるのかとびっくりした
今回の講義で理解した点として、認知において表象主義 計算主義 身体の不在の考えは生態心理学において必要ないものであり、人間は、放射光を通して物の認知を確認できることがわかった。また、我々人間は、行為の可能性をアフォーダンスをしている。例えば、椅子であれば、座るということをaffordしてくれているから、椅子は座る物だと認知できる。我々人間はそのものには、どういう行為が可能なのかや意味のあるものをピックアップすることが出来ているということが理解できた。また、人によって見えるものは違い、包囲光配列という配列を検出できるかという技能を持っているかで見え方は異なり、我々がモノを見るのは技能の問題とも言えるのであるということがわかった。今回の講義で大切だと思った点として、生態心理学においてアフォーダンスは環境の中に実在する、知覚者にとって価値のある情報だということを捉えることができた。
人間が放射光を目を通して物を認知するのは分かったが、それをどのように脳で処理するのかが気になったので調べてみました。そうすると、高度なメカニズムが存在してることがわかりました。大きく分けて距離の認識メカニズムと形の認識のメカニズムの2つのメカニズムに分けることができました。 距離の認識のメカニズムは、距離を判断する際に、人間の視覚は「奥行き手がかり」と呼ばれる情報を利用しています。例えば、両眼視差という左右の目に映るわずかに異なる画像の差を脳が処理して奥行きを感じ取り、近くの物体ほど左右の視差が大きく、遠くの物体は視差が小さくなるため、脳はこの視差を手がかりにして距離を判断します。他にも、調節という水晶体が厚みを変えることでピントを合わせる機能と輻輳という目が近い物体に焦点を合わせるとき、両目が内側に寄る現象を使って、距離感をより明確にしています。 形の認識のメカニズムは輪郭とエッジの認識やテクスチャ勾配、視覚補完と過去学習によって出来ていて、輪郭やエッジはを形を認識するための第一歩で 目は明暗の違いに敏感で、物体の周囲のエッジを検出し、それをもとに形を把握します。テクスチャ勾配は、物体の表面にある模様や質感の変化も形を認識する手がかりです。テクスチャが密集している部分が遠く、広がっている部分が近くにあると判断することで、物体の形状をより立体的に把握できます。視覚補完と過去の学習は脳は、過去に見た物の形状情報やパターンをもとに、目の前の物体を認識する補完機能を持っています。また、たとえ見たことのない新しい形状の物であっても、類似の特徴をもつ物と比較することで、形の認識が可能になります。 人間は、複数の視覚手がかりを組み合わせて物体の距離と形を正確に認識しています。これらの手がかりを脳が高速に処理することで、日常生活の中で自然に周囲の距離感や物の形を理解することができるのです。視覚は単に「見る」だけでなく、膨大な情報処理と記憶の補完によって成立している、非常に高度なシステムであることが分かりました。
あなたの挙げる事例が身体性認知の研究かどうか、それとも脳で情報が総合されているといった類の研究なのか判然としませんが、身体を抜きに認知が考えられないという傾向が高まってきているのは事実だと思います。 次回は投稿期限に間に合いますように。
全てを脳に帰属させる見解から身体性認知への移行が語られていてよかったです。あなたの知ることのできたことをもう少し詳しく知りたかったです。身体性認知の考え方の優れている点について。 5点差し上げます。
わからない言語であっても言語であることはわかったり、わからないながら何か意味あることを言っているのだと思えるのはどうしてでしょうね。この問題に入っていくと、ヒト-ヒト関係についてもっとよく理解できたと思いますが、おしかったです。 5点差し上げます。
皮肉をどういう材料として提示したかを押さえていただきたいです。皮肉それ自体にこだわることは、授業の目的とは一致しません。また「能動性」という言葉の意味も、どういう意味で使用されていたかを確認してほしいところです。 2点差し上げます。
ヒト-モノ関係とヒト-ヒト関係の差異を掴んでもらえたのはありがたいと思いました。ヒトと動物のかかわりは面白い話題です。動物はモノではありませんが、ヒトとは違います(最大の違いは多分言語)。剣道の練習の一環として、飼い犬が手を出す直前にその手を制止する訓練をしている高段者がいました。 5点差し上げます。
少し前の投稿に似ている内容に思えます。そこでも言ったと思いますが、こういう話をした記憶がありません。 2点差し上げます。
他人もまた環境である、しかし特殊な環境であるというのが生態心理学の主張です。どういう意味で特殊なのかも掴むべきところです。コミュニケーションの話に触れられているので、いくらかわかってもらえたのかと思います。 4点差し上げます。
脳で物事を動かしているという話は私が最も嫌いな学説ですので、そういう話をする場合は、それがどういう意味で間違っているのかとか、なぜそういう間違った方向で考えてしまうのか、ということを話していると思います。 3点差し上げます。
そういう話をしたかどうか、記憶が定かではありません。いろいろ考えてみることは大切ですが、一応授業の主旨は把握していただきたいと思います。まあ、わかりにくい授業ですけれど。 3点差し上げます。
情報処理の考えがどう位置づけられているかをとらえることが、今回の授業において肝要です。個々の学説だけをみるのでなく、全体を俯瞰してみることが大切です。大変なんですけれどね。 3点差し上げます。
ヒト-ヒトのかかわりが、ヒト-モノとどう違うのかを押さえていただくのが、今回の授業の目的の一つでした。なお、ヒト-ヒト関係において、完全な意図の共有というのはあり得ません。これも授業で述べたことの一つです。コミュニケーションの中で互いの発話の意味がどう変わっていくかについて話しましたね。 3点差し上げます。
身体性認知の話は今回詳しくしていませんね。身体によって環境に関わるという点を押さえて欲しかったのが、今回の授業の狙いでした。 3点差し上げます。
考えの組み合わせが新しいものを生み出すと言ったような話をしたかどうか、記憶が定かではありません。モノというのは物理的な法則によって動きますが、ヒトは情報によって動きます。モノとモノの関わりは物理法則に依拠しますが、ヒトとモノ、ヒトとヒトのま関わりは情報によって制御されます。ワトソン流の行動主義は、全部物理法則でいけると思っていたのかもしれません。ただしパブロフの条件づけの解釈をどうするかによりますが。 5点差し上げます。
身体と環境がやりとりしていることの理由を探ると、どうして身体と物の違いに行き着くのですか。ヒト-モノ関係とヒト-ヒト関係の差異に触れた内容であるというのはわかります。 3点差し上げます。
今回の講義では、これまでの講義を振り返るような内容であった。また、今回の講義で認知心理学について振り返りつつも、新たに深掘りしていく形となった。今回の講義を受けて個人的に気になったのは、身体と認知の関係性についてだ。人は身体で感じることと、目で見るという行為が認知に影響するというものである。手に暖かい珈琲を持っている時と、冷たい珈琲を持っている時では向き合っている人への印象評価が変わったり、柔らかいソファーに座っているときに、一緒に座っている人が優しそうに見えたりなどである。身体が受け取る情報は、人の認知と深く結びついており、それがもたらす結果は人によって良いものであったり悪いものであったりする。このような身体と認知の関係によって起きる情報の処理の仕方について理解して、他者に説明できるようになれば、特定のシュチュエーションにおいて、その原因や理由をしっかりと言語化することが可能になる。さすれば、日常的に私自身は特定の他者へ抱く数多の印象についても、しっかりとした理由付けを行うことができれば、あまり好印象でない人に対して、新しい視点でその人を受け止めることができ、関係性の改善にも繋がるのではないかと思えた。
今回の講義を受けて、身体と環境の関係についてが一番気になった。少し調べてみると、創造的な思考における環境と身体の相互作用を取り扱う、古くから創造性の研究では、どのような心的メカニズムから創造性やひらめきが発露するのかという問題に取り組んできた。しかし、それら先行研究では、創造性や洞察の源を人間の知能や脳に求めるものが多く、環境へ目を向けたものはそれらに比べて少なかった。しかし、昨今の身体性認知科学の立場では、人間の知的な振る舞いを心的処理だけでなく、環境にもガイドされたものとして説明する研究が見られる。このことは知覚心理学や推論研究などでも実験的検討が行われており、洞察や創造的なアイデアの発見といった一見卓越した知能によって生み出されるように見える現象も,身体性認知科学の立場から説明できる可能性がある。本研究では創造的なアイデア生成課題のパフォーマンスが、環境と身体によって左右されることを心理学実験によって示した。と言う論文を見つけた。この研究では被験者の身体と与えられたオブジェクトとの関係によって異なることを示していた。授業で学んだことにプラスしてさらに深い部分まで知ることができた。
今回の講義で、人間と人間との関わりと人間と人間以外のものとの関わりは異なるという話に興味を持ちました。この話を聞いて、言葉が通じる通じないの差だと思ったが、異国の人とコミュニケーションをとるときに人間同士でも言語が通じないことがある。しかし、言語が通じない人間と言語が通じない犬だったら対応が大きく変化すると考えると理解することができました。また、頑張れば言語同士で意思疎通ができる人間と、最初からどう頑張ろうと言語同士では意思疎通ができない動物などの生き物を、人間は人間以下の生物と考えているのではないかと考えました。
今回の講義を通して、皮肉と本気について興味が沸いた。深く調べてみると「本気でやっている過激な主張」と「ネタでやってるトンデモ」の区別が難しいことを示す。ということがわかった。ユーモアの明白な表出が無い限り、誰かが本気だと誤解しない形の過激主義または原理主義のパロディを作るのは不可能である。ということだと理解することができた。また能動性について、自ら動くことに加えて、自分以外の外部へという考え方であり「自ら外部の環境に働きかける力」と言える。このことから能動的な人はいつもと違うことをしてみる実験や試行錯誤を楽しむ人であり、その場の何かを自分から変えてみようとする人である。 能動的な人は行動をし、行動によって機会を得て、その機会によって自らを変える人だとわかった。これから習慣、行動を意識して自分から積極的に行動して、新しい発見を探していきたいと感じた。
採点対象となる投稿を締め切りました。今回もありがとうございます。
今回の講義では、ゲシュタルト心理学や人間の物に対する認知についてなど学んだ。ゲシュタルト心理学とは、人の精神はある一部分や要素から成り立つものでないため、全体性や構造を重視するべきという考え方の心理学である。一般的には、ゲシュタルトの法則けゲシュタルト崩壊などが日常生活では聞き覚えがあるだろう。現在、ゲシュタルト心理学の原則は日常のさまざまな場面で活用されており、パラパラ漫画やグラフィックデザイン、テレビのリモコンなどで使われてることを調べで見て知った。人間の物の認知に対する認知については、形や大きやへの認識によって行われていることを知った。講義中はルンバなどの例を用いて説明されていた。人間が何かを認知するのには、能動的に動かす必要があり、そうすることによって人は自分の体の一部とし、物の長さや大きさ、重さや形状を知覚することができるのだと学んだ。
今回の講義でゲシュタルト心理学について理解が深まった。自分で調べた日常的な例についてパラパラ漫画が挙げられた。パラパラ漫画は一枚一枚は動かない絵(部分)が、連続してみると(全体)動いて見えるということである。これがゲシュタルト心理学の中にでてくる「仮現運動」と呼ばれるものの一つということが分かり、この「仮現運動」は初めて聞く言葉でそこからさらに様々なキーワードと関連付けられてることもわかった。ゲシュタルト心理学はこれまでの心理学史には欠かすことのできないものなので、機会があれば授業で話されなかったところも調べてみたいと思った。そしてアフォーダンスという言葉も自分の中では印象的な言葉だった。アフォーダンスとは周囲の環境が我々に提供する意味や価値といった情報を指しており、モノが人間に使い方を提供するという関係は普段の生活の中でありふれていることがわかった。
今回の講義でゲシュタルト心理学を学び、認知心理学に通ずるものがあると思った。人間の知覚や認識の仕組みを解明する手助けするものだと思った。ゲシュタルト心理学は物事を分けて理解するのではなく、全体の関係性を重視すると感じた。また、人間の心理を理解することで、広告やマーケティングでの効果的なコミュニケーションがとれると思った。
今回の講義を受けてゲシュタルト心理学について知ることができました。物事を「部分」ではなく「全体」として見る脳の働きについて学び、バラバラの点が集まると「形」が見えてくるとか、見え方がまとまりやすいルールがあると思いました。「近くにあるものをひとまとまりと見なす」ような人の感じ方の特徴を学べて、普段何気なく見ているものも少し違った視点で見られるようになりました。
今回の講義でゲシュタルト心理学を学び、認知心理学に通ずるものがあると思った。人間の知覚や認識の仕組みを解明する手助けするものだと思った。ゲシュタルト心理学は物事を分けて理解するのではなく、全体の関係性を重視すると感じた。また、人間の心理を理解することで、広告やマーケティングを利用し、とても効果的なコミュニケーションがとれるとおもった。
今回講義を受けてみてゲジュタルト心理学について興味が湧いた。生活してる中でゲジュタルト崩壊が起こることはあるがなぜ起こるのか考えたことがなかった。認知能力が低下することによって起こり、頭や精神状態が異常をきたしているわけではないと分かった。同じものを何度も見ることによって視野が狭くなり細部が気になりがちだからである。一部分だけを見るのではなく、全体性や構造を意識することが大事だと学ぶことができた。
今回の講義を受けて、アフォーダンスについて深く学ぶことができた。
アフォーダンスにはいくつか種類があり、物理的アフォーダンス、知覚的アフォーダンスなどがあげられる。物理的アフォーダンスとは、物体が物理的に得られることである。例えば、椅子が「座れる」という性質を持つことなどを言う。知覚的アフォーダンスはあまりイメージが湧かなかったので、詳しく調べたところ、見た目から直感的に理解できるアフォーダンスであるそう。アフォーダンスとは単なる物体の特徴ではなく、行動を引き出す可能性や人と物との関係を表す概念として理解されているものである。
今回の講義を受けて、大人がよく認識して座っている椅子が幼い子供には椅子として認識できないという話がとても印象に残りました。確かに、私は幼いころよくおしゃれな場所にあるカウンターチェアに座るのが怖くて泣いてしまったことを思い出しました。そこで、他にも大人と幼い子供で身体的認識の違いがあるのではないかと思い、考えてみたところ、例えば、大きな銭湯に行ったとするそこで、大人は銭湯を体を洗う場所だと認識できるが、幼い子供は背の高い大人の目線で見ることができないため、大人よりも銭湯が大きく認識するだろう。ならば、幼い子供はここは体を洗う場所だと認識しづらいのではないだろうか。このことから大人は椅子があれば座り、銭湯があれば体を洗うが、幼い子供は認識の違いからaffordできない部分があり、逆に大人が幼い子供用の椅子を椅子だと認識できないように、大人もaffordできないことがあると考える。
今回の講義ではゲシュタルト心理学を中心に話されていた。それを元に感じたことを述べる。それに伴いまず、アフォーダンスについて調べた。その結果、アフォーダンスとは「周囲の環境が与える価値や意味などである。」そしてその具体例はドアノブの話が非常にわかりやすい。このように人は無意識下で合理的な行動を行う事があるがそれは主にゲシュタルト心理学とアフォーダンスの関係が主軸になっていることが分かった。また、コンピュータを用いるパソコン等の機械も情報を活かしていることから似たことが言えると感じられた。
今回の講義で、偈頌タルト心理学について知ることができました。中学の頃の授業では錯覚として学んでいたことのしっかりとした名称とその現象とは何なのかについて学びました。中学で学んだゲジュタルトでは、別々の人がその色や形を一度認識したら金に見える服が青に見えたり、老婆が若い女性に見えたりするという認識のずれが起こることを指していました。実際自分には老婆は若い女性にしか見えなかったり服は金にしか見えなかったがクラスメイトは自分と逆の意見を言う人がいました。今回の講義で学んだのは、人は絵や写真に限らずメディアなどによって植え付けられたイメージで物事をみるとイメージで先行してしまいなかなか修正することができないがこれは自分が体験した中田と漫画のキャラで好きなキャラは自分にとってはとてもかっこよく映るが友人にとってはあまり刺さらなかったなどのイメージや買う尺の不一致にも起こっている現象なのではないかと思い、気づいていないだけでゲジュタルトは日常に潜んでいるのだなと知った。
今回の講義で私はゲシュタルト心理学に興味をもった。ゲシュタルト心理学は様々な点で活躍され、今の心理学にも大きな影響をあたえている。その中でもパソコンやリモコンなどの、入力、処理、出力に利用されており、今の世の中に必要な心理学であることがわかった。
今回の講義で、まずはアフォーダンスはなんなのかわかりませんでしたが、ドアノブは「回す」というアフォーダンスを持っているとされ、ユーザーは見た目や形状から「回す」行為を予測したり、椅子は「座る」ためにデザインされているため、座るという行動を自然に促進するなど、製品デザインやインターフェースデザイン、構築の分野などで重要中田なのではないかと私は思いました。使う人が無意識にそのものをどのように使うかを考慮して設計するべきなのではないかとも私は思いました。
今回の講義やこれまでにでてきた表象主義の話題の中で生まれた、なぜ人間はすべての情報を写し取らなくてもものの認知や判断ができるのかという問いの答えが得られたように感じた。例えば、ルンバは自分の身体(機体)と対象との距離を超音波などから測ることで「物にぶつからないで動く」という目的を果たしている。人間も、「物と物の隙間を通る」という行動において、部屋の詳細な情報をチェックしなくても、通り抜けるルートに置かれている物を見ることで通り抜けることが可能になる。この時、自分と通り抜けたい隙間がどのような位置関係にあるかという情報も重要で、身長や体形、地理的な傾きによって異なる物の捉え方をする。また、計算主義の外界の様々な情報を計算して人間の脳の中で意味を与えるという考えも、包囲光の発見・検出が人間の機能だという生態心理学の考えによって、コンピュータアナロジーの考え方から脱却することができたように感じる。このように見ると、AIブームによって人間の脳や記憶がコンピュータのように例えられたという時代背景があり、やがてその考え方を批判する形で別の学派が起こるという流れを理解できた。
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人が物の重さや長さや形状を知覚するためには、自分の体の一部として動かすことでわかることができると知りました。
そのことから、人が物を認知し、知覚するためには、能動的に動かす必要があると知った。
今回の講義でゲシュタルト心理学に興味を持った。ゲシュタルト心理学にはたくさんの法則があり、身近な例が気になったので調べてみると映画やアニメーションでは、静止した画像が速い速度で連続して表示されることで、動いているように見える。例えば、映画のコマが毎秒24フレームで切り替わることで、動いているかのような感覚を得るのは「動きの知覚」の一例でる。や白黒のイラストで、白い部分と黒い部分が明確に区別される場合、白い部分は「図」として認識され、黒い部分は背景(地)として認識される。たとえば、有名な「顔とキャンドル」の画像では、白と黒の部分が異なる図として認識される(見る人によって、顔とキャンドルのどちらを「図」と見るかが変わ
る)。など普段自然に私たちがしてしまっているようなこともゲシュタルト心理学が関係していて認知心理学は知れば知るほど面白いなと感じた。また、芸術によくゲシュタルト心理学が視覚的な認識の仕組みを理解する上で重要な指針となると知り、様々な場面で使用されている用途の多さに驚いた。
今回の講義を受けて、ゲシュタルト心理学が面白いなと思った。パターンこそが対象をきてめるってのが難しいけどしっくりくるなと思った。自分たちの認知についてのカギはパターンではないかなと思った。
ゲシュタルト心理学の身近な例を調べてみた。たとえば、人は音楽を耳にしたとき、それをひとつひとつの音符の集まりとして捉えるのではなく、ひとつのまとまりをもった楽曲として捉えます。樹木を目にしたときも、1枚1枚の葉っぱの集まりだと捉えるのではなく、樹木全体をひとつの植物として認識します。同じように、果物が描かれた絵を見たときにも、それが線や点の集合だと捉えることはしないでしょう。全体的な枠組みで見て捉えて、「りんご」や「みかん」などと認知します。などが出てきた。様々な場面で色々なパターンによってできてるんだなとわかった。
調べてるうちに面白い記事を見つけた。ゲシュタルト心理学は経営学にも生かせると書いてあった、人材育成に活用できるらしい。こんなところでも活用できるのかとびっくりした
今回の講義で理解した点として、認知において表象主義 計算主義 身体の不在の考えは生態心理学において必要ないものであり、人間は、放射光を通して物の認知を確認できることがわかった。また、我々人間は、行為の可能性をアフォーダンスをしている。例えば、椅子であれば、座るということをaffordしてくれているから、椅子は座る物だと認知できる。我々人間はそのものには、どういう行為が可能なのかや意味のあるものをピックアップすることが出来ているということが理解できた。また、人によって見えるものは違い、包囲光配列という配列を検出できるかという技能を持っているかで見え方は異なり、我々がモノを見るのは技能の問題とも言えるのであるということがわかった。今回の講義で大切だと思った点として、生態心理学においてアフォーダンスは環境の中に実在する、知覚者にとって価値のある情報だということを捉えることができた。
人間が放射光を目を通して物を認知するのは分かったが、それをどのように脳で処理するのかが気になったので調べてみました。そうすると、高度なメカニズムが存在してることがわかりました。大きく分けて距離の認識メカニズムと形の認識のメカニズムの2つのメカニズムに分けることができました。
距離の認識のメカニズムは、距離を判断する際に、人間の視覚は「奥行き手がかり」と呼ばれる情報を利用しています。例えば、両眼視差という左右の目に映るわずかに異なる画像の差を脳が処理して奥行きを感じ取り、近くの物体ほど左右の視差が大きく、遠くの物体は視差が小さくなるため、脳はこの視差を手がかりにして距離を判断します。他にも、調節という水晶体が厚みを変えることでピントを合わせる機能と輻輳という目が近い物体に焦点を合わせるとき、両目が内側に寄る現象を使って、距離感をより明確にしています。
形の認識のメカニズムは輪郭とエッジの認識やテクスチャ勾配、視覚補完と過去学習によって出来ていて、輪郭やエッジはを形を認識するための第一歩で
目は明暗の違いに敏感で、物体の周囲のエッジを検出し、それをもとに形を把握します。テクスチャ勾配は、物体の表面にある模様や質感の変化も形を認識する手がかりです。テクスチャが密集している部分が遠く、広がっている部分が近くにあると判断することで、物体の形状をより立体的に把握できます。視覚補完と過去の学習は脳は、過去に見た物の形状情報やパターンをもとに、目の前の物体を認識する補完機能を持っています。また、たとえ見たことのない新しい形状の物であっても、類似の特徴をもつ物と比較することで、形の認識が可能になります。
人間は、複数の視覚手がかりを組み合わせて物体の距離と形を正確に認識しています。これらの手がかりを脳が高速に処理することで、日常生活の中で自然に周囲の距離感や物の形を理解することができるのです。視覚は単に「見る」だけでなく、膨大な情報処理と記憶の補完によって成立している、非常に高度なシステムであることが分かりました。
あなたの挙げる事例が身体性認知の研究かどうか、それとも脳で情報が総合されているといった類の研究なのか判然としませんが、身体を抜きに認知が考えられないという傾向が高まってきているのは事実だと思います。
次回は投稿期限に間に合いますように。
全てを脳に帰属させる見解から身体性認知への移行が語られていてよかったです。あなたの知ることのできたことをもう少し詳しく知りたかったです。身体性認知の考え方の優れている点について。
5点差し上げます。
わからない言語であっても言語であることはわかったり、わからないながら何か意味あることを言っているのだと思えるのはどうしてでしょうね。この問題に入っていくと、ヒト-ヒト関係についてもっとよく理解できたと思いますが、おしかったです。
5点差し上げます。
皮肉をどういう材料として提示したかを押さえていただきたいです。皮肉それ自体にこだわることは、授業の目的とは一致しません。また「能動性」という言葉の意味も、どういう意味で使用されていたかを確認してほしいところです。
2点差し上げます。
ヒト-モノ関係とヒト-ヒト関係の差異を掴んでもらえたのはありがたいと思いました。ヒトと動物のかかわりは面白い話題です。動物はモノではありませんが、ヒトとは違います(最大の違いは多分言語)。剣道の練習の一環として、飼い犬が手を出す直前にその手を制止する訓練をしている高段者がいました。
5点差し上げます。
少し前の投稿に似ている内容に思えます。そこでも言ったと思いますが、こういう話をした記憶がありません。
2点差し上げます。
他人もまた環境である、しかし特殊な環境であるというのが生態心理学の主張です。どういう意味で特殊なのかも掴むべきところです。コミュニケーションの話に触れられているので、いくらかわかってもらえたのかと思います。
4点差し上げます。
脳で物事を動かしているという話は私が最も嫌いな学説ですので、そういう話をする場合は、それがどういう意味で間違っているのかとか、なぜそういう間違った方向で考えてしまうのか、ということを話していると思います。
3点差し上げます。
そういう話をしたかどうか、記憶が定かではありません。いろいろ考えてみることは大切ですが、一応授業の主旨は把握していただきたいと思います。まあ、わかりにくい授業ですけれど。
3点差し上げます。
情報処理の考えがどう位置づけられているかをとらえることが、今回の授業において肝要です。個々の学説だけをみるのでなく、全体を俯瞰してみることが大切です。大変なんですけれどね。
3点差し上げます。
ヒト-ヒトのかかわりが、ヒト-モノとどう違うのかを押さえていただくのが、今回の授業の目的の一つでした。なお、ヒト-ヒト関係において、完全な意図の共有というのはあり得ません。これも授業で述べたことの一つです。コミュニケーションの中で互いの発話の意味がどう変わっていくかについて話しましたね。
3点差し上げます。
身体性認知の話は今回詳しくしていませんね。身体によって環境に関わるという点を押さえて欲しかったのが、今回の授業の狙いでした。
3点差し上げます。
考えの組み合わせが新しいものを生み出すと言ったような話をしたかどうか、記憶が定かではありません。モノというのは物理的な法則によって動きますが、ヒトは情報によって動きます。モノとモノの関わりは物理法則に依拠しますが、ヒトとモノ、ヒトとヒトのま関わりは情報によって制御されます。ワトソン流の行動主義は、全部物理法則でいけると思っていたのかもしれません。ただしパブロフの条件づけの解釈をどうするかによりますが。
5点差し上げます。
身体と環境がやりとりしていることの理由を探ると、どうして身体と物の違いに行き着くのですか。ヒト-モノ関係とヒト-ヒト関係の差異に触れた内容であるというのはわかります。
3点差し上げます。
採点対象となる投稿を締め切りました。今回もありがとうございます。
今回の講義では、これまでの講義を振り返るような内容であった。また、今回の講義で認知心理学について振り返りつつも、新たに深掘りしていく形となった。今回の講義を受けて個人的に気になったのは、身体と認知の関係性についてだ。人は身体で感じることと、目で見るという行為が認知に影響するというものである。手に暖かい珈琲を持っている時と、冷たい珈琲を持っている時では向き合っている人への印象評価が変わったり、柔らかいソファーに座っているときに、一緒に座っている人が優しそうに見えたりなどである。身体が受け取る情報は、人の認知と深く結びついており、それがもたらす結果は人によって良いものであったり悪いものであったりする。このような身体と認知の関係によって起きる情報の処理の仕方について理解して、他者に説明できるようになれば、特定のシュチュエーションにおいて、その原因や理由をしっかりと言語化することが可能になる。さすれば、日常的に私自身は特定の他者へ抱く数多の印象についても、しっかりとした理由付けを行うことができれば、あまり好印象でない人に対して、新しい視点でその人を受け止めることができ、関係性の改善にも繋がるのではないかと思えた。
今回の講義を受けて、身体と環境の関係についてが一番気になった。少し調べてみると、創造的な思考における環境と身体の相互作用を取り扱う、古くから創造性の研究では、どのような心的メカニズムから創造性やひらめきが発露するのかという問題に取り組んできた。しかし、それら先行研究では、創造性や洞察の源を人間の知能や脳に求めるものが多く、環境へ目を向けたものはそれらに比べて少なかった。しかし、昨今の身体性認知科学の立場では、人間の知的な振る舞いを心的処理だけでなく、環境にもガイドされたものとして説明する研究が見られる。このことは知覚心理学や推論研究などでも実験的検討が行われており、洞察や創造的なアイデアの発見といった一見卓越した知能によって生み出されるように見える現象も,身体性認知科学の立場から説明できる可能性がある。本研究では創造的なアイデア生成課題のパフォーマンスが、環境と身体によって左右されることを心理学実験によって示した。と言う論文を見つけた。この研究では被験者の身体と与えられたオブジェクトとの関係によって異なることを示していた。授業で学んだことにプラスしてさらに深い部分まで知ることができた。
今回の講義で、人間と人間との関わりと人間と人間以外のものとの関わりは異なるという話に興味を持ちました。この話を聞いて、言葉が通じる通じないの差だと思ったが、異国の人とコミュニケーションをとるときに人間同士でも言語が通じないことがある。しかし、言語が通じない人間と言語が通じない犬だったら対応が大きく変化すると考えると理解することができました。また、頑張れば言語同士で意思疎通ができる人間と、最初からどう頑張ろうと言語同士では意思疎通ができない動物などの生き物を、人間は人間以下の生物と考えているのではないかと考えました。
今回の講義を通して、皮肉と本気について興味が沸いた。深く調べてみると「本気でやっている過激な主張」と「ネタでやってるトンデモ」の区別が難しいことを示す。ということがわかった。ユーモアの明白な表出が無い限り、誰かが本気だと誤解しない形の過激主義または原理主義のパロディを作るのは不可能である。ということだと理解することができた。また能動性について、自ら動くことに加えて、自分以外の外部へという考え方であり「自ら外部の環境に働きかける力」と言える。このことから能動的な人はいつもと違うことをしてみる実験や試行錯誤を楽しむ人であり、その場の何かを自分から変えてみようとする人である。 能動的な人は行動をし、行動によって機会を得て、その機会によって自らを変える人だとわかった。これから習慣、行動を意識して自分から積極的に行動して、新しい発見を探していきたいと感じた。