今回の講義を受けて「規範」とは何かについて学びました。規範は挨拶や相槌などによって規範が生まれることに気づきました。規範について自分の身近なもので考えてみました。まず、スポーツの場面で、公式ルールに加えて「スポーツマンシップ」という暗黙の規範が試合を円滑に進める役割を果たしていると気づきました。例えば、サッカーをしていたとき、ファウルをされた際に、審判が気づかなくてもそのまま抗議せずプレーを続けたり、フェアプレーとしてボールを相手に返すなどの行動が求められる場面がありました。この行動は、単なるルールの遵守ではなく、相手への敬意を示し、試合全体の調和を保つための規範だと感じました。また、学校の場面では、校則という明文化されたルールだけでなく、クラス全体が大切にしている「暗黙のルール」が存在していると気づきました。例えば、授業中に発言する際、ただ積極的に意見を述べるだけでなく、周りの空気を読み、全体のバランスを考えながら発言することが求められます。このような規範を守ることで、クラスの一体感が生まれ、全員が安心して学べる環境が作られているのだと思います。 これらの経験を振り返ると、規範は単にルールを守るというだけでなく、集団や社会の中で互いを尊重し合いながら生活するために欠かせないものであると感じました。
今回の講義ではコミュニケーションにおける様々なルールを学んだがどれも意識したことも無く、よく考えれば確かに存在するルールで驚いた。本稿では、学んだコミュニケーションにおけるルールをまとめ、それについて意見を述べる。IRE連鎖は発問(Initiation)と応答(Response)と評価(Evaluation)で構成されるもので、よく教師と生徒の会話などで用いれられる。このルールを聞いて私は特に意識したこともなかったがこのルールで進行される授業がほとんどだったと思った。また、授業以外にも初対面の人と親睦を深めるときに「名前はなんて言うんですか」、「趣味はなんですか」など相手を知りたい状況ではIRE連鎖が用いられると思った。隣接対と選好は声を投げられたら返さないといけないルールで第1成分と第2成分に分けられる。隣接対ではある発生(第1成分)に対して特定の返答(第2成分)が返されるものである。この構成になる会話には挨拶が挙げられる。「Aさん:こんにちは Bさん:こんにちは」といった内容になる。選好では基本的に隣接対と同じ仕組みであるが第2成分がどのような応答がより「好ましい」かという要素が入る。この「好ましい」とは、文化的・社会的に期待される応答を意味する。この構成になる会話には質問と回答または否定や要求と受諾または拒否が挙げられる。「Aさん:手伝ってもらってもいいですか Bさん(好ましい対応):いいですよ Bさん(好ましくない対応):忙しいのでできません」といった内容になる。このようなあまりにもありふれているの会話の中にもルールがあって知らない内に使っていたんだと思った。そして、我々はそれをあたり前に使っていてその当たり前に疑問を持って命名できるまで研究する学者は素晴らしいと再認識した。会話の終わり方はシェグロフとサックスが研究した学説で「会話は自由に終われない、終わり方に規範がある」というものである。会話を終了するためには会話のトピックに対して、内容をまとめる(〜ということだよね)ことや別の角度から切り出す(今度〜しようか)、別の行為の言葉(お菓子でも食べようか)をいうなどの返答をして終わらなければいけない。また、「うん、はい、ね」などの言葉を返すと発言権の破棄となってまたトピックに戻ることもある。それらの会話が終了する直前に行われる、最後のやり取りや発話のペアを最終交換という。確かに普段の会話を振り返ってみるとトピックが終了するときには最終交換が行われていて、これがないと話が終わったかのような間が空いたり雰囲気が出ていても「まだ会話は続いているのかな」と思うのでどの会話にも最終交換があることを知ることができた。以上のように普段の会話の中にも当たり前に使っているが全く知らなかったルールが存在していることが分かった。これは会話だけに限らず当たり前に使っている「何か」には何かしらのルールが存在するのではと思った。最後にそのルールというものを調べたので紹介して終わる。 ・行列に並ぶ時では割り込まない、一定の距離を保 つ、列の進み方に従う ・店内やエレベーターでは商品棚の前では他人の邪魔 にならない位置に立つ、エレベーターでは壁際に立 ち、奥から順に埋める ・レストランやカフェでの席選びでは混雑している 場合は1人で広い席を占有しない、他人のプライバ シーを尊重して必要以上に近い席を避ける ・信号機がない横断歩道では車が停まった場合は歩行 者が速やかに横断する、互いにアイコンタクトを取 って進むタイミングを確認する
>> 395 会話の遡りに関して、私はある話題に対する発言として複数の発言を思いついた場合、何とかして会話中に全て発言できないかとつい考えてしまうため急な話題の転換や会話の遡りに関心を持っているのだが、あまり意識していない人もいるのではないかと考え直した。もし会話の遡りについても何かしらの研究がなされているのであれば知りたいので、どこかで調べてみようと思う。
今回の講義を受けて、関連しそうなとある体験について考えた。 私はたまにX(旧Twitter)のスペースという機能を使ってフォロワーと会話をすることがあるのだが、最近はよくスペースを開いているあるフォロワーとの会話で上手くいかないことが多く、参加してもスピーカー申請をせずリプライのみでやりとりをしていた。この会話形態では文章を打つ時間にも会話は進むため、スピーカー達がBの話題で盛り上がっている時にAの話題のリプライが来るといったズレが生じる。そのため、リプライでの発言はそこまでの会話中の任意の第一成分に対する第二成分、あるいはそこまでの会話中の任意のやりとりを直前の発言とみなした第一成分といえるものになるのではないかと考えた。通常の会話では、会話中の任意の点を断りなしに直前の発言のように扱うことはあまりない。このような特徴を持ちながらもやりとりを構成する要素を抜き出せば通常の会話と変わらないということに興味を持った。今は、将来同じ会話の中に音声と文面でのやりとりが入り交じっている状況が当たり前になったら、会話の規範は変わるのか、それとも変わらないのか、変わるとしたらどう変わるのかといったことを考えてみると面白いのではないかと考えている。
今回の講義で、相手の行為は後で決まることがあれば、決まらないことが理解できました。今回の講義の具体例で生徒と先生の対話の話で、先生が「 今回の講義はたくさんの人が来てくれて嬉しい 」と言っており、生徒が、「 先生の講義は面白いですからね 」と言いました。その会話が本心で言っているのか、また皮肉で言っているのかは先生と生徒はどっちの意味で言っているのかはわかりません。この話で面白いなと感じた点は、教授もおっしゃっていたように、人間は話し合えば理解できるとは限らないと思いました。相手は何を考えているかわからないから、多分こうだろうなと自分で知覚しているのだと理解できました。同時に我々は会話の際、相手の知覚を探っているのだと理解できました。 結論として、今までは当たり前のように会話をしてきましたが、会話は自らが当たり前のように相手の知覚を探っている物だと言うことが新しく理解できました。
今回の講義で「規範」の話に非常に関心を持てた。人に会釈や相槌を打つことによって挨拶ができ、規範につながると思った。ほかにも、日々の生活で規範が使われるような例をだす。まず、学校での規範である。遅刻をしないことや、自分の意見を述べる際に、相手の意見も聞く姿勢を持つということを意識して守ることが大切だと思った。また、車を運転する際に飲酒をしないことや、信号を守るなど法律的な規範もあると思った。そして、約束を守ることや思いやりのある行動、感謝の気持ちを伝える道徳的な規範もあると思った。秩序がある社会では規範は必要不可欠なものだと思った。
今回の講義を受けて、規範について深く学んだ。 講義冒頭で、腕時計と置時計は同じ時計であるが別物だと紹介されていた。それは個を類として捉えてるからであるとわかった。 講義内で規範の例について色々挙げられていたが、日常生活において規範が発生する例が少し気になったのでそれについて調べた。 まず、規範の意味として、複数の可能性があるなかから特定の知覚、行為へと向かわせる圧という意味がある。これから規範の例についていくつか挙げる。 規範の例の1つ目は、挨拶をするということである。 人と会ったときに「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」などの挨拶をすることは、礼儀正しい行動として社会的に求められる規範である。 2つ目は、順番を守るということである。 レジや電車の乗り降りの際に、順番を守って並ぶことは公共の場での規範とされている。 3つ目は、時間を守るということである。約束の時間に遅れないようにすることは、信頼関係を築くための大切な規範である。 4つ目は、感謝の気持ちを表すということである。 何かしてもらったときに「ありがとう」と感謝の気持ちを表すことも、日常的な規範の一つである。 個人的に先生と生徒の話がとても面白いと感じた。 人によって捉え方が違うし、本心なのか皮肉なのかは本人しかわからないことなので表情や反応を見て判断すべきだと思った。 会話の終わり方については相互行為調整の固定概念に囚われているからだとわかった。 友人と電話をする際、ついつい長電話になってしまう経験が何度もあったので興味深かった。理由としてお互いの心理的な問題があると思った。
文章が整理されている点で改善がありましたね。内容的にはすでに前回の投稿で到達していたレベルだと思います。 5点差し上げます。
「道具は、使用時には使用者の身体の一部となり、そこに他者から聞いた情報が組み合わさる」のではなく、道具使用によって環境が改変され、新たな環境だとアフォーダンスが知覚しやすくなっている」とするのが生態心理学的には正しいと思います。「「知覚しやすさ」というアフォーダンス」はありません。アフォーダンスが知覚しやすくなっているのです。道具による環境改変、そして環境改変後にアフォーダンスが知覚しやすくなる、これらのことを骨子となって文章が展開されているとよかったです。 4点差し上げます。
認知心理学と生態心理学との違いについて、さらに理解を深めていただけたと思います。 8点差し上げます。
11月26日は友野先生の担当回です。投稿対象ではありません。
自らの行為によって改変した環境からアフォーダンスを知覚する話から始めているのに、改変の話がその後続かないですね。最初の一文とその後の文章がちぐはぐになっています。 3点差し上げます。
どこまでが中世の意識・無意識観で、どこからが近代のそれであるかがわかりにくいです。 3点差し上げます。
11月19日は友野先生の担当回です。投稿対象ではありません。
「年末年始特別課題」への投稿、ありがとうございました。採点対象となる投稿は締め切りました。
>> 196アフォーダンス、記憶の種類について扱った回 ギブソンのアフォーダンスについて、環境自体が様々な意味を提供しており、子人はそれぞれの環境に埋め込まれた意味(アフォーダンス)を見出しながら、行動していると考えていると再認識できた。例えば、椅子は「座る」もの。ハサミは「切る」もの。鉛筆は「書く」もの。といったアフォードを見出し、椅子に座り、ハサミで切り、鉛筆で書くといった行動を起こすのだと分かった。そして、アフォーダンスは能動的に認識することでより効果を発揮し、それを活用して、問題解決や目標達成に繋がるべきだと思った。
>> 188 アフォーダンスについて扱った回 11/12の講義を通して、アフォーダンスとは「周囲の環境が我々に提供する意味や価値と言った情報」を意味し、環境の様々な要素が動物に影響を与え、動物はその環境に適合した行動をとるという事を学びました。私は文字を書くという行為が、その動作をすることで覚えやすいという情報を聞いた自分の記憶による行為であり、ペンやノートが「覚えやすい」という情報を発信しているわけではないのではないかと考え、アフォーダンスに含まれるのか疑問に思いました。 非使用時には環境の一部に過ぎない道具は、使用時には使用者の身体の一部となり、そこに他者から聞いた情報が組み合わさることで「知覚しやすさ」というアフォーダンスを増幅させているのではないかと考えました。道具や知識が巻き込まれることで、個人の知覚や認識が大きく変わることを学びました。
アフォーダンス、記憶の種類について扱った回 ギブソンのアフォーダンスについて、環境自体が様々な意味を提供しており、子人はそれぞれの環境に埋め込まれた意味(アフォーダンス)を見出しながら、行動していると考えていると再認識できた。例えば、椅子は「座る」もの。ハサミは「切る」もの。鉛筆は「書く」もの。といったアフォードを見出し、椅子に座り、ハサミで切り、鉛筆で書くといった行動を起こすのだと分かった。そして、アフォーダンスは能動的に認識することでより効果を発揮し、それを活用して、問題解決や目標達成に繋がるべきだと思った。
>>> 181 認知心理学と生態心理学について扱った回 認知心理学と生態心理学についてもう一度振り返って見た。認知心理学を簡単に説明すると、情報を脳の中で処理をしているという考えが認知心理学である。そのなかで大切な考えが身体の不在である。なぜこの考えがあるのかというと、認知心理学の考えでは、脳の中で情報を処理しているので身体がいらないと考えが認知心理学では存在していた。認知心理学の考えの常識を破ったのが生態心理学である。生態心理学は、環境が私たちの行為を可能にしてくれるという考えである。 認知心理学と生態心理学を扱った回を終えて、私の中の考え方が変わりました。具体的に説明ふると、今までは、認知心理学の考え方のように、目で見えたものを脳で処理をしていると考えていましたが、講義を終えて、私が普段から行っている行為は、環境が行為を可能にしているのだと考え方が変わりました。
認知心理学と生態心理学について扱った回 認知心理学と生態心理学についてもう一度振り返って見た。認知心理学を簡単に説明すると、情報を脳の中で処理をしているという考えが認知心理学である。そのなかで大切な考えが身体の不在である。なぜこの考えがあるのかというと、認知心理学の考えでは、脳の中で情報を処理しているので身体がいらないと考えが認知心理学では存在していた。認知心理学の考えの常識を破ったのが生態心理学である。生態心理学は、環境が私たちの行為を可能にしてくれるという考えである。 認知心理学と生態心理学を扱った回を終えて、私の中の考え方が変わりました。具体的に説明ふると、今までは、認知心理学の考え方のように、目で見えたものを脳で処理をしていると考えていましたが、講義を終えて、私が普段から行っている行為は、環境が行為を可能にしているのだと考え方が変わりました。
>>255不変更について扱った回 不変更とは何かしらの操作や変換を行ってもその値や性質が変わらないことである。具体例は最初に嫌なイメージを持ってしまった人に対してはどんないい行いをしても悪いイメージが先行してしまうという事象が起こる。逆に良いイメージを持つ人がする失敗は見過ごすことが出来るなど行動によってその人のイメージが変わらないことなどを指す。人間の感覚に置いてもリンゴがうさぎの形をしていてもそれをリンゴであると認識することが出きる。こういった形は変われどそのものの性質自体が変わる訳では無いのでその物体が何であるかということをきちんと認識することが出来ることを不変更という。
>> 183アフォーダンスについて扱った回 アフォーダンスという周囲の環境が私たちに与える情報についての授業で、人間を含めた動物は環境そのものを変えて新たな発見を知覚すると学んだ。私は、物体の形状や機能など目で見た情報の役割を知覚し、行動に移すこと、その目で見た物体は私たちに自分の形状や機能で行動を誘発させていると思っていたが、私たちの行動のきっかけを与えているだけであって、私たちの行動を誘発させているわけではないと理解した。情報は環境に存在し、人や動物はそこから価値を見出すのであって、環境自身は自分の意味や価値を押し付けているわけではないと学んだ。
すみません。別日の講義について再投稿します。
>> 25意識と無意識の認識について扱っていた回 今回の授業を通して、近代と中世での意識と無意識の認識の違いについて理解することが出来た。近代では、意識を善で無意識を悪だと考えられているが、中世では、無意識が善で意識を悪と考えられており認識に大きな違いがある。無意識というのは、人間などの動物に元々備わっている本能に近いものであり、その中でも無意識のうちにやってしまう悪いことを制御することが出来るものが意識だと考える。特に近代では、無意識を意識やで制御できない人間が、事件や事故を起こしてしまうのではないかと、ニュースや新聞などの加害者の発言を聞いて思った。現代では法律などが、中世の頃よりはっきりしたことにより無意識が善という考え方から悪という考え方に移っていったと考えた。近代と中世で法律などの時代の変化によって考え方が大きく変わってしまうことに感心した。このことから、今後100年1000年後には、現代とは全く違う考え方になっているものがあるのではないかと考えた。
>> 219認知科学における運動学習能力について扱った回 今回の講義で出てきた脳の学習でもそうだし認知学における運動学習能力もどちらも反復性の重要性に改めて気付かされた。記憶の定着の精度も全然違う。反復を通じて人間の脳は習慣化する能力を持っている。普段する動きが習慣化しているのも反復が大きく関係しているんだなと思った。歴史的観点から反復性を見ると、多くの分野に認知科学と関連性があった。実際に1950年代に認知科学が登場すると、反復性は記憶や学習モデルの中核となる要素として再解釈されていた。反復性がどのように認知科学や学習モデルに影響を与えてきたのかを深掘りしてみる。1950年代に認知科学が登場したとき、反復性が記憶や学習の中心的な要素として再評価された特に、スキナーなどの行動主義者は行動が反復されることによって習慣化され、記憶として定着するプロセスを重要視していた。これがその後の認知科学においても重要な役割を果たし、脳がどのように情報を処理し、記憶を形成するかという研究に繋がっていったと言うことがあった。また現代では反復練習がパフォーマンス向上に繋がるという教育やスポーツにも応用されています。野球やバスケ様々なスポーツで適応されている。この講義後に少し調べたやつをそのままほっといていたのでこの機会にさらに詳しく調べ考えることができ良かった。森先生に「今回の講義で学んだどのような点がどのように役立つか(関連づけられるか)を根拠を持って説明できると良かったのかなと思います。「歴史的観点から反復性を見ると、多くの分野に認知科学と関連性があった。」とありますが, 具体的に説明したいただけるとなお良かったかなと思います。」とコメントをいただいたので具体性をつけて書いてみました。
>> 258不変項について扱っていた回 私は11/26の授業を通して不変項について興味を持った。不変項とは、ある状況や現象の中で変わらない要素のことである。たとえば、動物が周囲の環境について知ろうとする場合、変化の中でも不変であり続ける物の性質を探しあてる。物に変化を加えることであらわれてくる不変のことを不変項と呼び、アフォーダンスを知るための情報となる。不変更の例として地球の重力加速度がある。地球上での重力加速度は、一般的に時間や場所によって大きく変化することはないため、物理的なシステムの中では不変項として扱うことができる。また、不変更は私たちの身近にも存在している。生年月日は一度決まると、時間が経過しても変わることはない。したがって、個人の属性としての「生年月日」は不変項である。また、人間の遺伝的要因である個人の遺伝子情報は、生まれた時点で決まっており、人生の中で変わることがないため、遺伝的要因も不変項の一例であると言えるだろう。私は今まで不変項とはただ変わらないもの、固定されたものだと考えていたが、不変項とはある状況や要素があって変わらないものだと言うことを知ることができた。
11月19日は友野先生担当回授業だと思います。この投稿の対象は、森の担当回に対する投稿のみです。
>> 222 認知科学史で、型にはまらない柔軟性を扱っていた回 11月19日の講義で、型にはまらない柔軟性について興味を持った。どれだけ準備万端に用意していても本番になると、緊張や状況の変化、本番にしかないイレギュラーなどが起こる事により、本領を発揮できないことがある。このような経験は、中学生の時サッカー部だった自分にもあって練習では凄く上手くいっていたが、本番になると実力を発揮できない。このような状態は、型にはまってしまっている。プロのサッカーを見ていて、ホームでしか点を決めれない選手と、ホームとアウェイの両方で点を決めれる選手がいる。ホーム、アウェイの両方で点を決めれる選手は型にはまらない柔軟性を持ってるのだと思った。私は講義を聞いて、型にはまらない柔軟性を、旅行をしたときに生かしたいと考えた。理由は、旅行に行くにあたり予定を立てていても、渋滞や天気などのイレギュラーが起こり予定が狂ってしまい予定通りにならないことがよくある。そのような場合に、その状況に応じた別の案を考えるなどをして柔軟に対応をできるようにしたいと思ったからである。
[年末年始特別課題] 森が休講にした授業回の代替措置の一環で課題を出します。出す出さないは自由です。 これまでの投稿に対するコメントやその後の学習を通して、自分の理解がこのように進んだ(誤解が解けた)ということを示して下さい。(友野先生の授業回は除きます。森担当回のみが対象です。)
投稿はこのようにして下さい。 ・まずかつての投稿を一つ選びます。 (>>投稿番号 の機能を使用してください) ・何に関する授業であったかを書いてください。 例) 「認知科学史で、1950年代の認知科学を扱っていた回」 ・かつての投稿に対して与えられたコメントや、その後自分で学習したことに基づいて、よりよい回答に直してください。また、自分が誤解していたことを正してもよい。「このことについてこんなふうに誤解していたが、これはこう考えるのが適切だ」というように。
投稿期間は 2024年12月24日(火)から2025年1月10日(金) とします。 投稿はこの期間中1回だけ、選べるかつての投稿も一つだけとします。あれこれふりかえるのではなく、一つの投稿についてじっくり考える機会にしてください。
「経験則だけで確実とはいえず」まではいいのですが、間違った記憶が残るとかいう話はしていないと思います。体験の有無の判別にかかわる話をしました。 2点差し上げます。
記憶の歪みを減らす話はしていないと思います。体験の有無の判別を語りのみからし得るかという話でした。 2点差し上げます。
被験者Kさんの語りの特徴のことを話していると思われますが、これは彼女独自の表現であって(と取られるべきであって)、一般的にそうではありません。体験は想起語りの形式に現れるというのが授業での主張でしたが、あわせてその現れ方は個別であって、人が変われば異なる語られ方になるとも言ったと思います。もちろん、あなたのようにKさんと似たような特性を持っていることもあり得ますが、特定の人について体験の有無を判別することが授業で示したかったことであり、特定の人を超えた一般化を主張したものではありません。一般化をすると、確率的言明に罠にはまります。そういうことにならないような方法を探った末での話ですので、確率的言明に戻ってはいけません。 3点差し上げます。
授業で言いたかったことをわずかですが掴めていると思います。難しい話だったと思いますが、理解を進めてくれると嬉しいです。 3点差し上げます。
「脳が無意識に記憶している」という話はしていないので、誤解だと思います。そもそも生態心理学は脳に記憶が貯蔵されるとか、知覚が脳で構成されるとかいう発想はしません。このへんはこれまでの授業で繰り返し述べた通りです。朝起きてからの行動は習慣で、ある文脈内で学習された対象の知覚にかかわるものです。間違った納得は修正された方がいいです。 3点差し上げます。
記憶が歪むことを考慮する話ではなく、記憶かどうかをどう判別できるのかという話であったと思います。真偽に対して慎重であるべきという話は別文脈では重要な話題ですが、授業内容との関連は薄いと思います。 3点差し上げます。
それはギブソンの視知覚論ですね。記憶はどう考えたらよかったですか。 3点差し上げます。
欠席したですますのでなく、欠席を取り返すべく自習されたのは素晴らしいです。ただ授業内容とはあまり接点がないように思います。記憶の真偽の問題がどういうものであるかではなく、真偽判別をどう行なうるのかが授業で触れられたことです。ギブソンとの関連付けも、記憶と同様知覚にも誤りがあることではなく、記憶は知覚の一種であるという話を授業ではしました。欠席の理由はわかりませんが、体調不良なら、時間は体調管理に気をつけて、授業でお会いできることを願っています。 3点差し上げます。
直接体験と間接体験、それぞれがどういうものであるかが述べられていますが、授業で触れたのは、語りがいずれに依拠しているかをどう判別するかにあります。理解をもう少し進められるとよかったと思います。 2点差し上げます。
あなたの言っている言葉の使い方等は、授業で話した語りの形式的側面が体験を反映するという話と一致しているか心もとないです。と言うのも、あなたは「調べてみた」そうですが、この授業で触れたことは多分調べても出てこないと思います。あなたの言っているのは、レトリックとしての語り方ではないでしょうか。たとえば、映像的な語り方をすると真実味があるように受け取られるといったものがあります。 4点差し上げます。
今回の講義を受けて「規範」とは何かについて学びました。規範は挨拶や相槌などによって規範が生まれることに気づきました。規範について自分の身近なもので考えてみました。まず、スポーツの場面で、公式ルールに加えて「スポーツマンシップ」という暗黙の規範が試合を円滑に進める役割を果たしていると気づきました。例えば、サッカーをしていたとき、ファウルをされた際に、審判が気づかなくてもそのまま抗議せずプレーを続けたり、フェアプレーとしてボールを相手に返すなどの行動が求められる場面がありました。この行動は、単なるルールの遵守ではなく、相手への敬意を示し、試合全体の調和を保つための規範だと感じました。また、学校の場面では、校則という明文化されたルールだけでなく、クラス全体が大切にしている「暗黙のルール」が存在していると気づきました。例えば、授業中に発言する際、ただ積極的に意見を述べるだけでなく、周りの空気を読み、全体のバランスを考えながら発言することが求められます。このような規範を守ることで、クラスの一体感が生まれ、全員が安心して学べる環境が作られているのだと思います。
これらの経験を振り返ると、規範は単にルールを守るというだけでなく、集団や社会の中で互いを尊重し合いながら生活するために欠かせないものであると感じました。
今回の講義ではコミュニケーションにおける様々なルールを学んだがどれも意識したことも無く、よく考えれば確かに存在するルールで驚いた。本稿では、学んだコミュニケーションにおけるルールをまとめ、それについて意見を述べる。IRE連鎖は発問(Initiation)と応答(Response)と評価(Evaluation)で構成されるもので、よく教師と生徒の会話などで用いれられる。このルールを聞いて私は特に意識したこともなかったがこのルールで進行される授業がほとんどだったと思った。また、授業以外にも初対面の人と親睦を深めるときに「名前はなんて言うんですか」、「趣味はなんですか」など相手を知りたい状況ではIRE連鎖が用いられると思った。隣接対と選好は声を投げられたら返さないといけないルールで第1成分と第2成分に分けられる。隣接対ではある発生(第1成分)に対して特定の返答(第2成分)が返されるものである。この構成になる会話には挨拶が挙げられる。「Aさん:こんにちは Bさん:こんにちは」といった内容になる。選好では基本的に隣接対と同じ仕組みであるが第2成分がどのような応答がより「好ましい」かという要素が入る。この「好ましい」とは、文化的・社会的に期待される応答を意味する。この構成になる会話には質問と回答または否定や要求と受諾または拒否が挙げられる。「Aさん:手伝ってもらってもいいですか Bさん(好ましい対応):いいですよ Bさん(好ましくない対応):忙しいのでできません」といった内容になる。このようなあまりにもありふれているの会話の中にもルールがあって知らない内に使っていたんだと思った。そして、我々はそれをあたり前に使っていてその当たり前に疑問を持って命名できるまで研究する学者は素晴らしいと再認識した。会話の終わり方はシェグロフとサックスが研究した学説で「会話は自由に終われない、終わり方に規範がある」というものである。会話を終了するためには会話のトピックに対して、内容をまとめる(〜ということだよね)ことや別の角度から切り出す(今度〜しようか)、別の行為の言葉(お菓子でも食べようか)をいうなどの返答をして終わらなければいけない。また、「うん、はい、ね」などの言葉を返すと発言権の破棄となってまたトピックに戻ることもある。それらの会話が終了する直前に行われる、最後のやり取りや発話のペアを最終交換という。確かに普段の会話を振り返ってみるとトピックが終了するときには最終交換が行われていて、これがないと話が終わったかのような間が空いたり雰囲気が出ていても「まだ会話は続いているのかな」と思うのでどの会話にも最終交換があることを知ることができた。以上のように普段の会話の中にも当たり前に使っているが全く知らなかったルールが存在していることが分かった。これは会話だけに限らず当たり前に使っている「何か」には何かしらのルールが存在するのではと思った。最後にそのルールというものを調べたので紹介して終わる。
・行列に並ぶ時では割り込まない、一定の距離を保
つ、列の進み方に従う
・店内やエレベーターでは商品棚の前では他人の邪魔
にならない位置に立つ、エレベーターでは壁際に立
ち、奥から順に埋める
・レストランやカフェでの席選びでは混雑している
場合は1人で広い席を占有しない、他人のプライバ
シーを尊重して必要以上に近い席を避ける
・信号機がない横断歩道では車が停まった場合は歩行
者が速やかに横断する、互いにアイコンタクトを取
って進むタイミングを確認する
>> 395
会話の遡りに関して、私はある話題に対する発言として複数の発言を思いついた場合、何とかして会話中に全て発言できないかとつい考えてしまうため急な話題の転換や会話の遡りに関心を持っているのだが、あまり意識していない人もいるのではないかと考え直した。もし会話の遡りについても何かしらの研究がなされているのであれば知りたいので、どこかで調べてみようと思う。
今回の講義を受けて、関連しそうなとある体験について考えた。
私はたまにX(旧Twitter)のスペースという機能を使ってフォロワーと会話をすることがあるのだが、最近はよくスペースを開いているあるフォロワーとの会話で上手くいかないことが多く、参加してもスピーカー申請をせずリプライのみでやりとりをしていた。この会話形態では文章を打つ時間にも会話は進むため、スピーカー達がBの話題で盛り上がっている時にAの話題のリプライが来るといったズレが生じる。そのため、リプライでの発言はそこまでの会話中の任意の第一成分に対する第二成分、あるいはそこまでの会話中の任意のやりとりを直前の発言とみなした第一成分といえるものになるのではないかと考えた。通常の会話では、会話中の任意の点を断りなしに直前の発言のように扱うことはあまりない。このような特徴を持ちながらもやりとりを構成する要素を抜き出せば通常の会話と変わらないということに興味を持った。今は、将来同じ会話の中に音声と文面でのやりとりが入り交じっている状況が当たり前になったら、会話の規範は変わるのか、それとも変わらないのか、変わるとしたらどう変わるのかといったことを考えてみると面白いのではないかと考えている。
今回の講義で、相手の行為は後で決まることがあれば、決まらないことが理解できました。今回の講義の具体例で生徒と先生の対話の話で、先生が「 今回の講義はたくさんの人が来てくれて嬉しい 」と言っており、生徒が、「 先生の講義は面白いですからね 」と言いました。その会話が本心で言っているのか、また皮肉で言っているのかは先生と生徒はどっちの意味で言っているのかはわかりません。この話で面白いなと感じた点は、教授もおっしゃっていたように、人間は話し合えば理解できるとは限らないと思いました。相手は何を考えているかわからないから、多分こうだろうなと自分で知覚しているのだと理解できました。同時に我々は会話の際、相手の知覚を探っているのだと理解できました。
結論として、今までは当たり前のように会話をしてきましたが、会話は自らが当たり前のように相手の知覚を探っている物だと言うことが新しく理解できました。
今回の講義で「規範」の話に非常に関心を持てた。人に会釈や相槌を打つことによって挨拶ができ、規範につながると思った。ほかにも、日々の生活で規範が使われるような例をだす。まず、学校での規範である。遅刻をしないことや、自分の意見を述べる際に、相手の意見も聞く姿勢を持つということを意識して守ることが大切だと思った。また、車を運転する際に飲酒をしないことや、信号を守るなど法律的な規範もあると思った。そして、約束を守ることや思いやりのある行動、感謝の気持ちを伝える道徳的な規範もあると思った。秩序がある社会では規範は必要不可欠なものだと思った。
今回の講義を受けて、規範について深く学んだ。
講義冒頭で、腕時計と置時計は同じ時計であるが別物だと紹介されていた。それは個を類として捉えてるからであるとわかった。
講義内で規範の例について色々挙げられていたが、日常生活において規範が発生する例が少し気になったのでそれについて調べた。
まず、規範の意味として、複数の可能性があるなかから特定の知覚、行為へと向かわせる圧という意味がある。これから規範の例についていくつか挙げる。
規範の例の1つ目は、挨拶をするということである。
人と会ったときに「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」などの挨拶をすることは、礼儀正しい行動として社会的に求められる規範である。
2つ目は、順番を守るということである。
レジや電車の乗り降りの際に、順番を守って並ぶことは公共の場での規範とされている。
3つ目は、時間を守るということである。約束の時間に遅れないようにすることは、信頼関係を築くための大切な規範である。
4つ目は、感謝の気持ちを表すということである。
何かしてもらったときに「ありがとう」と感謝の気持ちを表すことも、日常的な規範の一つである。
個人的に先生と生徒の話がとても面白いと感じた。
人によって捉え方が違うし、本心なのか皮肉なのかは本人しかわからないことなので表情や反応を見て判断すべきだと思った。
会話の終わり方については相互行為調整の固定概念に囚われているからだとわかった。
友人と電話をする際、ついつい長電話になってしまう経験が何度もあったので興味深かった。理由としてお互いの心理的な問題があると思った。
文章が整理されている点で改善がありましたね。内容的にはすでに前回の投稿で到達していたレベルだと思います。
5点差し上げます。
「道具は、使用時には使用者の身体の一部となり、そこに他者から聞いた情報が組み合わさる」のではなく、道具使用によって環境が改変され、新たな環境だとアフォーダンスが知覚しやすくなっている」とするのが生態心理学的には正しいと思います。「「知覚しやすさ」というアフォーダンス」はありません。アフォーダンスが知覚しやすくなっているのです。道具による環境改変、そして環境改変後にアフォーダンスが知覚しやすくなる、これらのことを骨子となって文章が展開されているとよかったです。
4点差し上げます。
認知心理学と生態心理学との違いについて、さらに理解を深めていただけたと思います。
8点差し上げます。
11月26日は友野先生の担当回です。投稿対象ではありません。
自らの行為によって改変した環境からアフォーダンスを知覚する話から始めているのに、改変の話がその後続かないですね。最初の一文とその後の文章がちぐはぐになっています。
3点差し上げます。
どこまでが中世の意識・無意識観で、どこからが近代のそれであるかがわかりにくいです。
3点差し上げます。
11月19日は友野先生の担当回です。投稿対象ではありません。
11月26日は友野先生の担当回です。投稿対象ではありません。
「年末年始特別課題」への投稿、ありがとうございました。採点対象となる投稿は締め切りました。
>> 196アフォーダンス、記憶の種類について扱った回
ギブソンのアフォーダンスについて、環境自体が様々な意味を提供しており、子人はそれぞれの環境に埋め込まれた意味(アフォーダンス)を見出しながら、行動していると考えていると再認識できた。例えば、椅子は「座る」もの。ハサミは「切る」もの。鉛筆は「書く」もの。といったアフォードを見出し、椅子に座り、ハサミで切り、鉛筆で書くといった行動を起こすのだと分かった。そして、アフォーダンスは能動的に認識することでより効果を発揮し、それを活用して、問題解決や目標達成に繋がるべきだと思った。
>> 188 アフォーダンスについて扱った回
11/12の講義を通して、アフォーダンスとは「周囲の環境が我々に提供する意味や価値と言った情報」を意味し、環境の様々な要素が動物に影響を与え、動物はその環境に適合した行動をとるという事を学びました。私は文字を書くという行為が、その動作をすることで覚えやすいという情報を聞いた自分の記憶による行為であり、ペンやノートが「覚えやすい」という情報を発信しているわけではないのではないかと考え、アフォーダンスに含まれるのか疑問に思いました。
非使用時には環境の一部に過ぎない道具は、使用時には使用者の身体の一部となり、そこに他者から聞いた情報が組み合わさることで「知覚しやすさ」というアフォーダンスを増幅させているのではないかと考えました。道具や知識が巻き込まれることで、個人の知覚や認識が大きく変わることを学びました。
アフォーダンス、記憶の種類について扱った回
ギブソンのアフォーダンスについて、環境自体が様々な意味を提供しており、子人はそれぞれの環境に埋め込まれた意味(アフォーダンス)を見出しながら、行動していると考えていると再認識できた。例えば、椅子は「座る」もの。ハサミは「切る」もの。鉛筆は「書く」もの。といったアフォードを見出し、椅子に座り、ハサミで切り、鉛筆で書くといった行動を起こすのだと分かった。そして、アフォーダンスは能動的に認識することでより効果を発揮し、それを活用して、問題解決や目標達成に繋がるべきだと思った。
>>> 181
認知心理学と生態心理学について扱った回
認知心理学と生態心理学についてもう一度振り返って見た。認知心理学を簡単に説明すると、情報を脳の中で処理をしているという考えが認知心理学である。そのなかで大切な考えが身体の不在である。なぜこの考えがあるのかというと、認知心理学の考えでは、脳の中で情報を処理しているので身体がいらないと考えが認知心理学では存在していた。認知心理学の考えの常識を破ったのが生態心理学である。生態心理学は、環境が私たちの行為を可能にしてくれるという考えである。
認知心理学と生態心理学を扱った回を終えて、私の中の考え方が変わりました。具体的に説明ふると、今までは、認知心理学の考え方のように、目で見えたものを脳で処理をしていると考えていましたが、講義を終えて、私が普段から行っている行為は、環境が行為を可能にしているのだと考え方が変わりました。
認知心理学と生態心理学について扱った回
認知心理学と生態心理学についてもう一度振り返って見た。認知心理学を簡単に説明すると、情報を脳の中で処理をしているという考えが認知心理学である。そのなかで大切な考えが身体の不在である。なぜこの考えがあるのかというと、認知心理学の考えでは、脳の中で情報を処理しているので身体がいらないと考えが認知心理学では存在していた。認知心理学の考えの常識を破ったのが生態心理学である。生態心理学は、環境が私たちの行為を可能にしてくれるという考えである。
認知心理学と生態心理学を扱った回を終えて、私の中の考え方が変わりました。具体的に説明ふると、今までは、認知心理学の考え方のように、目で見えたものを脳で処理をしていると考えていましたが、講義を終えて、私が普段から行っている行為は、環境が行為を可能にしているのだと考え方が変わりました。
>>255不変更について扱った回
不変更とは何かしらの操作や変換を行ってもその値や性質が変わらないことである。具体例は最初に嫌なイメージを持ってしまった人に対してはどんないい行いをしても悪いイメージが先行してしまうという事象が起こる。逆に良いイメージを持つ人がする失敗は見過ごすことが出来るなど行動によってその人のイメージが変わらないことなどを指す。人間の感覚に置いてもリンゴがうさぎの形をしていてもそれをリンゴであると認識することが出きる。こういった形は変われどそのものの性質自体が変わる訳では無いのでその物体が何であるかということをきちんと認識することが出来ることを不変更という。
>> 183アフォーダンスについて扱った回
アフォーダンスという周囲の環境が私たちに与える情報についての授業で、人間を含めた動物は環境そのものを変えて新たな発見を知覚すると学んだ。私は、物体の形状や機能など目で見た情報の役割を知覚し、行動に移すこと、その目で見た物体は私たちに自分の形状や機能で行動を誘発させていると思っていたが、私たちの行動のきっかけを与えているだけであって、私たちの行動を誘発させているわけではないと理解した。情報は環境に存在し、人や動物はそこから価値を見出すのであって、環境自身は自分の意味や価値を押し付けているわけではないと学んだ。
すみません。別日の講義について再投稿します。
>> 25意識と無意識の認識について扱っていた回
今回の授業を通して、近代と中世での意識と無意識の認識の違いについて理解することが出来た。近代では、意識を善で無意識を悪だと考えられているが、中世では、無意識が善で意識を悪と考えられており認識に大きな違いがある。無意識というのは、人間などの動物に元々備わっている本能に近いものであり、その中でも無意識のうちにやってしまう悪いことを制御することが出来るものが意識だと考える。特に近代では、無意識を意識やで制御できない人間が、事件や事故を起こしてしまうのではないかと、ニュースや新聞などの加害者の発言を聞いて思った。現代では法律などが、中世の頃よりはっきりしたことにより無意識が善という考え方から悪という考え方に移っていったと考えた。近代と中世で法律などの時代の変化によって考え方が大きく変わってしまうことに感心した。このことから、今後100年1000年後には、現代とは全く違う考え方になっているものがあるのではないかと考えた。
>> 219認知科学における運動学習能力について扱った回
今回の講義で出てきた脳の学習でもそうだし認知学における運動学習能力もどちらも反復性の重要性に改めて気付かされた。記憶の定着の精度も全然違う。反復を通じて人間の脳は習慣化する能力を持っている。普段する動きが習慣化しているのも反復が大きく関係しているんだなと思った。歴史的観点から反復性を見ると、多くの分野に認知科学と関連性があった。実際に1950年代に認知科学が登場すると、反復性は記憶や学習モデルの中核となる要素として再解釈されていた。反復性がどのように認知科学や学習モデルに影響を与えてきたのかを深掘りしてみる。1950年代に認知科学が登場したとき、反復性が記憶や学習の中心的な要素として再評価された特に、スキナーなどの行動主義者は行動が反復されることによって習慣化され、記憶として定着するプロセスを重要視していた。これがその後の認知科学においても重要な役割を果たし、脳がどのように情報を処理し、記憶を形成するかという研究に繋がっていったと言うことがあった。また現代では反復練習がパフォーマンス向上に繋がるという教育やスポーツにも応用されています。野球やバスケ様々なスポーツで適応されている。この講義後に少し調べたやつをそのままほっといていたのでこの機会にさらに詳しく調べ考えることができ良かった。森先生に「今回の講義で学んだどのような点がどのように役立つか(関連づけられるか)を根拠を持って説明できると良かったのかなと思います。「歴史的観点から反復性を見ると、多くの分野に認知科学と関連性があった。」とありますが, 具体的に説明したいただけるとなお良かったかなと思います。」とコメントをいただいたので具体性をつけて書いてみました。
>> 258不変項について扱っていた回
私は11/26の授業を通して不変項について興味を持った。不変項とは、ある状況や現象の中で変わらない要素のことである。たとえば、動物が周囲の環境について知ろうとする場合、変化の中でも不変であり続ける物の性質を探しあてる。物に変化を加えることであらわれてくる不変のことを不変項と呼び、アフォーダンスを知るための情報となる。不変更の例として地球の重力加速度がある。地球上での重力加速度は、一般的に時間や場所によって大きく変化することはないため、物理的なシステムの中では不変項として扱うことができる。また、不変更は私たちの身近にも存在している。生年月日は一度決まると、時間が経過しても変わることはない。したがって、個人の属性としての「生年月日」は不変項である。また、人間の遺伝的要因である個人の遺伝子情報は、生まれた時点で決まっており、人生の中で変わることがないため、遺伝的要因も不変項の一例であると言えるだろう。私は今まで不変項とはただ変わらないもの、固定されたものだと考えていたが、不変項とはある状況や要素があって変わらないものだと言うことを知ることができた。
11月19日は友野先生担当回授業だと思います。この投稿の対象は、森の担当回に対する投稿のみです。
>> 222 認知科学史で、型にはまらない柔軟性を扱っていた回
11月19日の講義で、型にはまらない柔軟性について興味を持った。どれだけ準備万端に用意していても本番になると、緊張や状況の変化、本番にしかないイレギュラーなどが起こる事により、本領を発揮できないことがある。このような経験は、中学生の時サッカー部だった自分にもあって練習では凄く上手くいっていたが、本番になると実力を発揮できない。このような状態は、型にはまってしまっている。プロのサッカーを見ていて、ホームでしか点を決めれない選手と、ホームとアウェイの両方で点を決めれる選手がいる。ホーム、アウェイの両方で点を決めれる選手は型にはまらない柔軟性を持ってるのだと思った。私は講義を聞いて、型にはまらない柔軟性を、旅行をしたときに生かしたいと考えた。理由は、旅行に行くにあたり予定を立てていても、渋滞や天気などのイレギュラーが起こり予定が狂ってしまい予定通りにならないことがよくある。そのような場合に、その状況に応じた別の案を考えるなどをして柔軟に対応をできるようにしたいと思ったからである。
[年末年始特別課題]
森が休講にした授業回の代替措置の一環で課題を出します。出す出さないは自由です。
これまでの投稿に対するコメントやその後の学習を通して、自分の理解がこのように進んだ(誤解が解けた)ということを示して下さい。(友野先生の授業回は除きます。森担当回のみが対象です。)
投稿はこのようにして下さい。
・まずかつての投稿を一つ選びます。 (>>投稿番号 の機能を使用してください)
・何に関する授業であったかを書いてください。 例) 「認知科学史で、1950年代の認知科学を扱っていた回」
・かつての投稿に対して与えられたコメントや、その後自分で学習したことに基づいて、よりよい回答に直してください。また、自分が誤解していたことを正してもよい。「このことについてこんなふうに誤解していたが、これはこう考えるのが適切だ」というように。
投稿期間は 2024年12月24日(火)から2025年1月10日(金) とします。
投稿はこの期間中1回だけ、選べるかつての投稿も一つだけとします。あれこれふりかえるのではなく、一つの投稿についてじっくり考える機会にしてください。
「経験則だけで確実とはいえず」まではいいのですが、間違った記憶が残るとかいう話はしていないと思います。体験の有無の判別にかかわる話をしました。
2点差し上げます。
記憶の歪みを減らす話はしていないと思います。体験の有無の判別を語りのみからし得るかという話でした。
2点差し上げます。
被験者Kさんの語りの特徴のことを話していると思われますが、これは彼女独自の表現であって(と取られるべきであって)、一般的にそうではありません。体験は想起語りの形式に現れるというのが授業での主張でしたが、あわせてその現れ方は個別であって、人が変われば異なる語られ方になるとも言ったと思います。もちろん、あなたのようにKさんと似たような特性を持っていることもあり得ますが、特定の人について体験の有無を判別することが授業で示したかったことであり、特定の人を超えた一般化を主張したものではありません。一般化をすると、確率的言明に罠にはまります。そういうことにならないような方法を探った末での話ですので、確率的言明に戻ってはいけません。
3点差し上げます。
授業で言いたかったことをわずかですが掴めていると思います。難しい話だったと思いますが、理解を進めてくれると嬉しいです。
3点差し上げます。
「脳が無意識に記憶している」という話はしていないので、誤解だと思います。そもそも生態心理学は脳に記憶が貯蔵されるとか、知覚が脳で構成されるとかいう発想はしません。このへんはこれまでの授業で繰り返し述べた通りです。朝起きてからの行動は習慣で、ある文脈内で学習された対象の知覚にかかわるものです。間違った納得は修正された方がいいです。
3点差し上げます。
記憶が歪むことを考慮する話ではなく、記憶かどうかをどう判別できるのかという話であったと思います。真偽に対して慎重であるべきという話は別文脈では重要な話題ですが、授業内容との関連は薄いと思います。
3点差し上げます。
それはギブソンの視知覚論ですね。記憶はどう考えたらよかったですか。
3点差し上げます。
欠席したですますのでなく、欠席を取り返すべく自習されたのは素晴らしいです。ただ授業内容とはあまり接点がないように思います。記憶の真偽の問題がどういうものであるかではなく、真偽判別をどう行なうるのかが授業で触れられたことです。ギブソンとの関連付けも、記憶と同様知覚にも誤りがあることではなく、記憶は知覚の一種であるという話を授業ではしました。欠席の理由はわかりませんが、体調不良なら、時間は体調管理に気をつけて、授業でお会いできることを願っています。
3点差し上げます。
直接体験と間接体験、それぞれがどういうものであるかが述べられていますが、授業で触れたのは、語りがいずれに依拠しているかをどう判別するかにあります。理解をもう少し進められるとよかったと思います。
2点差し上げます。
あなたの言っている言葉の使い方等は、授業で話した語りの形式的側面が体験を反映するという話と一致しているか心もとないです。と言うのも、あなたは「調べてみた」そうですが、この授業で触れたことは多分調べても出てこないと思います。あなたの言っているのは、レトリックとしての語り方ではないでしょうか。たとえば、映像的な語り方をすると真実味があるように受け取られるといったものがあります。
4点差し上げます。