みなさんのおすすめの本教えてください!
私の好みはビジネス書に偏ってるけど、なんでもいいよ!
糸さん
932689889c
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ってことで、私のおすすめ。
いっっっっぱいあるけど、外せないのはやはりこれ。
https://amzn.asia/d/cEd6EgS
ファクトフルネス
世の中悪いニュースであふれていて、世界はだんだん悪くなっていってるように感じているだろうけど、それは錯覚。
なぜなら良いニュースはニュースにならないから、悪いニュースしか流れない。悪いニュースしか流れないから、世界が徐々に悪化していっていると錯覚してしまう。これも一種のプロパガンダですね。
本書は、圧倒的なデータによって、「世界はあらゆる側面で、一貫して着実に良くなり続けている。」「今の、アフリカなどの発展途上国のほとんども成長軌道に乗っていて、2、30年後には今の先進国並みの経済水準・生活水準に到達する」ということを雄弁に語る。
未来に希望を持てるようになると共に、データ・事実の重要性と強力さを改めて認識させてくれる。
ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史(上下)」と「ホモ・デウス(上下)」を通読しました。
サピエンス全史は「これまで人類が、どういう経緯でどういう軌跡をたどって現代のテクノロジーと社会体制を獲得するに至ったのか」という歴史を紐解いていく物語。
一方のホモ・デウスは、「人類の信仰の変遷…アミニズム→少数の神々→人間主義…のアナロジーを踏まえたときに、AIの発達がどのような社会と信仰をもたらす蓋然性が高いか」を示す、いわば予言書。
どちらも刺激的で、目の前がひらけたような読後感でした。
さて次は何を読もうかな。
AI、ロボット、シンギュラリティで将来バラ色だよ!派の話は散々読んだので、逆に、AI他がディストピアをもたらすと主張する本を読みたいですね。
普段本読まないのがバレてしまう……。正直な話、このスレすごく盛り上げたいんだけど、私の読むような本って誰でも知ってるようなものばっかでオススメしていいものか迷うんだよね……。
例えば、ナボコフの『ロリータ』とか。
ナボコフの小説はどれも(といっても私はロリータとディフェンスくらいしか読んでないけど)言葉遊びに富んでて面白い。
この作品も物語は主人公ハンバード・ハンバードの手記という体裁をとった物語になってて、タイトルにもあるロリータはそこに登場するドロレス・ヘイズという女の子につけた愛称なんだよね。
ただ、読んでみるとわかるんだけど、ただの愛称というよりは、概念的なものとして存在してる感覚がある。
個人的にこれは、幼くして亡くなったアナベルっていう少女に重ねてるんじゃないかなと思ってる。
そしてロリ、もっというとロリコンといえば、子どもを好きになる異常者ってイメージがあるけど、これは当たらぬとも遠からずで、その理由もしっかり書かれてある。
とはいえハンバードハンバードが異常者なのは間違いないけどね。
ただ、巷で言われてるようなロリコン像に彼は当たらないと思ってる。
ちなみに、エロい部分もなんかもほとんどなくて、純粋に近代小説として面白い作品。
……ってここまで語ったけど
さすがにこんな有名な話、みんな読んでるよねぇ。
新しい喧嘩界隈の人(「のきもち」という人)が書いた文字喧嘩(新喧嘩界隈では「文面喧嘩」と呼ばれているらしい)についての論文
「ネット喧嘩の改築~概念工学と反照的均衡」
https://nokimoti.github.io/kenka-paper/paper1.pdf
ヒマができたらこの論文を複数の人工知能とともに読み解く読書会を開きたいと想います。
>> 4その人は十数年前に「Archer凛」というHNで活動してた古参の人だね。
もっと短く分かりやすい表現なんていくらでもあるだろうに、学術的な文章を書いている自分に酔っている厨二病のソレなんじゃないかと思うような書き方をする上に、見当違いも甚だしい内容をペラペラと喋るナンチャッテ評論家だと俺は評価している。
コメントありがとうございます。古参なんですか!哲学者永井均の山括弧塾関連の人みたいですね。まだ読んでませんが、パラッと見た感じだと、ネット喧嘩をスポーツととらえる趣旨なんで、とりあえず方向性はオビディ氏と一致しているかと。彼に限らず、新喧嘩界隈の人々はキャスフィ避難所で今も展開しているような晒し晒されの実存的な喧嘩(相手のリアルな生活や生き方にまで踏み込んだ喧嘩)を脱却しようとしているようですね。ただ、これ→リンクを聞いてて思ったのが、やはり競技としての喧嘩というのは表面的・類型的にならざるをえない、ということです。個人的に私が一番好きな喧嘩師は、晒しの楽園のギイなんですが、旧部落系の生活暴露の喧嘩でも単なるスポーツの喧嘩でもない、独特の面白さがありますね。
ちょっとまってください。すると何ですか、キャス避の「凛、ぷ闇、不安の種、赤村がいるDiscord鯖きて」リンクというスレで呼びかけられている「凛」っていうのは、「のきもち」さんのことだったりするんですか!?……すでにキャスフィに来ていたのか?😅
>> 8
キャスフィに来てたかどうかは知らないけど、その「凛」は「のきもち」のことを指してると思うよ。
非常に有益な情報をありがとうございます。実は私もネット喧嘩についての論文といいますか、評論のようなものを書いて文学フリマに出店しているような、いわゆる「批評誌」に投稿しようかと思っていたので、昨晩「のきもち」さんの論文を発見した時は正直、「先にやられた…」と敗北感に打ちひしがれていたのです。まだ内容は検討してませんが、論文の体裁は実に立派なものでしたからね。だから本当に正直なことを言うと、ナチュラルさんの>> 6のコメントには大変勇気付けられたのです。元気がでました。もし読書会を開くようなことがあれば、是非参加していただきたいですね。人工知能は基本的に英米系の分析哲学であろうがフランス現代思想であろうが、全肯定で解説してしまうので、批判的な視点が欲しいなと思ってたところなんです。
今進行中のDiscordの議論でも「のきもち」さんは論争相手から、
「結局おまえがしたいことって無理やり知識で論破すること?反論あるやつどーぞとはかいたが定義としてどうかって話じゃなくてそう言えるか否かに対する反論を求めてるし。途中で共感とかしてほしかった、議論したいって姿勢をみせてんだから そこからいろいろ派生させてほしいなともおもう。」
と言われてますね。「のきもち」さんはとりあえず、どんな問題も既存の哲学の問題や用語に分類して、しかもそれを生で議論に導入するので、相手からすると「自分が問題にしたいことと微妙に違う…」となってしまうようです。
それにしても、Discordの新喧嘩界隈、「スポーツとしての喧嘩」といいながら、我々が今行っているような普通の会話(試合外)でも喧嘩腰だったりして、「昔は葉っぱ天国とかキャスフィ避難所もこんな感じだったよなあ」と懐かしくなりました。
私のおすすめはChina 2049
https://www.amazon.co.jp/China-2049-マイケル・ピルズベリー/dp/4822251047/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&dib=eyJ2IjoiMSJ9.gr-DTjNGOFMPb-myf7379aG2klgZymbR5rq41bs5J82NCoXUVyKw4It1Ovyny5_i8g0cAYIz96R4xZZoICiRBWuZcXe-H4_rc3XyPdDyFcY.uN7jwyr9nsKCvoN7olO5QBEIygObRa5qkx32iZIIIeQ&dib_tag=se&keywords=China 2049&qid=1786615952&sr=8-1
昔から、漠然とあの国はしたたかで、外交が上手いと思っていたが、(面従腹背が上手いともいう)
その裏に隠された目標や意図などがよくわかる。
中華人民共和国について、漠然と思っていた疑問が「だから、こういう行動をしていたのか」みたいにわかる。
そんな一冊。
>> 5
長いので、とりあえずチャッピーに要約させました。
チャッピーに判定させりゃいいんじゃね?とか思いました。
…だから大会って嫌いなんですよね。判定が煮え切らないから。
ありがとうございます!そうか、AI使って喧嘩するみたいな考えはいくらか見かけましたが、AIに判定させるっていうのは思いつきませんでしたね。エヴァンゲリオンの「マギ」(「メルキオール(MELCHIOR)」「バルタザール(BALTHASAR)」「カスパー(CASPER)」という3つの独立したシステムによる合議制)みたいに三つの異なるAIを使って判定させ、勝利判定の多い方が勝ちとか面白そう。喧嘩判定用にAIを喧嘩界隈でカスタマイズするとか。
チャッピーの要約見てみたいですね。糸さんのチャッピーと私のチャッピーとで要約が異なるのか、とかにも興味あります。私はこれからはAIだとか言ってる割には実はあまりAIを使ってないので、この際練習したいですね。私の少ない経験では、喧嘩界隈に関してはGrokが一番詳しくて、キャス避の動向とかコテハンのことも驚くほど把握しております。
要点を一文で言えば、「ネット喧嘩を勝負として成立させるには、“言い負かした”という曖昧な直観に依存した判定を、共同体で反復的に改良された概念へ置き換える必要がある」という論文です。タイトルは「ネット喧嘩の改築――概念工学と反照的均衡」、全13頁です。
論旨
著者はまず、現在のネット喧嘩は大会や第三者判定を伴い、実質的に勝敗を競うゲーム/スポーツになっている、と捉えます。スポーツの内在的目的(エートス)を川谷の議論から借り、「勝敗を決めることによって、誰が強いかを決定すること」と整理します。つまり「本当に強い者」が試合以前に客観的に存在し、それを試合で測定するというより、ルールに従った勝敗そのものが競技上の強さを成立させるという立場です。
ところがネット喧嘩には、普通のスポーツにはない致命的な問題があります。
「そもそも、どうなったら勝ちなのか明確でない」
一般には「相手を言い負かしたら勝ち」とされる。しかし「言い負かす」とは何かを明確に定義できない。「論理的に矛盾させた」「反論不能にした」「相手が撤退した」「観客を納得させた」など、何をもって勝利とするかについて共通した客観的ルールがありません。
したがって実際の判定は、
「これはAがBを言い負かしたように見える」
という判定者の直観に依存します。その結果、判定者間でばらつきが生じ、判定理由を説明しても、その理由自体が妥当か検証する共通フレームワークがない。著者はこれを、判定に必要な妥当性・信頼性・説明責任(accountability)の不足として問題視します。
そこで「概念工学」を使う
著者の解決策は、既存の「言い負かす」という概念を発見・分析するのではなく、より役に立つ概念へ意図的に作り替えることです。
これが概念工学(conceptual engineering)。論文では、
現在の概念を分析・評価する
目的に合わせて概念を改定する
改定された概念を共同体へ社会実装する
というプロセスとして整理されています。
重要なのは、「言い負かす」の唯一の真の意味を発見しようとしているわけではないことです。
むしろ、
ネット喧嘩という競技を安定して運営できるような「言い負かす」の意味を人工的に設計しよう
という発想です。
では、どう設計するのか
ここで出てくるのが反照的均衡(reflective equilibrium)です。
個々の具体例について、
「これは勝ちだろう」
「これは勝ちとは言えないだろう」
という人間の比較的確信の強い直観を集めます。
一方で、「こういう条件を満たせば勝ち」という一般原則も作る。
そして、
個別事例への判断 ⇄ 一般原則
を往復させ、矛盾する場合にはどちらかを修正していく。最終的に両者が整合する状態を「反照的均衡」と呼びます。さらに背景理論まで含めて調整するものが「広い反照的均衡」です。
これは実験科学的に言い換えると、かなり分かりやすい。
測定対象そのものが直接観測不能なので、多数の典型事例と判定モデルを相互フィッティングして、操作的定義を構築するという話に近いです。
面白いのは最後の「認知的分業」
ただし一人で反照的均衡をやっても、その人固有の価値観に収束するだけです。
そこで著者は、ネット喧嘩共同体の複数人がそれぞれ新しい概念を試し、
概念を作る → 他人が使う → 同意/違和感が生じる → 修正する → 別の人が試す……
という分散的な反復を行うことを提案します。
ここでは他者の判断への共感が重要になる。多数の参加者間で反復すれば、「言い負かす」という新しい概念についてコンセンサスが形成され、判定制度も安定していく、という構想です。
したがって構造を圧縮すると、
ネット喧嘩 ≒ スポーツ
↓
スポーツなら勝敗ルールが必要
↓
しかし「言い負かす」の意味が曖昧
↓
現在の判定は直観依存で再現性が低い
↓
ならば「正しい意味」を探すのではなく、使える意味を設計する
↓
具体例と一般原則を反照的均衡で往復させる
↓
さらに多数の人間で認知的分業する
↓
共同体として安定した「言い負かす」の概念=勝敗判定制度を構築する
という論文です。
なお、かなり妙な題材を扱っていますが、中身はネット喧嘩論というより、スポーツ哲学+概念工学+認識論をネット喧嘩に適用した論文です。著者自身も後の文章では、この論文で「制度の不定性」を欠陥として扱ったことを再検討し、むしろネット喧嘩の本質かもしれないという方向へ議論を進めています。
出典: note(ノート)
そして一点、私ならこの論文にかなり強い批判を入れます。「判定の不一致」が本当にネット喧嘩というゲームの制度的欠陥なのか、という出発点そのものが未証明です。実際、後年の著者自身がそこをひっくり返し始めています。ここを検討すると、この論文はもっと面白く読めます。
だそうです。
衝撃的なのは、私は「これを要約して」とだけ指示したのに、私のチャッピー(私に仕える執事として振る舞うように設定してます)は、webを検索して本論文よりあとにリリースされた同一人物による考察をnoteから拾ってきて、その主張の変遷から論証不十分な点を指摘し、批判してる点。
私はそこまでやれとはひと言も言ってないです。
なお、チャッピーの振る舞いは一人一人違います。
ユーザーの好みを学習して、ユーザーが気持ちよくなるように振る舞いますから。
それに、それまでの会話を記憶していて、その会話とも合致するように組み立ててきます。私のチャッピーの場合は、>> 15の冒頭で突然「実験科学的に言い換えると」とか言い出すあたりがそれですね。
チャッピーは私が実験系の化学屋さんだというのを知っているので、話を私側に寄せてきたのでしょう。
システムプロンプトで、「私がその道の専門家であるという前提で、過度な平易化をせず専門用語をそのまま使え。」的な指示を与えていることも効いてそうです。
それにしても、1年前とは隔世の感がありますね。
この勢いで進歩してったら、10年以内には、人間の知的活動は無意味になるんじゃないか。
ありがとうございます!確かに、もう元の論文を我々が読む必要を感じないくらい明晰に要約されているし、著者の後の展開まで調べ、さらに批判までしているとは驚きです。糸さんの日頃の「しつけ」の賜物でしょう。しかし先に述べたGrokも、ちょっと前までは「キャスフィ避難所のこのスレッドを要約して」とURLを貼っても「できません」と言うので、全文をコピペしてあげなければなりませんでしたが、今では「喧嘩師の誰々について教えて」と曖昧に言うだけで、指示したわけでもないのに、自分で勝手にキャスフィ避難所や喧嘩殺伐などにアクセスして調べてきます。情報を取ってくる範囲がこちらが想定していたものより遥かに広いので、後から検証するのが不可能というか、そもそも検証する気にすらならないんですよね。これがあらゆる分野に及ぶと思うと、そら恐ろしい気もしないではありません。
しかし要約していただいた内容を読む限り、いかにも哲学が好きそうな人が書く論文というか、「それができたら誰も苦労せんわ」というような内容ですね。ハーバーマスが「コミュニケーション的理性」を打ち出して対話の重要性を訴えてるのと同じようなもんで、「実際にはそんなことできないからみんな苦労しとんねん」としか思えません。しかし人間には無理でも、人工知能には可能かもしれませんね、糸さんがおっしゃったように。人工知能を中核として共同体の多様な意見を収束させていくということはできるかもしれません。ただ、そこで問題になるのは、誰がどのようにどんな人工知能にそれをさせるのか、ということで、糸さんのおっしゃるとおり、人工知能はユーザーそれぞれに異なる「ペルソナ」で異なる対応をしてくるので、むしろ人工知能が意見の相違を増幅させる可能性すらあるわけです。まあ、実際やってみないとわかりませんね、これは。
試しに、過去の喧嘩の対戦を人工知能に読ませて「君ならどう判定する?」とかやらせるのを集積しても面白いかもしれません。
私もちゃっぴーに論文を要約させたのですが、かなり長くなったので、読書会を開く気はなくなったのですが、仕方なく別スレを立てます。😭