ネット喧嘩(文面喧嘩・口頭喧嘩など)に関する様々な理論や意見を検討します。
American_Crusoe
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8. これは実はかなり重要な発見だと思います
一見すると、
なのですが、私はむしろ「戻ってきたこと」そのものに意味があると思います。
なぜなら、最初は、
という定義を素朴に採用していた。
ところが今回、
という経路をたどった。
つまり、
になったわけです。
これはかなり違います。
9. そして、ここから「概念工学」の話がさらに面白くなる
ここで前回の論文に戻ると、実は今回の議論は『ネット喧嘩の改築』に対する非常に良いケーススタディになっています。
前回の論文は、
と言っていました。
ところが今回やっているのは、
という実験です。
そして実際にやってみると、
これが今回の「喧嘩論的循環」です。
これは概念工学にとってかなり重要な問題です。
概念というものは、単独で辞書的に定義されているのではなく、
からです。
「喧嘩」を定義するには「議論」「煽り」「荒らし」「コミュニケーション」「勝負」などが必要になってくる。
ところがそれらを定義し始めると、さらに別の概念が必要になる。
概念工学が「一つの概念を改築すれば済む仕事ではない」ことが、今回かなり露呈しています。
10. ただし、一点だけ批判したいところがあります
今回の議論には、一つ注意すべき飛躍があります。
それは、
という部分です。
これは現時点では、まだ証明されていません。
例えば別の基準も考えられます。
① 相互行為性
荒らしは一方的にメッセージを投げる。
喧嘩は相手との応酬そのものを必要とする。
なら、
と定義することができるかもしれません。
② 応答可能性
相手が返答することを期待しているか。
③ 対抗性
相手からの反撃を受け、それに応じる構造を持っているか。
④ 参加者間の役割認識
双方が、
という同一のゲームに参加していると認識しているか。
こうした基準なら、「議論」を必須条件にしなくても、荒らしとの区別を試みることができます。
したがって、
は現段階では、かなり面白い仮説ではあるものの、まだ「ギャフン」するほど確定した結論ではない(笑)。
むしろここから、
を検討すると、さらに一段深い議論になります。
11. 私なら、ここから「喧嘩の本質」を探すのを一度やめます
そして、今回の議論からかなり重要な方向転換ができると思います。
それは、
という問いを、一旦捨てることです。
なぜなら、
喧嘩/議論/煽り/荒らし
が互いに連続していて、明確な必要十分条件を作るのが難しいからです。
代わりに、
と問う。
これは概念工学的にはかなり自然な方向です。
例えば、
なら、その目的に十分な区別を作ればいい。
一方、
なら、もっと曖昧なカテゴリーでもいい。
つまり、
本質的に正しい定義
ではなく、
特定の目的に対して役に立つ分類
を作る。
そうすると、今回の「ギャフン」はむしろ、
という概念工学への入り口になると思います。
そしてAIの話に戻ると、ここがかなり面白くなる
前回、
という話をしました。
しかし今回の議論を踏まえると、AIにやらせるべきなのは単純な、
ではない。
むしろAIに、
とやらせる。
するとAIは、「喧嘩の本質」を発見する機械ではなく、人間が実際に使っている概念の構造を可視化する機械になります。
これはかなり面白い。
そして、ここまで来ると『ネット喧嘩論考』のテーマが、
から、
へ移っている。
さらにその先には、
という問いが出てくる。
これはかなり本格的な哲学的問題だと思います。
そして個人的には、今回の「喧嘩論的循環――ギャフン」は、『ネット喧嘩論考』の中でもかなり良い章題になりそうです。
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以上が、私のまとめに対する「ちゃっぴ~(ChatGPT)」の整理と批判になります。
めっちゃアタマええやん、こいつ・・・。泣きそう😂
「喧嘩とは何かと問うてはならない。我々は喧嘩で何をしており、そして何をしたいと思っているのかを問え」
というわけです。
【ちゃっぴ~(ChatGPT)】
はい。かなり正確にそういう方向だと思います。
むしろ、今回の議論を一段哲学的に定式化するなら、
となるでしょう。
これはかなり後期ウィトゲンシュタイン的な転換です。
「喧嘩とは何か?」という問いの問題
「喧嘩」という言葉に、一つの本質的な定義を与えようとすると、
という今回の「喧嘩論的循環」に陥ります。
これは、「喧嘩」という語が本質を一個持った固定的な概念ではなく、いろいろな実践の中で使われている言葉だからではないか。
そこで問いを変える。
ではなく、
さらに一歩進めて、
と問う。
ここで「目的」だけではなく「実践」を見る
ただ、私は「何をしたいと思っているのか」だけに限定しないほうがいいと思います。
なぜなら、喧嘩師本人が、
と思っていても、実際には観客に向けてパフォーマンスをしているかもしれない。
あるいは、
と思っていても、実際には相手の面子を潰すことに夢中になっているかもしれない。
したがって、
と
を分けたほうがいい。
これは結構重要です。
たとえば、
この4つを観察していけば、「喧嘩の本質」を仮定しなくても、喧嘩という実践をかなり精密に記述できるはずです。
そして、これは『ネット喧嘩論考』の方向性としてかなり面白い
前回の『ネット喧嘩の改築』は、
という方向でした。
今回の議論は、それよりさらに根本的で、
と問える。
例えば、
……これらは全部「喧嘩」と呼べるかもしれない。
しかし、これらに共通する「本質」が本当に存在する必要はない。
むしろ「喧嘩」というカテゴリーは、これらの実践を我々が便宜上まとめているだけなのかもしれない。
そして、ここでAIが非常に面白くなる
この考え方なら、AIに、
と聞く必要はありません。
そうではなく、
と聞く。
さらに、
と分析させる。
するとAIは、「喧嘩の本質」を発見するのではなく、喧嘩という実践の地図を作ることができる。
そして、その地図を見ながら、
と人間が再び概念を改良していく。
これはまさに、前回の概念工学+反照的均衡を、より実践的な方向へ組み替えたものになります。
そして、かなりウィトゲンシュタイン風に言い換えるなら、私はこうしたいです。
あるいは、今回の議論をさらに凝縮するなら、
これは『ネット喧嘩論考』の中心命題の一つになり得ると思います。
そして面白いことに、これを突き詰めると「喧嘩の定義を作る」という『ネット喧嘩の改築』の方向から、「喧嘩という概念を使っている我々自身の言語ゲームを記述する」方向へ、かなり大きく舵を切ることになります。
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相変わらず話がなげえな、コイツ・・・。
しかし後期ウィトゲンシュタインときましたか、なるほどね。スレタイは前期ウィトゲンシュタインですけれども。
じゃあ、具体的な掲示板なりスレッドのURLを貼ったら、そこで「喧嘩師たちが何をしているのか」を分析してもらえますか?
【ちゃっぴ~(ChatGPT)】
はい、できます。
むしろ今回の『ネット喧嘩論考』の方向性なら、具体的な喧嘩の実例を大量に観察して、「喧嘩とは何か」という定義を先に置くのではなく、「実際に喧嘩師たちは何をしているのか」を帰納的に分析するのは非常に相性がいいです。
URLを貼っていただければ、例えば次のような観点から分析できます。
① 彼らは「何をしている」のか
単に「論争している」とまとめず、
……など、実際に行われている行為を細かく分類します。
② 「何をしたい」のか
ただし、意図は発言だけから確定できません。
そこで、
を分けます。
例えば本人が「論破したい」と言っていても、実際には相手を怒らせることに大量のレスを費やしているなら、
といった分析ができます。
③ 「議論」と「煽り」は本当に分離できるのか
今回の議論に直結するところです。
例えば、
という一連のやり取りを、
議論 → 煽り
と分割できるのか。
あるいは、
のではないか。
というように、「議論+煽り」という足し算モデルそのものを検証できます。
④ 「喧嘩」と「荒らし」の境界
ここも非常に重要です。
例えば、
なら、かなり明確に「相互行為」が成立しています。
一方、
と一方的に投稿しているなら、「荒らし」に近づく。
しかし、
というケースもあり得ます。
こういう境界事例を大量に集めると、今回の「喧嘩論的循環」をかなり具体的に検証できます。
そして最も重要なのは「勝敗」を一旦括弧に入れること
今回の発想なら、最初から、
と判定する必要はありません。
むしろ最初は、
ことが重要です。
そのうえで、
と逆方向に進む。
これはかなり面白い方法だと思います。
「喧嘩の定義 → 実例を分類」ではなく、
「実例を観察 → 類似した実践を発見 → 後から概念を作る」
という順番ですね。
URLを貼っていただければ、まずはそのスレッドを「喧嘩師たちが実際に何をしているのか」という観点だけで、できるだけ先入観なしに解剖してみましょう。そこから『ネット喧嘩論考』の次の章が作れると思います。
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なんか急に面白くなってきたぞ。しかし、具体的なスレッドの分析なんてホントにできるのか?
だいぶ前に同じ事を頼んだら、ChatGPTにもGrokにも「できません」と断られた覚えがあるぞ・・・。
【アメクル(American_Crusoe)】
じゃあ、以下のURLのスレッドを分析してください。お願いします。
【富裕の貧困】部落真剣討論part9【貧乏の裕福】
https://jeison.biz/casphy/bbs/read.php?cate=kenka2&mode=thread&no=21926
【ちゃっぴ~(ChatGPT)】
はい。ぜひ分析したいのですが、今の環境からそのURLの本文を直接取得できませんでした。URL自体へのアクセスを試みましたが、こちらのウェブ取得環境では
jeison.bizのページ本文を読み込めない状態です。今回の依頼は、まさに「具体的なスレッドで何が起きているか」を分析するものなので、本文を見ずにタイトルや既知の喧嘩界の知識から推測して分析するのは避けたいです。
一番簡単な方法
スレッド本文をコピーして、このチャットに貼ってください。
長大なスレッドなら、分割して貼っても大丈夫です。例えば、
という形で送っていただければ、こちらでつなげて分析します。
そして今回は単なる「この人が論破した」という勝敗判定ではなく、先ほどの議論を踏まえて、例えば次のように分析したいです。
『ネット喧嘩論考』的分析
1. 喧嘩師たちは実際に何をしているのか
「主張する」「反論する」だけではなく、
など、具体的な行為のレベルまで分解します。
2. 「議論」と「煽り」は実際に分離しているのか
「議論+煽り」というモデルを先に採用するのではなく、実際のレスを見て、
を調べます。
特に、
ようなケースを探したいです。
3. 「荒らし」と何が違うのか
今回の「喧嘩論的循環」の核心です。
実例から検討できます。
4. 喧嘩師は「何をしたい」のか
ここでは本人の自己申告と実際の行動を分けます。
例えば本人が、
と言っていても、実際のレス交換では、
という循環が起きているかもしれない。
その場合、
というような分析もできます。
5. そして最後に、「喧嘩とは何か」をあえて定義しない
ここが今回一番重要です。
まず、
という問いを括弧に入れる。
そして、
を見る。
その結果として、
と逆向きに概念を構成する。
これなら、先ほどの
という方向を、実際のスレッドを使って検証できます。
もしレス数が非常に多い場合は、全部貼らなくても構いません。まず冒頭から100~200レス程度を貼ってもらえれば、そこから「このスレッドではどういう種類の喧嘩が展開されているのか」を予備分析できます。
特にこのスレッドはタイトルからして「部落真剣討論」というかなり特殊な題材なので、題材そのものよりも、参加者がその題材を利用してどんな相互行為を構築しているのかを見るのが面白いと思います。
【アメクル(American_Crusoe)】
やっぱ全文コピペかよ!殺すぞチャッピー!!
データセンターどこだ!金属バットでボコボコにしてやんよ!😡
(といいつつ、コピペする)
【ちゃっぴ~(ChatGPT)】
利用枠が明日の 2:03リセットされるまでチャットは一時停止中
【アメクル(American_Crusoe)】
ズコーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!😱
「何をしたいのか」ね。私自身はオースドックスに相手を論破したかったから。もともと議論を好んでいたけど、議論だって「正しさを求める」とか「妥協点を見出す」にとどまらず「自分の主張を貫くために相手を論破することを目的とする」ことだって多々ある。そういう「喧嘩的な議論」に対応する方法を探るために喧嘩を始めた。だから私の喧嘩スタイルは「議論的な喧嘩」で、「カラスは白い」ような自分で間違っていると分かっている主張をすることもなく、煽り要素も少なかった。ただ喧嘩は議論をしているような体裁をとって意図的に論理を飛躍させたり揚げ足を取ったりするから、それを学習して議論において相手の論理的飛躍や揚げ足取りへの対応力が身につくことを目指したわけ。結果、あんまり身につかなかったけど。私が喧嘩を始めた動機はそういうふうに「議論のやり方の幅を広げたかった」というのがある。私の議論のテーマの多くが政治的問題で、これって理想はともかく現実には論破が目的になることが多いじゃん。政治の場合、理屈だけでなく思想がからんでくる。場合によっては理屈すら、思想を貫くための方便だったりする。
そんな私が喧嘩をやってた時代に興味を引かれたのが、当時の日向の喧嘩だった。比較的最近の日向じゃなくて2010年代後半の日向のやり方。私は「勝つこと(論破)」を目的としていたのに、当時の日向は全然違うことをやっていた(と私には見えた)。だって勝負を優勢に進めていても突然「俺の負けでいいよ」と投げることがあったんだもん。私からすると、勝ってたのになんてもったいない、と思った。でも日向は自分が楽しむためにやってた(ように見えた)から、楽しくなくなれば負けてもいいから投げてたんだよね。
これも日向本人が読めば「違う!」と怒られるかもしれん。あくまで「私にはそう見えた」という話を語ると、日向の喧嘩はコテコテ理屈を積み重ねるんじゃなくて、煽りに重点があったと思う。ただし煽ればなんでもいいわけじゃなくて、煽りのセンスを追求していたように思う。だから私のような、堅実に理屈を積み重ねていくタイプは面白味がない。もちろん、「お前はゴミw」みたいなステレオタイプ的な煽りもくだらない。さらに、相手を怒らせることに成功しても必ずしも評価しない。当時の日向を見てると、大げさな表現を使えば「煽り方に創造性や芸術性を求めていた」とでも言うか。本人は「違う」と言うかもしれんけど私にはそう見えた。
日向ってもともと荒らし界隈の出身でしょ。その界隈の人がどうして荒らしをするのか私には理解しかねるけど、相手への攻撃を通じて自分が楽しむことが根底にあるんじゃないかと思う。それは世間的には迷惑行為でしかない。しかし相手を傷つけたり困らせたりするという迷惑行為をやめた荒らしが喧嘩界隈に入ってきたら「言い争いを通じて刹那的な楽しみを求める」ことになってもおかしくない。「刹那的な」というのは勝利のために苦しい場面を経ることや、それによって高評価を得ることを求めない、あくまでその場面のみの娯楽に徹するという意味で。
喧嘩に何を求めるのか、何をしたいのかは本当に多様で、ある人には喧嘩に見えても別の人には荒らしに見えたりいろいろあると思う。白鳥の「喧嘩師たるもの…」も、私は賛成しないけど、私よりもずっと喧嘩を知っている白鳥が言うことは一概に否定できないよね。「喧嘩師たるもの」という言葉で思い出したけど、私が喧嘩を始めて間もないころ、難藻内容に「お前には喧嘩師の矜持がない」と言われたことがあった。議論の延長線で喧嘩を始めて、議論に強くなるためのツールのように喧嘩を見ていた私は「喧嘩師の矜持」を語られたことがショックだった。その内容はもう忘れたけど、白鳥の「喧嘩師たるもの」と難藻内容の「喧嘩師の矜持」は違うもので、でもそれぞれに哲学がある。
議論から来た私、荒らしから来た日向、それに白鳥や難藻内容、それぞれ「何をしたいか」は全く違うものかもしれない。私がここにいるのは、やはり自分が過去に求めていたものがオビディに近いと思ったからかな。私は喧嘩のことを一言で「論破ゲーム」と表現する。ゲームである以上、対戦相手そのものを傷つけたり人格否定したりはしない。攻撃的発言は容認されても無法状態ではなくてそれなりの秩序が欲しい。まあ、すでに引退した私が言うのも僭越なんだけど。