私が徹頭徹尾Wiki運営に不慣れであるがゆえ、昨年は色々と不都合もありました。
どう対処したか。
規模の大きなWiki(数万アクセス/日くらいのやつ)に関与、強引に経験値を溜めました。私だけレベルアップ。
断定形で掛ける程度にしっかり得られた知見をナンボか。
順不動です。
規律は最低限に絞った方が編集者を集めやすい
そらまあね。ボランティアで書くのにあれこれ言われてたまるかと思うは人の性。
言い換えると、編集ルールを長々と並べるwikiruスタイルは必ずしもソシャゲWikiの理想形ではない。
あんなもんほとんど誰も読んでないとは思いますが。
去年から理念としては唱えていました。今なら実践的経験込みで唱えられる。
緩い方がいい。
となると「理想の文体」という概念は完全に一般化すべきものではない。
→まあ改行!段落分け!くらいまではガイドに入れるべき。
WIKIWIKI上にすげー勢いで生えた某ゲームのWikiなんかを見ても、緩く書けるWikiは編集(を行う、行い得る)ユーザーにとって相当魅力的な空間です。
規律まみれの既存Wikiに対して後発で利用者食いに行ける余地すらありそう。
句読点問題
昨年夏はここを俎上に載せた。
でも昨年は一般化できていなかった(私がどう書くかという点に意識が寄っていた)。
🆕さらに一般化した話
句読点どうこう以前に、読みやすい文を書ける人ってそんなに多くない。ってか少ない。
中学校くらいの作文で指導される話(ねじれの回避とか、「〜だが、〜だが、…」の回避とか)も、苦手な人はかなり多い。分かっている人々でこそこそ直すしかない。
あまりにも極端なケース(まともに読めないやべー文を書くのに直されるの嫌うような妖怪とか)は別として、これはヒエラルキーではなく役割分担だと思います。Wiki的分業。
どうしたってユーモアを読み取れない人は混じる
isakusanが言うところの、ギャグセンス育成不能論にも通じる話ですが。
🆕編集する人の側にも混じる
昨年夏の時点で(私が)意識できていなかった実態。
「主題をあえて書かない皮肉」みたいな素晴らしいけど超ハイコンテクストな記述があったとして、あえて書かれていないのだと理解できない編集者はどうしても混ざる。
何が起きるか。
わざわざジョークを説明してしまうたぐいの破壊的編集が、Wikiが拡大するにつれ避けがたく生じてしまう。
換言すれば、一定以上ハイコンテクストな記述は多人数編集のWiki上に存続できない。
それどころか「えっこんな直球のユーモアすらユーモアだと理解できなかったの!?」みたいな、びっくりするような編集は確実に発生する。
なぜ人の増えたWikiからは面白い記述が消えてしまうのか、非常によく原理を理解できた。
これはWikiの規模が大きくなるほど不可避な現象で、「単一ページを不特定多数が編集する規模」に伴う文体の天井と呼んでも良さそうです。
//ここは皮肉です
とかソースコードに書くのもバカバカしいでしょ?
バカバカしかろうと品質維持のためにはやむを得ない。
この辺から用いるべき記述のターゲット品質が見えてくる。
→共用スペースにユーモアは生存できない。
🆕サブパスワードはもっと安直に配ってよい
Wikiは悪意を未然に防げないため、事後対応可能な人(目の数!)は多いほどいい。
「荒らしが生じないようにする方針」は実現不可能なので、「荒らしが湧いても同時刻に見ていた利用者/編集者がさっさと駆除できる方針」の方が実運用にはハマる。
昨年夏に私が想定していたモデル(他の管理人へ譲渡して潜伏)はまだ中央集権的すぎ、分散度合いが足りていなかった。やはり次世代SNSは分散型か?
→もちろんコミュニティ規模は前提ですが。ここは今このWikiでやっても仕方ない。
🆕リッチテキストの使用頻度は、"理想形があるなら"あらかじめガイドを作る方がよい
ここまでの話と矛盾するようですが。
言い訳としてのリッチテキスト
打ち消し線とか背景色同化とか、いわゆるセルフツッコミ系のエクスキューズ(つまり、「この記述はちょっとだけ問題あるけど許容範囲だから許してね」の表現)。
ソシャゲWikiにはよくある。このWikiにもたぶんそこそこある。意識せずテキトーに書いているので具体的な頻度はすまん、忘れた。
増えすぎると純粋に読みにくくなるので、管理ユーザーは率先して「この程度の皮肉や嫌味、気にせずプレーンテキストで書いていいぞ」のボーダーを攻めた方が結果的によい。
強意としてのリッチテキスト
こういうやつ。
まあ↑は極端な例ですが、太字はよくある。ChatGPTも太字大好きですよね。なんであいつ太字大好きなの。英語圏文化か?
やはり多いと読みにくくなります。昨年春の私はデカ文字多用してたけどね。 でも具体的な指標を示すのは難しい。
太字をプレーンテキストに直されて文句言う利用者はほぼいない。
事後的にこっそり削るのが最良。
無駄に仰々しい文体を使ってしまうオタクが結構多い
〜だが/である体。
ソシャゲWikiの標準文体って大抵である体。
「フォーマルに書く」際の分かりやすい基準なんでしょう。中身ちっともフォーマルじゃないのにね。
私の好みの問題ですが、文体と意味内容の乖離はすげー気になる。好みはモチベーションに直結する。
主観で書いてる文を上っ面だけフォーマルっぽく整えても、鼻につくだけでそれほど意味が無い。
雑な中身なら外面も雑に崩してよくない?
(もう記憶が曖昧化しつつありますが)昨年夏以前の私も、この点は意識して避けた文体を使った。
オタクの耳目をポピュリズム的に集めるべく強そうな語り方にはしていました。
〜だが…くらいまでは使ったかも。
である体は避けた。
これは素の筆癖をそのまま使った・使っているだけ
バフを掛けているわけではない。最近は意識的に「でも」の採用を心掛けています。
しかしでも癖なのでどうしようもない。
🆕私が得た対処法
- 雑な文体の記述をわざと増やす。ひたすらに。
ブロックは諦め、ページ単位で薄める。 - どうせ書くのも読むのもオタクなんだから気取るな!とかガイドの頭に書いておく。
こっちは仮説段階。
🆕理想的に回り始めたWikiは管理ユーザーでも全容を把握できなくなる
個々の編集内容に目が追い付かなくなる。
→個人(〜少人数)運営の天井。
通報フォームを設けてwikiru系ソシャゲWikiみたいにするのも当然一つの妥協ではあるけど、非・中央集権的に行くなら極論ある程度編集しているユーザーが全員サブ・パスワード持っているくらいの勢いでもいい。
→「コントロールパネルから閲覧可能な情報を悪用する奴は出ない」と仮定し、違反時に起こり得るトラブルの処理も法の領分に投げてしまう。