2024年夏のページにその後の知見を加えた延長戦
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私が徹頭徹尾Wiki運営に不慣れであるがゆえ、昨年は色々と不都合もありました。
どう対処したか。
規模の大きなWiki(数万アクセス/日くらいのやつ)に関与、強引に経験値を溜めました。私だけレベルアップ。
断定形で掛ける程度にしっかり得られた知見をナンボか。
順不動です。
規律は最低限に絞った方が編集者を集めやすい
そらまあね。ボランティアで書くのにあれこれ言われてたまるかと思うは人の性。
言い換えると、編集ルールを長々と並べるwikiruスタイルは必ずしもソシャゲWikiの理想形ではない。
あんなもんほとんど誰も読んでないとは思いますが。
去年から理念としては唱えていました。今なら実践的経験込みで唱えられる。
緩い方がいい。
となると「理想の文体」という概念は完全に一般化すべきものではない。
→まあ改行!段落分け!くらいまではガイドに入れるべき。
WIKIWIKI上にすげー勢いで生えた某ゲームのWikiなんかを見ても、緩く書けるWikiは編集(を行う、行い得る)ユーザーにとって相当魅力的な空間です。
規律まみれの既存Wikiに対して後発で利用者食いに行ける余地すらありそう。
句読点問題
昨年夏はここを俎上に載せた。
でも昨年は一般化できていなかった(私がどう書くかという点に意識が寄っていた)。
🆕さらに一般化した話
句読点どうこう以前に、読みやすい文を書ける人ってそんなに多くない。ってか少ない。
中学校くらいの作文で指導される話(ねじれの回避とか、「〜だが、〜だが、…」の回避とか)も、苦手な人はかなり多い。分かっている人々でこそこそ直すしかない。
あまりにも極端なケース(まともに読めないやべー文を書くのに直されるの嫌うような妖怪とか)は別として、これはヒエラルキーではなく役割分担だと思います。Wiki的分業。
どうしたってユーモアを読み取れない人は混じる
isakusanが言うところの、ギャグセンス育成不能論にも通じる話ですが。
🆕編集する人の側にも混じる
昨年夏の時点で(私が)意識できていなかった実態。
「主題をあえて書かない皮肉」みたいな素晴らしいけど超ハイコンテクストな記述があったとして、あえて書かれていないのだと理解できない編集者はどうしても混ざる。
何が起きるか。
わざわざジョークを説明してしまうたぐいの破壊的編集が、Wikiが拡大するにつれ避けがたく生じてしまう。
換言すれば、一定以上ハイコンテクストな記述は多人数編集のWiki上に存続できない。
それどころか「えっこんな直球のユーモアすらユーモアだと理解できなかったの!?」みたいな、びっくりするような編集は確実に発生する。
なぜ人の増えたWikiからは面白い記述が消えてしまうのか、非常によく原理を理解できた。
これはWikiの規模が大きくなるほど不可避な現象で、「単一ページを不特定多数が編集する規模」に伴う文体の天井と呼んでも良さそうです。
とかソースコードに書くのもバカバカしいでしょ?
バカバカしかろうと品質維持のためにはやむを得ない。
この辺から用いるべき記述のターゲット品質が見えてくる。
→共用スペースにユーモアは生存できない。
🆕サブパスワードはもっと安直に配ってよい
Wikiは悪意を未然に防げないため、事後対応可能な人(目の数!)は多いほどいい。
「荒らしが生じないようにする方針」は実現不可能なので、「荒らしが湧いても同時刻に見ていた利用者/編集者がさっさと駆除できる方針」の方が実運用にはハマる。
昨年夏に私が想定していたモデル(他の管理人へ譲渡して潜伏)はまだ中央集権的すぎ、分散度合いが足りていなかった。やはり次世代SNSは分散型か?
→もちろんコミュニティ規模は前提ですが。ここは今このWikiでやっても仕方ない。
🆕リッチテキストの使用頻度は、"理想形があるなら"あらかじめガイドを作る方がよい
ここまでの話と矛盾するようですが。
言い訳としてのリッチテキスト
打ち消し線とか背景色同化とか、いわゆるセルフツッコミ系のエクスキューズ(つまり、「この記述はちょっとだけ問題あるけど許容範囲だから許してね」の表現)。ソシャゲWikiにはよくある。このWikiにもたぶんそこそこある。意識せずテキトーに書いているので具体的な頻度はすまん、忘れた。
増えすぎると純粋に読みにくくなるので、管理ユーザーは率先して「この程度の皮肉や嫌味、気にせずプレーンテキストで書いていいぞ」のボーダーを攻めた方が結果的によい。
強意としてのリッチテキスト
こういうやつ。
まあ↑は極端な例ですが、太字はよくある。ChatGPTも太字大好きですよね。なんであいつ太字大好きなの。英語圏文化か?
やはり多いと読みにくくなります。昨年春の私はデカ文字多用してたけどね。 でも具体的な指標を示すのは難しい。
太字をプレーンテキストに直されて文句言う利用者はほぼいない。
事後的にこっそり削るのが最良。
無駄に仰々しい文体を使ってしまうオタクが結構多い
〜だが/である体。
ソシャゲWikiの標準文体って大抵である体。
「フォーマルに書く」際の分かりやすい基準なんでしょう。中身ちっともフォーマルじゃないのにね。
私の好みの問題ですが、文体と意味内容の乖離はすげー気になる。好みはモチベーションに直結する。
主観で書いてる文を上っ面だけフォーマルっぽく整えても、鼻につくだけでそれほど意味が無い。
雑な中身なら外面も雑に崩してよくない?
(もう記憶が曖昧化しつつありますが)昨年夏以前の私も、この点は意識して避けた文体を使った。
オタクの耳目をポピュリズム的に集めるべく強そうな語り方にはしていました。
〜だが…くらいまでは使ったかも。
である体は避けた。
これは素の筆癖をそのまま使った・使っているだけ
バフを掛けているわけではない。最近は意識的に「でも」の採用を心掛けています。
しかしでも癖なのでどうしようもない。🆕私が得た対処法
ブロックは諦め、ページ単位で薄める。
こっちは仮説段階。
🆕理想的に回り始めたWikiは管理ユーザーでも全容を把握できなくなる
個々の編集内容に目が追い付かなくなる。
→個人(〜少人数)運営の天井。
通報フォームを設けてwikiru系ソシャゲWikiみたいにするのも当然一つの妥協ではあるけど、非・中央集権的に行くなら極論ある程度編集しているユーザーが全員サブ・パスワード持っているくらいの勢いでもいい。
→「コントロールパネルから閲覧可能な情報を悪用する奴は出ない」と仮定し、違反時に起こり得るトラブルの処理も法の領分に投げてしまう。
……あれこれ俺へのツッコミも入ってる?まあ私レベルでもやっていいんだということでここはひとつ
規律は最小限
それはそう(それはそう)
個人的には、ネタの取り扱い方とかは心構えとして書いておいても良いのかなあとは思わなくもないですが。
『ユーモアが通じない』とは近いけど真逆の話、界隈的にはなぜかユーモアとして消費されてるけど普通に我慢してる人がそれなりに居るネタは確かにあるので。(具体例:「語録」ではしゃぐ天童アリス)
でも「ネットミーム/時事ネタを多用するのは避けよう」と書いても、基準が曖昧すぎるわりに「警察」を誘発するだけだしむしろ書くべきではないかなあ……とも。
参考に:去年立ててそのままになっていたルールブック案のページ
サブパスワード配布
上とちょっと関係する話、『管理者もあくまでユーザー』の原則からしたらジャンジャン配布はむしろ自然かも。
荒らし対策だけでなく相互監視(ポジティブな意味)的な側面からも人の目が増えることは歓迎です。
リッチテキスト
打消し線、背景同化色
こういうのを使いたくなる内容の半分はさらっと書いていいし残りの半分はそんなこと書くなよ、だと思う(自戒100%)。
共用スペース/個人のコラム問わず打消し線は極力使わなくて良い、という扱いで良さそうです。
太字、色付き文字などによる強調
自分で読み直しながら調整しているつもり、多いと言われたらちょっと泣くかも。
→これって私の読解力とか集中力とかがミジンコレベルなだけでは?
太字+色付き文字+下線のドカ盛りを好んでいる人の感想でした。
文体
個人的苦手要素。口語っぽく書いて、ですます調で味付けしてごまかそうとしています、ごまかせてなくない?
書き手の影を消すのに向いているのが「だが/である調」ってことなんでしょうかねえ……?
昨年の私が撒き散らしたページも自省から逃れられない。
ネタ
いわゆるゲーム外ミームの参照を含む文ですね。
かなり好き嫌いが激しく割れる要素。
昨年夏に試みた手法……自由帳空間/静的なデータベース空間のセクション分け……は、自由帳内部の緊張について未考慮でした。
きっともっと細かく分けないといけない。
サブパスワード
個々人の負担を減らす意味でも、管理ユーザーのリスクを分散する意味でも、惜しまないメリットが大きいようです。
Wiki機能が備える復元力は十分に強力なので、どんどん増やせば堅牢性につながる。
昨年私が心配していた話(個人情報としてのIPアドレスとか)はちょっと焦点がズレていましたね。
強調
好みとして
教科書にどんだけマーカー引くか問題になりそう。私は完全無マーカー派でした。
まあ公式に用意されている機能機能ですから、一切使用禁止!とかやらない限りは好みの問題に留まりますよね。定量的な目安は作れない。
マークダウン特有の話として
ボタンから比較的気軽に装飾できてしまう手軽さがついつい過剰装飾に繋がりがちです。
文体の癖
実はこれ、生成AIがかなり得意としている処理です。ガイドさえ作ればいくらでも清書やってくれる。
のちのち要検討かも。
ここでしている話をつきつめると、単なる文体どうのを飛び越えてどこまでどう触れるか、という話にも関わってきそうな気もします。
何(ページ/トピック)を設けるか考えるためのトピックも関係しそう。
ネタの取り扱いにしても、例えば管理人がプリプリ言うのを私は鳴き声だと認識してますが……、まあこれをいうと私もメガネメガネしつこいわという話にもなるので、縛ればいいというものでもないとはおもいますが……
管理ユーザーが利用者の個人情報(に類するものと言ったほうが正確?)を閲覧できるのも確かなので、その点で慎重になっていたのは間違いではないと思います。
Wiki運営の面から見れば管理権限を持つユーザーがそれなりに居るほうがむしろ堅牢性を高めることになるのも事実ですが、責任が分散するわけではない。
私が遊んでる要素は本格的にWiki動かす前に掃除した方がいいと思う。(します)
閲覧可能なIPアドレスの悪用リスクとかまで行くと、ぶっちゃけWikiの自治とか超えて法の話になってきます。なら法に任せちゃっていいかも。
上に書いたのは、せっかくの面白い記述が後から台無しにされてしまう話。
これは書かれた瞬間から台無しな困った記述の話。
消さねばならぬ文
つまらない人って徹底的につまらない
これもWiki編集の限界かもしれない。
最もつまらない層の人々は、自身がつまらないと気付かないままびっくりするほどつまらない文を書いてしまう。
→つまらないセルフツッコミ程度はマシな方。
Wikipediaにリンク貼れば十分な話の大展開とか、最も酷い例だと唐突に主要利用者層と(数十年単位で)世代の大きくズレたパロディを放り込み始めたりとか。
フォーマットの問題
句読点の打ち方や漢字の閉じ・開きを一切周囲と合わせない編集。
内容とは無関係に、後から他人が触る際に無意味な障壁となる。利用者が処理すると角が立つから、管理ユーザーが大鉈を振るって適宜片付けねばならない。
→直らないようなら切り捨てた方が早い層。
まったく作文できないひと
適切に整理するとほとんど残らないような密度無き長文。
→管理ユーザーだけでは追い付かない。編集ユーザーの一人でも多くに「しょうもない文は遠慮なく消す」文化を根付かせる必要がある。それでも追い付かない。
で、結局どうすればいいか。
根本的にはどうにもならない
最もつまらない層の人たちに面白くなってもらうのは非現実的なので、以下のような対処が選ばれる。
「面白いWiki」を理想から外す
→攻略サイトと割り切っている形式
総合Wikiの体は取りつつ、自然な形でつまらない人たちを隔離する
→雑談掲示板に誘導した上で、雑談掲示板そのものは個々のページの視界に入らないブロックへ纏める形式。wikiruソシャゲWikiはこれ。
諦めて切り捨てる
→編集チーム制を採用し、完全オープンスタイルを諦める。人口確保よりも編集ユーザーの都合を優先する。他サーバーのソシャゲWikiは半分くらいこれ。
極端な方針だけど回っているらしいWiki
(明確に個人Wikiとした上で管理ユーザー以外の全編集を「手伝い」と定義している)
これはこれで究極の形かもしれない。旧コンテンツ作成時代にこう明文化する手はあったかも