iha śāriputra: rūpaṃ śūnyatā śūnyataiva rūpaṃ; rūpān na pṛthak śūnyatā śunyatāyā na pṛthag rūpaṃ; yad rūpaṃ sā śūnyatā; ya śūnyatā tad rūpaṃ. evam eva vedanā saṃjñā saṃskāra vijñānaṃ.
tasmāc chāriputra śūnyatayāṃ na rūpaṃ na vedanā na saṃjñā na saṃskārāḥ na vijñānam. na cakṣuḥ-śrotra-ghrāna-jihvā-kāya-manāṃsi. na rūpa-śabda-gandha-rasa-spraṣṭavaya-dharmāh. Na cakṣūr-dhātur. yāvan na manovijñāna-dhātuḥ. na-avidyā na-avidyā-kṣayo. yāvan na jarā-maraṇam na jarā-maraṇa-kṣayo. na duhkha-samudaya-nirodha-margā. Na jñānam, na prāptir na-aprāptiḥ.
経典は、釈尊の説法をベースにして編纂されたものです。種々の方便(方法)・種々の譬喩(比喩)・因縁(関係性)・言辞(語源)によって巧みに説法をしています。言辞を「言葉づかい」だと解釈する人がいましたが、法華経によく出てくる言辞は、ニルクティ nirukti の訳であり、意味は、「言葉」「語源的解釈」です。法華経原典は、サンスクリットですので、日本人が語源的解釈を解くことは難しいです。漢訳経典だけでは、無理でしょう。サンスクリット原典を読まなくては、言辞については分かりません。
言辞という言葉の意味さえも間違えるのですから、仏教用語の語源など手に負えないのだと思います。方便・譬喩・因縁についても、誤った意味で解釈されていますので注意が必要です。よって、経典を読むときは、必ず仏教用語辞典を近くに置いておいたほうがいいです。仏教はインドで生まれたのですから、言葉の弊害は覚悟しなければなりません。日本の仏教の場合は、インド→中国→日本というように、中国の文化の影響も受けていますので、より難しいのかも知れません。
般若波羅蜜多心経の解釈-1
タイトルの意味
般若とは、サンスクリットのプラジュニャー prajñā の音写です。「教訓、判断、識別、知能、知恵、智慧、目的、決心」などの意味があります。仏教で般若というときは、「智慧」を意味することが多いです。しかし、プラジュニャーの音写が般若だというのは合点がいきません。もしかしたら、パーリ語のパンニャー paññā からの音写かも知れません。
智慧とは、事象の背後にある真理を見極める能力のことです。この真理は、眼耳鼻舌身によって知りえるものではなく、思考によっても分からないことです。不可思議であり、言語道断ですから、言葉によって伝えることもできませんから、普通の人では見極めることは難しいとされます。
波羅蜜多とは、パーラミター pāramitā の音写です。「完成・到彼岸・度」などの意味があります。般若波羅蜜多で、「智慧の完成」を意味します。
心とは、フリダヤ hṛdaya の訳です。「心臓・肝要・中心・核心・本質・最良の部分」などの意味があります。よって、般若波羅蜜多心で、「智慧の完成の肝要」という意味です。フリダヤには、「呪文」の意味があるともいわれます。
サンスクリット経典では、プラジュニャー・パーラミター・フリダヤ prajñā-pāramitā-hṛdaya ですので、経にあたるスートラ sūtra がありませんが、日本では、般若波羅蜜多心経というように、経をつけてタイトルにしています。
参考になりそうな文献を沢山書き綴ってください。
鳩摩羅什訳の般若心経
般若心経は、玄奘の訳が有名ですが、玄奘よりも先に鳩摩羅什が翻訳しています。『摩訶般若波羅蜜大明咒經』というタイトルです。短い経典ですから、紹介します。
摩訶般若波羅蜜大明呪経
姚秦天竺三藏鳩摩羅什訳
觀世音菩薩。行深般若波羅蜜時。照見五陰空。度一切苦厄。舍利弗色空故無惱壞相。受空故無受相。想空故無知相。行空故無作相。識空故無覺相。何以故。舍利弗非色異空。非空異色。色即是空。空即是色。受想行識亦如是。舍利弗是諸法空相。不生不滅。不垢不淨。不増不減。是空法。非過去非未來非現在。是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界乃至無意識界。無無明亦無無明盡。乃至無老死無老死盡。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。菩薩依般若波羅蜜故。心無罣礙。無罣礙故無有恐怖。離一切顛倒夢想苦惱。究竟涅槃。三世諸佛依般若波羅蜜故。得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若波羅蜜是大明呪。無上明呪。無等等明呪。能除一切苦眞實不虚故説般若波羅蜜呪
即説呪曰 竭帝竭帝 波羅竭帝 波羅僧竭帝 菩提 僧莎呵
摩訶般若波羅蜜大明呪經
法介さんこんにちは!
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太朗さん発見!
こちらでも宜しくです。
無量義経徳行品第一の経文
是の如きを我聞きき。一時、仏、王舎城・耆闍崛山の中に住したまい、大比丘衆万二千人と倶なりき。菩薩摩訶薩八万人あり。天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽あり。諸の比丘・比丘尼及び優婆塞・優婆夷も倶なり。大転輪王・小転輪王・金輪・銀輪・諸輪の王・国王・王子・国臣・国民・国士・国女・国大長者、各眷属百千万数にして自ら圍遶せると、仏所に来詣して頭面に足を礼し、遶ること百千匝して、香を焼き華を散じ、種々に供養すること已って、退いて一面に坐す。
其の菩薩の名を、文殊師利法王子・大威徳蔵法王子・無憂蔵法王子・大弁蔵法王子・弥勒菩薩・導首菩薩・薬王菩薩・薬上菩薩・華幢菩薩・華光幢菩薩・陀羅尼自在王菩薩・観世音菩薩・大勢至菩薩・常精進菩薩・宝印首菩薩・宝積菩薩・宝杖菩薩・越三界菩薩・毘摩跋羅菩薩・香象菩薩・大香象菩薩・師子吼王菩薩・師子遊戯世菩薩・師子奮迅菩薩・師子精進菩薩・勇鋭力菩薩・師子威猛伏菩薩・荘厳菩薩・大荘厳菩薩という。
是の如き等の菩薩摩訶薩八万人と倶なり。是の諸の菩薩、皆是れ法身の大士ならざることなし。戒・定・慧・解脱・解脱知見の成就せる所なり。其の心禅寂にして、常に三昧に在って、恬安憺泊に無為無欲なり。顛倒乱想、復入ることを得ず。静寂清澄に志玄虚漠なり。之を守って動ぜざること億百千劫、無量の法門悉く現在前せり。大智慧を得て諸法を通達し、性相の真実を暁了し分別するに、有無・長短、明現顕白なり。
又善く諸の根性欲を知り、陀羅尼・無碍弁才を以て、諸仏の転法輪、随順して能く転ず。微渧先ず堕ちて以て欲塵を淹し、涅槃の門を開き解脱の風を扇いで世の悩熱をき法の清涼を致す。次に甚深の十二因縁を降らして、用て無明・老・病・死等の猛盛熾然なる苦聚の日光に灑ぎ、爾して乃ち洪に無上の大乗を注いで、衆生の諸有の善根を潤漬し、善の種子を布いて功徳の田に遍じ、普く一切をして菩提の萌を発さしむ。智慧の日月方便の時節、大乗の事業を扶蔬増長して、衆をして疾く阿耨多羅三藐三菩提を成じ、常住の快楽、微妙真実に、無量の大悲、苦の衆生を救わしむ。是れ諸の衆生の真善知識、是れ諸の衆生の大良福田、是れ諸の衆生の請せざるの師、是れ諸の衆生の安穏の楽処・救処・護処・大依止処なり。処処に衆生の為に大良導師・大導師と作る。能く衆生の盲いたるが為には而も眼目を作し、聾・劓・唖の者には耳・鼻・舌を作し、諸根毀欠せるをば能く具足せしめ、顛狂荒乱なるには大正念を作さしむ。船師・大船師なり、群生を運載し、生死の河を度して涅槃の岸に置く。医王・大医王なり、病相を分別し薬性を暁了して、病に随って薬を授け、衆をして薬を服せしむ。調御・大調御なり、諸の放逸の行なし。猶お象馬師の能く調うるに調わざることなく、師子の勇猛なる、威、衆獣を伏して沮壊すべきこと難きがごとし。
菩薩の諸波羅蜜に遊戯し、如来の地に於て堅固にして動ぜず、願力に安住して広く仏国を浄め、久しからずして阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得べし是の諸の菩薩摩訶薩皆斯の如き不思議の徳あり。
其の比丘の名を、大智舎利弗・神通目揵連・慧命須菩提・摩訶迦旃延・弥多羅尼子・富楼那・阿若憍陳如等・天眼阿那律・持律優婆離・侍者阿難・仏子羅雲・優波難佗・離波多・劫賓那・薄拘羅・阿周陀・莎伽陀・頭陀大迦葉・優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉という。是の如き等の比丘万二千人あり。皆阿羅漢にして、諸の結漏を尽くして復縛著なく、真正解脱なり。
爾の時に大荘厳菩薩摩訶薩、遍く衆の坐して各定意なるを観じ已って、衆中の八万の菩薩摩訶薩と倶に、座より而も起って仏所に来詣し、頭面に足を礼し繞ること百千匝して、天華・天香を焼散し、天衣・天瓔珞・天無価宝珠、上空の中より旋転して来下し、四面に雲のごとく集って而も仏に献る。天厨・天鉢器に天百味充満盈溢せる、色を見香を聞ぐに自然に飽足す。天幢・天旛・天軒蓋・天妙楽具処処に安置し、天の伎楽を作して仏を娯楽せしめたてまつり、即ち前んで胡跪し合掌し、一心に倶共に声を同じゅうして、偈を説いて讃めて言さく。
無量義経徳行品第一
サンスクリットの般若心経
Prajñāpāramitā-hṛdaya
プラジュニャーパーラミター・フリダヤ
oṃ namo bhagavatyai ārya prajñāpāramitāyai!
オーン ナモー バガヴァトヤイ アーリヤ プラジュニャーパーラミターヤイ!
ārya-avalokiteśvaro bodhisattvo gambhīrāṃ prajñāpāramitā caryāṃ caramāṇo vyavalokayati sma:
panca-skandhās tāṃś ca svabhava śūnyān paśyati sma.
アーリヤ・アヴァロキテーシュヴァロー ボディサットヴォ ガンビーラーン プラジュニャーパーラミター チャリヤーン チャラマーノ ヴィヤヴァローカヤティ スマ:
パンチャー・スカンダース ターンシュ チャ スヴァーバーヴァ シューニャーン パシュヤティ スマ.
iha śāriputra: rūpaṃ śūnyatā śūnyataiva rūpaṃ; rūpān na pṛthak śūnyatā śunyatāyā na pṛthag rūpaṃ; yad rūpaṃ sā śūnyatā; ya śūnyatā tad rūpaṃ. evam eva vedanā saṃjñā saṃskāra vijñānaṃ.
イハ シャーリプトラ: ルーパン シュニャター シュニャタイヴァ ルーパン: ルーパン ナ プリタック シューニャター シュニャターヤー ナ プリタッグ ルーパン: ヤド ルーパン サー シューニャター: ヤ シューニャター タド ルパン. エヴァン エヴァ ヴェダナー サンジュニャー サンスカーラ ヴィジュニャーナン.
iha śāriputra: sarva-dharmāḥ śūnyatā-lakṣaṇā, anutpannā aniruddhā, amalā avimalā, anūnā aparipūrṇāḥ.
イハ シャーリプトラ: サルヴァ・ダルマーハ シューニャター・ラクシャナー, アヌトパンナー アニルッダー, アマラー アヴィマラー, アヌーナー アパリプールナーハ.
tasmāc chāriputra śūnyatayāṃ na rūpaṃ na vedanā na saṃjñā na saṃskārāḥ na vijñānam. na cakṣuḥ-śrotra-ghrāna-jihvā-kāya-manāṃsi. na rūpa-śabda-gandha-rasa-spraṣṭavaya-dharmāh. Na cakṣūr-dhātur. yāvan na manovijñāna-dhātuḥ. na-avidyā na-avidyā-kṣayo. yāvan na jarā-maraṇam na jarā-maraṇa-kṣayo. na duhkha-samudaya-nirodha-margā. Na jñānam, na prāptir na-aprāptiḥ.
タスマーチャ・チャーリプトラ シューニャタヤーン ナ ルーパン ナ ヴェダナー ナ サンジュニャー ナ サンスカーラーハ ナ ヴィジュニャーナン. ナ チャクシュフ・シュロトラ・グラーナ・ジフヴァー・カーヤ・マナーンシ. ナ ルーパ・シャブダ・ガンダ・ラサ・スプラシュタヴァヤ・ダルマーハ. ナ チャクシュール・ダーツル. ヤーヴァン ナ マノヴィジュニャー・ダーツフ. ナ・アヴィドヤー ナ・アヴィドヤー・クシャヨ. ヤーヴァン ナ ジャラー・マラナン ナ ジャラー・マラナ・クシャヨ. ナ ドゥクハ・サムダヤ・ニローダ・マルガー. ナ ジュニャーナン, ナ プラープティル ナ・アプラープティヒ.
tasmāc chāriputra aprāptitvād bodhisattvasya prajñāpāramitām āśritya viharatyacittāvaraṇaḥ. cittāvaraṇa-nāstitvād atrastro viparyāsa-atikrānto niṣṭhā-nirvāṇa-prāptaḥ.
タスマーチャーリプトラ アプラープティトヴァード ボディサットヴァスヤ プラジュニャーパーラミターン アーシュリトヤ ヴィハラトヤチッターヴァラナーハ. チッターヴァラナー・ナスティトヴァード アトラストロ ヴィパルヤーサ・アティクラーント ニシュッター・ニルヴァーナ・プラープターハ.
tryadhva-vyavasthitāḥ sarva-buddhāḥ prajñāpāramitām āśrityā-anuttarāṃ samyaksambodhim abhisambuddhāḥ.
トゥルヤダヴァ・ヴィヤヴァスティターハ サルヴァ・ブッダーハ プラジュニャーパーラミターン アーシュリトヤー・アヌッタラーン サンヤクサンボディン アビサンブッダーハ.
tasmāj jñātavyam: prajñāpāramitā mahā-mantro mahā-vidyā mantro 'nuttara-mantro samasama-mantraḥ, sarva duḥkha praśamanaḥ, satyam amithyatāt. prajñāpāramitāyām ukto mantraḥ.
タスマージ ジュニャータヴィヤン: プラジュニャーパーラミター マハー・マントロ マハー・ヴィドヤー・マントロ アヌッタラ・マントロ サマサマ・マントラハ, サルヴァ ドゥクハ プラシャマナハ, サトヤン アミットヤタート. プラジュニャーパーラミターヤン ウークト マントラハ.
tadyathā:
gate gate pāragate pārasaṃgate bodhi svāhā.
タドヤッター:
ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スワーハー.
iti prajñāpāramitā-hṛdayam samāptam.
イテ プラジュニャーパーラミター・フリダヤン サマープタン
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サンスクリットの般若心経
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般若波羅蜜多心経の訳
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觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。
観自在菩薩は、深く智慧の完成の道を行じた時、この世界を構成する要素には実体が無いと見極め、一切の苦厄から離れた。
舍利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。
シャーリプトラよ。事物は、空と離れていない。空は、事物と離れていない。事物、それは即ち空である。空、それは即ち事物である。感じること・想うこと・決めること・認識も同様である。
舍利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不淨不増不減。
シャーリプトラよ。このように、すべての事象は空であり、特徴が無いことから、生じることは無く、滅することは無い。汚れることは無く、浄いということは無い。増えることは無く、減ることは無い。
是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界。乃至無意識界。
このことから、空においては、事物は否定され、感じること・想うこと・決めること・認識は否定される。外界を感受する眼・耳・鼻・舌・肌・心は否定され、感受の対象である現象・音・香り・味・触れるもの・想うことは否定され、感受によって生じる眼界は否定され、ないし意識界は否定される。
無無明。亦無無明盡。乃至無老死。亦無老死盡。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得。
無明は否定され、無明を滅尽することは否定され、ないし老死は否定され、老死を滅尽することは否定される。苦集滅道は否定され、智慧は否定され、智慧を得ることは否定される。よって、得るところは否定される。
故菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。遠離顛倒夢想。究竟涅槃。
このことから、菩薩は智慧の完成によって、心には何の執着も無い。執着が無いので恐怖は無い。すべての誤った思想や妄想から遠く離れている。そして、究竟して涅槃に入っている。
三世諸佛。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。
過去・未来・現在の諸仏は、智慧の完成によって、最高の覚りを得ている。
故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。眞實不虚故。説般若波羅蜜多咒
このことから、般若波羅蜜多は大いなる真言であると知る。これは大いなる智慧の真言であり、この上のない真言であり、他と比べることのできない真言であり、よく一切の苦を除く。真実にして、偽りがない。このことから、般若波羅蜜多の真言を説く。
即説咒曰 掲帝掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧莎訶
では、真言を説こう。
羯諦羯諦。波羅羯諦。波羅僧羯諦。菩提薩婆訶。
ギャーテー ギャーテー ハーラーギャーテー ハラソーギャーテー ボージーソワカ
般若波羅蜜多心經
智慧の完成の要約についての教え
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般若波羅蜜多心経
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唐三藏法師玄奘譯
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経:觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。舍利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。舍利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不淨不増不減。是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界。乃至無意識界。無無明。亦無無明盡。乃至無老死。亦無老死盡。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。遠離顛倒夢想。究竟涅槃。三世諸佛。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。眞實不虚故。説般若波羅蜜多咒
即説咒曰
掲帝掲帝 般羅掲帝 般羅僧掲帝 菩提僧莎訶
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般若波羅蜜多心經
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法華経の方便品第二には、「諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり」と書いてあります。簡単な教えだとは書いていません。難解難入なのです。難しい内容を無理に簡単にしようとしても限界があります。どうしても仏教を伝えたいと思うのであれば、阿含経などの初期の経典を選べばいいと思います。菩薩への教えである法華経を説いても、一般人には分からないと思います。分かったふりをする人はたくさんいますが、実は上辺しか分かっていません。
そんな法華経を解釈することは私には難しいことです。しかし、これまで30年間学んできましたので、少しは役に立てるかもしれません。できる限り、仏教用語については意味を表していくつもりですが、みなさんも仏教用語辞典などをお持ちに成るとはかどります。
新興宗教の団体の中には、法華経は誰もが理解できる簡単な教えだと主張する人がいます。新しい解釈と称して、書物も出しています。確かに柔らかい言葉で容易に法華経を解釈していますが、上辺の内容だけを取り扱っているために、とても法華経の内容とはいえません。無我・無常・縁起・空というような重要な用語も独自の解釈をしているため、法華経だけでなく、仏教も把握することはできないでしょう。
法華経を学ぶのならば、誰かの解釈に頼らずに自分自身で経典を読み、分からない言葉は仏教語辞典で調べながら学ぶ方がいいです。宗派や教団の解釈は、その中でしか通じません。他とも通じるのは経典です。
日本では、日蓮の影響を受けた宗派・教団が多く、直接法華経を読む人とは解釈が異なります。日蓮の解釈は、独自性が強く、それを否定することもあると思いますが、誹謗中傷するつもりはありません。
日本で法華経というと鳩摩羅什訳の妙法蓮華経のことをいいます。しかし、同じ妙法蓮華経でも、人によって異なった解釈をする場合が多いのが現実です。中国の天台大師智顗、日本の天台宗の最澄、日蓮、宗派、教団によって、それぞれが独自のとらえ方をし、自分の解釈こそが正しいのだと主張します。
正しく法華経を知るためには、原典であるサッダルマ・プンダリーカ・スートラを読むのがよいと思いますが、サンスクリットは難しいので誰もが読めるものではありません。幸いにも、サンスクリット原典を現代語訳した本が出ていますので、それを参考にするのがいいでしょう。つまり、鳩摩羅什の妙法蓮華経とサンスクリット原典の訳を読んで、解釈するのがいいと思います。
インドで編纂されたサッダルマ・プンダリーカ・スートラ Saddharma Puṇḍarīka Sūtra を鳩摩羅什が中国語に訳して『妙法蓮華経』と名付けました。他の方が訳したものもありますが、中国・日本では、妙法蓮華経が有名ですので、ここでは法華経というときは、妙法蓮華経を指すことにします。
はい。了解しました。
ジョークのつもりだったので気にしないでください
こんばんは。
洗脳する気はありませんのでご安心ください。
洗脳しようとするんじゃあない