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正式版『中国奥地紀行』(本文)のご紹介 中華モノ旅、三国志モノ(呉・蜀)、異世界転生先住人の反応に参考になる一書

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『中国奥地紀行』(全2巻)

中国奥地紀行 1 - 平凡社
中国奥地紀行 1詳細をご覧いただけます。
Heibonsha

中国奥地紀行 2 - 平凡社
中国奥地紀行 2詳細をご覧いただけます。
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イザベラ・バード著
金坂清則訳
平凡社ライブラリー

 ※トピックの字数制限の関係で、「本文」「付言前編」「付言後編」の三つに分けます。「付言前編」「付言後編」は下記リンクからどうぞ。

正式版『中国奥地紀行』付言「バード女史の行動・考え方に関する感想」(前編) エンタメ小説研究交流会
トピックの字数制限の関係で「本文」「付言前編」「付言後編」の三つに分けます。「本文」「付言後編」は下記リンクからどうぞ 外部コンテンツ 外部コンテンツ 【付言 バード女史の行動・
zawazawa

正式版『中国奥地紀行』付言「バード女史の行動・考え方に関する感想」(後編) エンタメ小説研究交流会
トピックの字数制限の関係で「本文」「付言前編」「付言後編」の三つに分けます。「本文」「付言前編」は以下のリンクからどうぞ。 外部コンテンツ 正式版『中国奥地紀行』付言「バード女史
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【総評】

 
 19世紀末の英国人旅行家イザベラ・バード女史の長江・四川省旅行記。行程の大半を蒸気船や鉄道ではなく人力に頼っての前近代の中国の旅や、三国志(特に呉と蜀)ゆかりの地を知ること、異世界転生モノの転生先住人の反応を考えるには格好の一書。2巻の訳者解説・あとがきでは、訳者は旅行記の復刻では原著者のルート特定の重要性を強調していた。実際、詳細な地図が付されていて、地名に関しては親切。

「付言前編」「付言後編」で詳述しているが、中国人の対外感情が極めて悪く、バード女史は2度も中国人暴徒に襲撃され、2度目では重傷を負わされている。そうでなくても、道も気候も厳しい中(死にかけた場面もある)、「老女」(訳者解説)が、これほどの旅を成し遂げ、克明な記述を残したこと。しかも、バード女史は「本を書くつもりはなかった」(序)とのことで、「旅の書簡、写真と一冊の日記に記した簡単な覚書である」と謙遜している。

 だが、その場で計って記録しなければ挙げられない建物の大きさ、気温といった数字も細々と挙げている。さらには、各地の植生、資源、産物、習慣も詳述されている。出版、講演など「公的な公表」を前提としていなかったことが信じられないほど、緻密な旅行記。それも、序と訳者解説を突き合わせて読むと、本書の執筆開始はバード女史が帰国後、1年程度経過後のことと思われる。これにはただただ驚愕するばかりである。

 また、巻末の地図を見れば分かる通り、バード女史のルートは三国志、特に呉と蜀ゆかりの地である。日本人が同じルートで旅行記を書けば、「三国志史跡紀行」になっただろう。19世紀末の日本人なら漢籍の素養があり、現代日本人でもゲーム、小説、マンガでおなじみだ。

 ただし、本書はあくまでも「英国人女性旅行家の旅行記」。なので、長江流域にある赤壁や白帝城にも触れてなく、1巻で「たまたま通り道にあった」張飛廟を訪れた以外には、三国志には言及がない。2巻では成都に滞在しているが、日本人なら真っ先に行くであろう、武侯祠(諸葛孔明の廟)、杜甫草堂も訪問していない。

【創作資料としての活用ポイント】

 
 特に創作資料として役立つのは、以下の通り。
 

 ・近代初期(宜昌より下流)、前近代(宜昌より上流)の長江水運

 特に1巻の第十章~第十七章にかけて、前近代の長江水運について、ジャンク船やバード女史が雇った屋形船の構造、船乗りの生活、急流の遡上方法、危険性、恐怖(死亡事故が日常茶飯事で、バード女史も目撃)、水難救助が詳述されている。この箇所だけでも読む価値は極めて高い。なお、バード女史が長江急流を上る直前に屋形船を雇った宜昌は、三国志の「夷陵の戦い」の古戦場がある場所。

 ・轎を雇っての陸路での旅の模様

 食料や衣類、市場などを含めて、道中の宿や村、都市の様子の観察も詳細。

 ・三国志ゆかりの四川省(蜀)の地形

 バード女史が遡上に苦労した、宜昌-万県間の長江急流は三国志なら孫呉領と蜀漢領との境。この部分だけでもそうだが、本書全巻を読むといかに蜀が天然の要害であることが分かる。さらに三国志ゲームなら成都攻略・防衛の重要戦場、剣閣・梓潼・綿竹も訪れている。都江堰(本書中では「灌県」)の治水、四川の山道の険しさも、アスレチック場にあるロープ滑走での谷渡りを図版を交えつつ詳述。

 ・四川での一輪車荷車の使用状況

 諸葛孔明が北伐に際して、「木牛」という一輪車荷車を発明したというが、それの想像の一助になるのでは? しかも写真付き。

 ・バード女史撮影の写真、他からの転載図版多数

 しかもわりと見やすいものが多く(20世紀後半の旅行記でも掲載の写真が真っ暗だったり、縮小掲載だったりで、何が写っているのかよく分からないこともある)、船、建物、服装、轎、風景などの視覚的なイメージがわきやすい。原著出版の時代を考えると、すご過ぎる。しかも、バード女史自ら旅行中に現像までしている。

 ・異世界転生モノなら、転生者に対する、転生先住人の反応

 西洋人との接触が極端に少ない人々からは、バード女史の容姿、服装、持ち物、行動全てが、「異世界のもの」と見えたのではないか? 写真も「外国の魔術」とみなされている。外国人が歓迎されないどころか、「中国を破壊する」「子供を食べる」と憎悪されている中での旅(詳細は「付言前編」「付言後編」をご参照のこと)。

 田舎では外国人の悪評が伝わっていないのか、比較的攻撃の対象にはなっていない。一方都市部では、強い憎悪から2度も暴動・襲撃の対象になっている。攻撃の対象にならないまでも、「バード女史が珍獣を見物しに行ったら、逆に『珍獣として見物された』」との感じもある。

 転生者が転生先から「自然」と接してもらえるとは限らず(旅の後半のチベット人の居住地域では「見物」の対象でもなく、「排斥」の対象でもなく、「自然」に接してもらえてはいたが)、珍獣として「見物」の対象になったり、異物として「排斥」されたりすることは念頭に置いておいたほうが良いのでは? 知識水準が高い都市部では「排外的」であるが、そうでない田舎はそれほど排外的ではないことも注目される。

【残念な点】

 

 ・先述の通り地名には親切、だが日付には不親切

 この旅を終えた年も、バード女史自身の「序」では英国帰国時で数えて「一八九七年」、凡例では上海帰着時で数えて「(引用注一八)九六年六月末」としていてズレがあるが、その説明がない。また、旅行中の日付も本文を読めば一応書いてはある。それでもバード女史がいつどこに滞在しているのかがぱっと見ではよく分からない。

 訳者・編集部には、数カ月以上及ぶ旅行記なら、「何年何月○○に滞在」ぐらいの日程表を付けるか、地図上に、主要な滞在地の到着日を書き込んでほしかった。日付が分からぬと季節が分からない。さらに言えば、訳者解説にはこの中国旅行前後のバード女史の動きが詳しく書いてあった。だが、年表になっていなかったので、一目で分かるように年表にしてほしかった。日付が不明確なのは、登場人物が込み入っているのにもかかわらず、登場人物一覧がない小説のようなものだ。

 ・バード女史のルートを三国志に関連付けての解説がない

「三国志史跡紀行」ではないから当然だが、それでも日本人には三国志はなじみ深く、バード女史のルートは三国志、特に呉・蜀ゆかりの地である。地名の注記に三国時代の地名も付記したり、添付の地図に三国志の史跡の場所を書き込んでくれたりすれば、よりルートのイメージがしやすかっただろう。

ドラコン
作成: 2025/06/18 (水) 21:23:22
最終更新: 2025/07/02 (水) 22:52:36
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