ちょっといいですか? 「内容の精査が必要だから止まってほしい」と大筋読めるコメントを読んだうえでなお記事を立項し続けるのは、人間同士のコミュニケーションというごく基本的なレベルでの手続き上の瑕疵があると私は思いますよ。
- 今後投稿予定の内容を見せるだけなら※プリ付箋でもいいのに(管理人同士の個人的なチャネルもあるはずなのに)、そうではなく新規記事立項を敢行した
- しばらく離れることを宣言している人に対して、このコメント欄ではなくわざわざ記事内でメンションし応答を迫る、あるいは追認を要求する(「怒涛の更新もいいんだけど」は、「今までの大量の更新は良いのだが」と「これからも怒涛の更新はして構わない」とどちらに読めますか?あるいはどちらにしか読めませんか?)
管理人の論(後から気が変わってWikiの公式見解にしたくなったのかはわかりませんが、最初はあなた個人の論と書いてましたよね)の「正しそう」さには私もケチをつける気はないですが - というよりそこにケチをつける段階に達せていないと読者目線から思います。「全然ちゃんと読めてないので」(→つまり「ちゃんと時間をとって読みたい」という表明ですよね?)「いちいち口出す元気もないからそれも待ってて」(→何らかの事情ですぐには反応できない可能性がある表明ですよね?)としている相手に、さらに多数の記事を投げつけて「もう公開しちゃったけど、なんかまずかったら直して」 → これって「直してもらう気」があるように見えますか? もっといえば「直してもらいたいときにとる行動および態度として構造的に公正なものである」といえますか?
経験的に、公の場で応答を要求されているというプレッシャーがある人間が、普段と比べて満足な判断を下せるんですかね。いや、というより、仮にそういうのの得意不得意が人によってあるとして、「いや知らんよ、個人の能力でしょ」って切り捨てるかのように見える行動って公正なんですかね。
あなたの書く文章は面白いですし、インターネット共有知としての価値もあると思います。だからこそ、あなたのそのような行動が - しかもキング牧師のように「そういった行動をとることが内容的に必然」ではない事例で - 非常に残念に映ります(私の目には)。
これはあなたの声をかき消さんとする同調圧力の類ではなく、顔も知らないインターネットという公開の場で共同編集する際にいくらか求められる最低限の礼儀(コミュニケーションのルール)の範疇だと私は思います。管理人が「対 同調圧力」から世の中を見るように、私は「対 力による現状変更」から見ています。その視点に鑑みて、あなたの直近の行動の仕方(≠記事の内容)には賛同できません。
一旦※プリ付箋配下に置き直して、副管理人のアクションを待つべきだと私は思います。結果としてそれが無駄な記事移動だったとしても。それとも、この数週間、この記事たちをメインスペースに置かないことで「本来改善されるはずだった家父長制が改善されなくなる損失分」を心配しますか。それなら敢えてこう言いましょう。この数週間、この記事たちをメインスペースに置き続けることで浸透してしまう「力による現状変更はしていいんだ」の分を私は心配します。