名前なし
2026/05/09 (土) 21:12:23
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「アストラエ・オラティオ」のスーパーティザーで言及されたニムロドとギュスターヴ・エッフェルという2人の人物から推測すると、作中で言及される東京タワーは、バベルの塔やエッフェル塔(かつて「現代版バベルの塔」と批判された)に続いて、新たに天に挑む人間の意志や行政力を象徴する建築物だと捉えることもできるでしょうか?
神は死んだのだから自ら価値を創造していかなければならないという、ニーチェの発言と通じるものがあるように思えます。
ニーチェは、西洋文明が信仰を維持したままその名を「進歩」に変えただけだと見なしていましたが、天に向かって積み上げられる塔そのものが、技術を通じた資本と産業化の産物であり、ニーチェが警戒した**「最後の人間(末人)」を体現しているのではないかと考えさせられました。
あくまで一つの考察として、気軽にお読みください。
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니체는 해석하는 관점에 따라 이미지가 크게 달라지는 인물이라 신중할 필요가 있지만, 탑이 (어느 정도는 첨탑의 연장선에 있는) 상징이 되기 쉬운 면에 대해서는 비판 없이 끝나지 않을 것 같습니다.
그 의미에서, 공식 사이트의 해설에 ‘완공을 앞둔’ 도쿄 타워라는 점이 뭔가 포함된 것처럼 보인다. 와, 완성이다! 그냥 순수한 흐름만은 아닌 것 같아. 타워와 함께 바벨탑을 인용하는 건 파란이 일어날지, 불안이 될지, 아무 일도 일어나지 않을 기대는 아니라는 느낌이야…
尼采这种人物,会因为解读角度不同而呈现出相当摇摆的形象,因此确实需要谨慎。不过,关于“塔”容易成为一种象征——某种意义上甚至可以视作尖塔的延长——这一层面,我觉得恐怕无法以完全无批判的态度收束。
从这个意义上说,官方网站特意强调那是“即将竣工”的东京塔,似乎也多少带有某种意味。感觉并不是那种“哇,终于完工啦!”式的朴素叙事。
而且,把“塔”和“巴别塔”并列引用,本身就带着一种波澜将起、甚至隐隐不祥的气息。或者说,很难让人期待“什么都不会发生”。
ニーチェって読み取る面次第で像がだいぶ揺れる人物でしょうから慎重になる必要はありますが、塔が(ある意味では尖塔の延長にあるような)シンボルとなりがちである面については無批判には終わらない気がします。
その意味では、公式サイトの解説として「竣工を控えた」東京タワーである点には何かしら含むところあるようにも思える。わーい完成だ!ってだけの素朴な流れではなさそうな気もする。タワーと一緒にバベルの塔を引用するのは波乱というか不穏というか、何も起こらない期待ではあり得ないというか……
さらに付け加えると、スーパーティザーで言及されている「夢」は、人が天に祈る願いであると同時に、人間の目標や到達点として提示されています。塔を築き上げるという行為自体が、天に届こうとする人類や行政力の意志と結びついているからこそ、スーパーティザーに登場する東京タワーもこれと深く関連しているのではないかと考えました。
この考察を書いてから改めて背景イラストを見てみると、東京タワーの先端に掛かっているシンボルが、空の星に似ているように見えます。単なる偶然の一致でしょうか?あくまで一つの考察として、気軽にお読みください。
근대 이후의 바벨탑은 비기독교적 영역에서는 인간 활동의 상징이기도 하다고 생각합니다.
‘그럼에도 우리는 탑을 계속 쌓아가고, 계속 쌓아갈 것이다’ 같은 자세. 확실히, 이것을 그대로 인류의 의지와 꿈이라고 불러도 좋을지도 모른다.
(이러한 상승세는 양·음 모두에서 극대화된 효과를 일으키고 있기 때문에, 21세기 사람들은 현대인보다 다소 거리를 두고 바라볼 수밖에 없지만……)
近代以来的“巴别塔”,在非基督教语境中,我认为也可以被视为人类活动本身的象征。
一种“即便如此,我们仍在继续建塔,而且今后也还会继续建下去”的姿态。确实,即使直接将其称作人类的意志或梦想,大概也无不可。
(只是,这种向上攀升的姿态,无论在正面还是负面,都已经产生了被极度放大的作用;因此,对于二十一世纪的人而言,或许不得不像比起近代人稍微更疏离一些的旁观者那样去注视它……)
近代以降のバベルの塔って、非・キリスト教的な領域にあっては人の営みのシンボルでもあると思います。
「それでも我々は塔を築き続けているし、築き続けるだろう」みたいな姿勢。たしかに、これをそのまま人類の意志や夢と呼んでもよいかもしれない。
(このような上昇姿勢は正負両面において極大化された作用を生じさせていますから、21世紀人的には近代の人々より若干遠巻きに眺めねばならないにせよ……)