アストラエ・オラティオ(Astrae Oratio)/BlueArchive_team_fandom

✦✦総合コメント欄 / 87

87
名前なし 2025/10/27 (月) 12:02:31 ad8a4@7ba1f

ピカおじも韓国の二次元美少女文化圏に一応いるのにかつてのブルアカがフェミニスト文学であるとはかなり牽強付会な読解だと思うのですが。自説を補強するような証拠をチェリーピックしているように感じるし、また作者の死という概念を通過しているなら、単純にブルアカがただの学園ものの二次元美少女ゲーという読みも許容されていいと思うのです。別に最終編だけがブルアカの全てだったわけではあるまいし。

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  • 88
    BlueArchive_team_fandom 2025/10/27 (月) 14:04:41 修正 >> 87

    参照範囲に関する誤解

    1. 公式インタビューの教本付きである
    2. なおかつフランシスによるジャンルの転覆宣言を経て開幕する
      画像1

      最終編が最も採りやすい(強固に論を立てられる)だけで、既存ページはゲマトリアまたはカイザーコーポレーションが登場する章全てを参照範囲に含めています。
    それらが出てこないVol.2も間接的に参照している。

    いま一度ご確認ください。

    問題提起以前(提起が妥当であるか)

    見てみましょう。

    フェミニズム

    feminism  noun [mass noun]
    the advocacy of women's rights on the basis of the equality of the sexes.
    フェミニズム  名詞[不可算]
    性の平等に基づく女性の権利の擁護。

    gender equality  noun [mass noun]
    a situation in which access to rights or opportunities is unaffected by gender.
    ジェンダー平等  名詞[不可算]
    権利や機会へのアクセスが性別によって影響を受けない状況。
              (Oxford Dictionary)

    視覚的な性表現とフェミニズムは日々衝突しています。しかしシナリオの話に限るなら、二次元美少女文化とフェミニズムは、定義上特に排他な圏ではありません。

    むしろ「性の不平等に無批判/親和的な構造の作品」って、近年のサブカルチャーないしオタク文化ではだいぶ限定的です。
    今日に至ると、「ある作品がフェミニズム的視座を持つか否か(有無)」よりは「ある作品がどの程度フェミニズム的視座を持つか(多寡)」の方が広範に通用する尺度ではないでしょうか。

    ピカおじ

    デビュー作(セイ()ス・ケルディン)

    (私は知っているけど書けない特殊な事情から)アクセス困難な作品ですが。
    同時代レビューから推測する限り、英雄性を喪失した少年が特に英雄性を回復しないまま非・直線的にあちこち連れ回されるシリーズ(だったらしい)。

    英雄叙事詩型ではなく、当時の韓国オタク文化にてトレンドだったらしいなろう系無双型(これは前後関係として転倒していますが)でもない。
    "Tehanu"(1990)以後のファンタジー文脈を部分的に汲んだ姿勢=男性的英雄像と直線的プロットの解体であった可能性は低くない。

    キュラレ

    1. ヴァージニア・ウルフは通常二次元美少女文化圏に出現しません。
    2. オフィーリアが生きていて、ハムレットは死んでいる。これは通常の引用と異なります。

    ブルーアーカイブ

    メシア的読解を公式インタビューで複数回否定し、家父長制も直に蹴った。
    プレイヤーのジェンダーをアプリ・シナリオ側で決めず、なんなら英語圏ではポリティカル・コレクトネスにthey/themを採用している。

    →「家父長制コードから一定の距離を持った作家」と仮定してなんら不自然ではない。
    →端的に換言すれば、吟味に値する。

    問題提起以後(内容は妥当か)

    見てみましょう。

    印象に対するもの

    ように感じる

    個人の印象には検証可能性がありませんから、私もそうですかと応えるほか無くなる。
    (※一般的な文芸評論の水準程度にはテキスト内外から満遍なく固めた/ズルは避けたつもりです。)

    個別具体的な反論や反証

    たとえば「ブルーアーカイブ原作には家父長制を肯定する作品として読まれる余地がある」といった提起、あるいは「ここは飛躍が激しすぎる」といった技術上の指摘なら慎んで拝聴します。再反論するかもしれないし、修正するかもしれない。

    作者の死/テクスト論

    これは「文脈を考慮せず好き勝手読んでよい」という話ではない。
    むしろ読者が主体的にテキスト内外ないしテキスト内の文脈こそを重んじる姿勢です。

    (もっと言えば、このWikiは"作者の死を前提とするテクスト論"について、「専門性が高まりすぎる」という理由から採用していません。)

    ある文学作品を批評するゴールは「こう読める」であって、「こう読め」ではありません※。
    別に個々人は単純に読んだっていい。

    ※国語のテストとは前提から違うって話。

    いいんですが、しかし、 
    もしもその「単純に」が個別のテキストないしテキストに対する指摘の無視に依る姿勢なら、それは消費行動であって文芸批評ではない。
    テクスト論はより厳格な作法の下に成り立つ読解(あるいは解読)姿勢です。