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[アーカイブ]理想の文体について考えるページ 8 日前
参照範囲に関する誤解
最終編が最も採りやすい(強固に論を立てられる)だけで、既存ページはゲマトリアまたはカイザーコーポレーションが登場する章全てを参照範囲に含めています。
それらが出てこないVol.2も間接的に参照している。
いま一度ご確認ください。
原文:이야기의전복 (物語の転覆)
英:Subverting the Narrative
日本版:沈みゆく物語←このWikiでは誤訳可能性指摘済み
問題提起以前(提起が妥当であるか)
見てみましょう。
フェミニズム
視覚的な性表現とフェミニズムは日々衝突しています。しかしシナリオの話に限るなら、二次元美少女文化とフェミニズムは、定義上特に排他な圏ではありません。
むしろ「性の不平等に無批判/親和的な構造の作品」って、近年のサブカルチャーないしオタク文化ではだいぶ限定的です。
今日に至ると、「ある作品がフェミニズム的視座を持つか否か(有無)」よりは「ある作品がどの程度フェミニズム的視座を持つか(多寡)」の方が広範に通用する尺度ではないでしょうか。
ピカおじ
デビュー作(セイア ス・ケルディン)
(私は知っているけど書けない特殊な事情から)アクセス困難な作品ですが。
同時代レビューから推測する限り、英雄性を喪失した少年が特に英雄性を回復しないまま非・直線的にあちこち連れ回されるシリーズ(だったらしい)。
英雄叙事詩型ではなく、当時の韓国オタク文化にてトレンドだったらしいなろう系無双型(これは前後関係として転倒していますが)でもない。
→"Tehanu"(1990)以後のファンタジー文脈を部分的に汲んだ姿勢=男性的英雄像と直線的プロットの解体であった可能性は低くない。
キュラレ
ブルーアーカイブ
メシア的読解を公式インタビューで複数回否定し、家父長制も直に蹴った。
プレイヤーのジェンダーをアプリ・シナリオ側で決めず、なんなら英語圏ではポリティカル・コレクトネスにthey/themを採用している。
「設定未公開」や「性別不明という設定」ではなく、明示的な「先生すなわちあんたなので作る側ではジェンダーを定めていません」だった。
→「家父長制コードから一定の距離を持った作家」と仮定してなんら不自然ではない。
→端的に換言すれば、吟味に値する。
問題提起以後(内容は妥当か)
見てみましょう。
印象に対するもの
個人の印象には検証可能性がありませんから、私もそうですかと応えるほか無くなる。
(※一般的な文芸評論の水準程度にはテキスト内外から満遍なく固めた/ズルは避けたつもりです。)
個別具体的な反論や反証
たとえば「ブルーアーカイブ原作には家父長制を肯定する作品として読まれる余地がある」といった提起、あるいは「ここは飛躍が激しすぎる」といった技術上の指摘なら慎んで拝聴します。再反論するかもしれないし、修正するかもしれない。
一連のページに並べた話は、「ブルーアーカイブをフェミニズム文学として読む姿勢に妥当性は十分宿るか?」が主要な論点。
他方、そう読む前提があってはじめて採用されうる二次的なシナリオ構造分析
(→「なぜPater派の長の暴走を止める決定打がSisterhoodであったか」とか「Pater派の長である聖園ミカは、なぜ個人の気分で大義名分としての聖戦を拒絶せねばならなかったか」みたいな、その気になればいくらでも書けるやつ)
はそんなに含めていません。初手で立てる論点には適さないから。
作者の死/テクスト論
これは「文脈を考慮せず好き勝手読んでよい」という話ではない。
むしろ読者が主体的にテキスト内外ないしテキスト内の文脈こそを重んじる姿勢です。
(もっと言えば、このWikiは"作者の死を前提とするテクスト論"について、「専門性が高まりすぎる」という理由から採用していません。)
このWikiは「おいブルーアーカイブコミュニティ、辞書を引け」からスタートした空間であるため。
ある文学作品を批評するゴールは「こう読める」であって、「こう読め」ではありません※。
別に個々人は単純に読んだっていい。
※国語のテストとは前提から違うって話。
いいんですが、しかし、
もしもその「単純に」が個別のテキストないしテキストに対する指摘の無視に依る姿勢なら、それは消費行動であって文芸批評ではない。
テクスト論はより厳格な作法の下に成り立つ読解(あるいは解読)姿勢です。
「いやもう好き勝手読んでもいいんじゃない?」とする異なった姿勢もまったく存在しないわけではない。ポストモダンっぽい消費者論であって、文学における主流ではありませんが。