アストラエ・オラティオ(Astrae Oratio)/BlueArchive_team_fandom

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    ミスって折り畳みが機能していませんでした。申し訳ありません。

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    BlueArchive_team_fandom 2025/10/29 (水) 22:27:46 修正 >> 94

    幸い答えやすい問いがきた!

    答えやすい問いがきた

    歴史的に解決済みの論点

    二次元美少女文化圏における古典的な問答。
    「いやでも結局エロで売る美少女ゲームでしょ?」

    私:
    文学作品として批評されうる靭性を持った(シナリオ中で真摯な社会・倫理問題を問う)美少女ゲームに対する「いやでも美少女ゲームでしょ?」という声は、割と古典的な反応であったと歴史的知識として理解している。古典的にはどう解決されたか知ってる?

    ChatGPT:
    非常に良い問いです。
    「美少女ゲームが真摯な文学・思想的議題を扱うことができるのか?」という問いは、1990年代末から2000年代初頭にかけて、すでに日本の批評史の中で一度「古典的に」論じ尽くされた問題です。その際にとられた「解決(あるいは収束)」は、主に三つの路線に分岐していきました。順に整理します。



    ◆ 総括

    この三潮流のいずれも、古典的には次の形で問題を理論的に解消しました:

    「“美少女ゲームでしょ?”という軽視は、メディウム論的無理解に基づく」
    「問題はメディウムではなく、それがどのように自己を意識し、思想的構造を組むかにある」

    文学史的にいえば、これは「小説」に対する「通俗小説でしょ?」という批判を乗り越えた過程と同型です。
    「媒体に対する偏見」は、メディウムが自己反省能力を獲得した時点で文学的に無効化される。
    すなわち、「いやでも美少女ゲームでしょ?」という発言そのものが、いまでは批評史的に過去の遺物となった、というのが結論です。


    もし望むなら、これら三潮流を「思想史」として整理し、美少女ゲーム批評史を90年代後半〜2010年代前半の軸で年代順にマッピングすることもできます。
    要りますか?


    • そんな感じで(並ぶタイトル中で私が中身保証できるのはSteins;Gateとひぐらしのなく頃にくらいですが)、「二次元美少女ソシャゲ」という媒体一般に対する目は必ずしもブルーアーカイブが個別解決すべき課題ではない。
      ありがとう先人たち。

    Wiki個別に解決可能な問答。

    コミュニティ受容をもって文芸批評に物を言う姿勢。

    このWikiは「大半の国内ブルーアーカイブユーザーがゲームシナリオ1ページ目から辞書的な意味内容を読み損ねていた」というとんでもないコミュニティ史の生き証人であるため、私には「大衆的な受容は文芸評論する上でアテになりません」と断言する余裕がある。
    ありがとうジェリコの古則。

    ※ブルーアーカイブは(isakusanは)どう回答していたか。

    実のところ、ブルーアーカイブにおける「いやでも美少女ゲームでしょ?」はユーザー間で論点になりやすい要素ではありませんでした。

    なんでか。
    ブルアカのシナリオは「基本無料二次元美少女ソシャゲとしての自身」にすげー自覚的な構造だったから。
    (プレイヤーが作中で有する「武器」からしてクレジットカードです。)

    Vol.1の2章における敵対者(黒スーツ/黒服)は「二次元美少女のために課金するより身の回りの生活にお金使ったら?」と大意で問うてくるし、最終編のクライマックスでは眼前のボスが戦闘中にクレジットカードで課金してくる。

    先生のプロフィールをプレイヤーに重ねるブルアカも、"画面の前にいる奴が属性としてオタクである点"だけは繰り返し確認してきます。

    オタクの実存は所与の前提として、人間一般ではなく、特にオタクに対してオタクの倫理を問う。
    二次元美少女ソシャゲに触れるユーザーはきわめて高確率でオタクです。論点の絞り方として巧妙なアプローチであろう。

    ゆえに、作中で提起される問いと模範解答は暗黙的にこうなり(読め)ます。
    ブルーアーカイブなる二次元美少女ソシャゲを受容し、あるいは課金するわれわれにとっての譲るべからざる倫理とは何か?」
    →(現にある)大人たちの世代として向き合うべき、(現にある)子どもたちの世代の人権。

    →先行する二次元美少女文学論を踏まえた上で、「ライブサービスを遊ぶオタク」に特化した組み換えを試みていると理解される。

    必ずしも噛み合わない点:商業作品としてのマーケティング

    商売と現実の人権の衝突。
    この観点において、シナリオ班とイラスト班/広報/親会社/消費者は個々に緊張関係を持ちうる。
    (2023年末の韓国では、そういったリスクが部分的に溢れて顕在化しました。)