>超電磁砲コラボ
確かに。言われてみれば……
それはそれとして、(生徒たちの起源が謎だからなんともですが)生まれた瞬間からヘイローと共にあるのであれば、もはや人格形成などの過程で不可逆的な差が生じるようにも思えますが……。じゃあ現実にいる生まれながらの身体障害者に対してもそういう目を向けるかと言われるとそうではないわけで、じゃあ差異は何かというと、シナリオの説得力と個人的な思想によるものなんでしょうね。そりゃ生徒たちはいつか大人になる、というのはその通りというかそうでないと困るんですが、立て付け上そう語られているからといってそこに説得力を感じるかどうかは別の話。二次創作だとそういうの(インターネットセキュリティ会社で働いてるチヒロとか)見ますが、どうでしょう。(生徒たちが私たちと根源的に異なる、というのはそういう違和感も込みの話です)
それはそれとして、「作中描写(と意図)がそうなっている」という話と、「そもそもその世界描像に違和感がある」という話は別レイヤーで、同列に話すことはできないというのは弁えておくべきだなと感じました。さもなければTwitterの不毛なレスバみたいなことになる。そういう意味で、生徒の性質に対する、現実のメタファーとしての質的な主の解釈は正しいと思います。オタクが非本質的なところで重箱の隅つついてるだけ、でFAかもしれない
>世代間倫理
これ勘違いしてたんですが、サンデルみたいに「過去から存在していたその共同体に属し、その恩恵を受けている立場として、現在及び未来に対する責任がある(≒負荷なき自己はない)」的な話だと思ってたんですけど、別にそうでもないみたい(それ以外の立場もある)ですね。AIに聞いたらハンス・ヨナスなる哲学者の名前を出してきました。他者との関係の中に立ち上がってくる未来への責任をそう呼ぶのであれば僕の前段の疑問は消滅します。申し訳ない……。
細々した点
SFにも、設定を語るためのSFと人の心を語るためのSFがありますよね。前者は宇宙戦艦のブリッジの大きさがどうで等級が…みたいなディテールの列挙に力点を置き、後者はプロットとして必要になる瞬間までそういった記述に手は割かない。
両者は説得力の多寡の問題ではなく、限られたテキスト量の中で何を説得したい作品か?というジャンル上の差でしょう。
なんの話か。
現実Aに対して、環境A'と設定されたSF世界が在る。
どちらも「SF」と括られますが、両者は別ジャンルです。
(それは商業作家らが有する一般的な技能なので)
が、実際そういう話を書いているとジャンルとして二次元美少女ソシャゲではなくなり、限定的なSFオタク向けの作品になってしまう。ジャンル選択。
突き放したような評し方
初手で「ヘイローを持った生徒たちの過ごす空間」というフレームを受容できない層は、ブルーアーカイブから見てnot for youである。それはブルーアーカイブにとって所与の前提で、(少なくとも語られない限りにおいて)プロット上の論点ではないから。
申し訳ないけど
私は前者(プロットに影響しないディテールの描写を好む)のジャンルにこれっぽっちも興味を持てない。
シロコが持ってる銃の現実における型番とか心底どうでもよかった(乗る電車の型番を気にしないのと同程度にどうでもよい)し、二次元美少女もヘイローもシナリオ中のキヴォトスにおいて在るのだから在る。
音が鳴る宇宙。ヘイローがあるキヴォトス。
すなわち、生徒は作中で異質な存在として回収されないがゆえナンボか物理的に頑丈であろうと別に異質な存在ではない。
作中以前の舞台設定における認知科学的原理とか、そういった(シナリオから見て)どうでもいい話は別にぜんぶスパゲッティモンスターの巧みな仕業で構わない。
異なるたとえばなし
文学において、
これらは等しい関心事ではない。実は人間の神経って文学の領分ではない[例外:医学もの]。文学が気にするのは"作用としての人のこころ"であり、設定としてこころがこころである限りにおいて医学的な原理は関心の対象にならない。
ブルーアーカイブ作中において1と2は繰り返し示されていました。 ――生徒たちは現実の未成年女性より遥かに大胆に行動し、キヴォトスでは建築物の修復技術が高度に発達している。
3はたぶんisakusan含めて原作ファンコミュニティの誰も気にしてない。
それゆえに
現実の人間から見た生徒、または生徒から見た現実の人間を異質な存在 と定義付けることで初めて挿まる異論に対しては、
以上の反応を返せない。
つまり私はこの会話を続行しようがない。