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ただの世間話 / 7447

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ただの猫 2026/09/07 (月) 06:50:12

 間抜けな識者

説明文になってない

この解説文に登場する「北の庄城」とは何か?説明されておらず、分からない

柴田勝家が 切腹で、はらわたを掻き出した子供の興味をそそる解説

報道・・柴田勝家と市の最期を克明に記した『柴田退治記』。市の最期、12人の妾、五臓六腑を掻き出した切腹の描写が凄い!【豊臣兄弟! 満喫リポート】勝家と市編
9/6(日) 19:03配信

福井城跡には県庁と警察本部
I:北庄城は九層の天守をたたえた名城だったといわれます。信長の安土城は七層ですから、その威容は想像できます。同じNHKの『歴史探偵』では、CGで再現するなど、北庄城がどれほど凄い城だったのかを強調していました。

A:柴田勝家が築いた北庄城は、賤ヶ岳合戦から柴田勝家自害の流れのなかで焼失します。江戸時代にこの地をおさめたのが、徳川家康次男結城秀康の系統になります。嫡男松平忠直です。松平家の築いた福井城は、北庄城再建時に、位置を移動させた形になります。紆余曲折があって幕末時には福井藩32万石の城下町を形成していた福井城になります。越前は、室町時代の初期に足利一族の斯波氏が守護として治めていました。斯波氏は尾張の守護でもありましたから、越前は守護代として朝倉氏が一乗谷を本拠として治めていたわけです。その朝倉氏を滅ぼした後に、織田軍は一乗谷を「放置」。朝倉一族の出城があった北庄に新たに城を築いたのが、柴田勝家なのです。

I:最終的にその地に入ったのが、家康次男の系統というのが感慨深いですね。

A:そうなんです。織田家の本拠だった尾張清須城も家康四男忠吉が襲封し、忠吉没後は家康九男義直に譲られました。義直は家康58歳のときの子で、その誕生は関ケ原合戦の後になります。織田家ゆかりの清須城から「清須越え」を経て、名古屋に城を築きます。築城は諸大名を動員しての「天下普請」でした。

I:信長と勝家をはじめとする家臣団が必死の思いで奪い取った所領が、結局最後は、家康の息子たちに与えられたんですね。そう思うと、アンチ徳川の人たちはもやもやするのでしょうね。

A:北庄城跡から福井城跡は徒歩圏内です。福井城は、お濠も石垣も残っていて往時の姿を想像する術が残っているのですが、城跡には福井県庁、福井県警察本部が屹立している「不思議空間」となっています。

I:無理を承知でいいますが、柴田勝家の夢の跡=北庄城、復元してほしいですよね。

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