鋭く核心をついたご意見だと思います。
批判的な記述を扱うルールは唯一
他人が不快に思う編集・個人的主観を綴る編集・特定人物を挑発する編集行為
の部分だけであり、その内容もかなり抽象的かつ主観的で、批判的な記述を扱うべきでないという意見の方がむしろルールを拡大解釈しているという可能性は十分あると思います。
自治のキャパオーバーをどうするか?荒れてる話題をどうコントロールして、読者を困らせないか?の話であって、現行ルール内であれば、あらゆる内容は書いてよい
この部分についても全くその通りだと思います。
「荒れない、みんなが納得する書き方/内容」みたいな幻想ではなく、既に出てるように該当箇所を畳むのか、但し書きをちゃんとつけるのか、ちょっとほとぼりが冷めてから書くルールにするのか、そういう「荒れ具合を上手く律速する運用」の方を議論する
これについても同意しますし、今でもこの部分の議論をしているつもりです。
ただ、
批評を含む記事はwikiの性質上存在が前提
についても「書いて良いのか?」や「書いて良いとしてどのように書くのか?」が明確に示されているわけでもないのは事実であり、当Wikiの方針が決まらないと該当箇所の扱いも定まらないという堂々巡りの状況に陥っているというのが現状だと思っています。
仮に「一律に批判的な記述も許容する」という方針が採用された場合、その運用責任や問題発生時の対応は、結果として管理人に委ねられることになります。
その意味では、>> 240で示した通り、多様な問題があることは事実ですが、批判的な記述を扱うことは当Wikiのアイデンティティであり書き込まれるのは当然だという意見も真っ当で、どこに線引きするかは我々が一方的に決めることのできない内容だと思います。
>> 240以降ではそこから一歩進んで、線引きするとして、どのようなものがあるか?を議論していて、以下の3点で考えるべきと提案されています。
「これら議論はすでに本トピックから逸脱している」というのは、十分に理解できる意見であり、任意のタイミングで管理人に議決してもらう他ないと思っています。