親友が妊娠。予定日を考えると平成最後の子供になる予定。
宗教のところもありますし、そうではないところもありますよね。 ダンサーを囲っておきたい気持ちは分かりますが。
ダンスのカンパニーって宗教なの?
私は、やるのも見るのも好きです。 お互いにリアルに戻ってくるような感じで。
カーテンコールって必要なのでしょうか。
好きな人たちだけの世界ってちょっと想像できない、どうなっちゃうんだろう。逆に嫌いになることもあるかもしれないし、生まれるものも生まれなくなるんじゃないかなぁ。好きな人しかいない世界は幸せなのかわからない
好きな人しかいなかったらどうでもいい人も嫌いな人もいないわけで本当にその人たちが好きなのか確かめることさえもできなくなってしまう。心が貧しくなりそうです。
難しいね。世界を拡げることが表現の拡大に繋がるのかと言えば違うだろうし。
好きな人っていうのがこれから出会って増える可能性もあるわけだからそんなふうに思うのはもったいないような気もします
出会ってきた人はみんな好き。多分100人ぐらい?お客さんも合わせると、もっとになるけど。きらいな人あんまいない。良い人も悪い人も、何か気づかされることいっぱいある。これから出会う人も、好きな人ばかりになりますように
好きな人が20人くらい、この世界で生きていれば 他の人は世界にいらない、と思うのだけどみんなはどうなんだろう?
右も左も分からなくなってしまうような恋がしたい。
私はどちらかというと、観る遊びよりも、自分が体験する遊びの方が好きな方で、あまり自分から何かを観に行くと言うことがないかと思います。その中でも、唯一観に行ってるなと感じるのは映画館です。映画は観に行こうと思えます。なので、もし私がダンスを観に行こうと思ったのなら、何となく映画を見ている時の感覚を味わおうとしているのかもしれません。 そして、それが味わえないから、あまり見に行かないのかもしれません。
宣伝乙
稼いでる奴は、周りにやり方教えたりしないかんね ウダウダ言ってる奴は結局やらないって分かってるから、言っても無駄だと思ってんだろーな
有名といってもあなたの言う世界が狭すぎて、そんな世界で有名になったところで、何の意味もないからです。私もコンテンポラリーダンスやってますけど、ダンスで食べて行く!なんて端から思ってないです。
http://www.realtokyo.co.jp/whatwedo/
音楽家ですけど、楽器を演奏することや歌を歌うことと似ていますね。
なんで、こんなにもダンスがお金にならないんだろう? この世界(俗に言われるコンテ界)では、とても有名な人でも助成金をもらっていかないと生きていけなかったり、やりたくない仕事をこなさなければならなかったり、、、なんなんだろう。
マスゲームや部活動、もしくはエキストラ的な仕事であれば、従順な方が都合が良い場合もあるかとは思います。が、言う通りに動いてもらいたいのであれば、最初からロボットを使えば良いのでは?ダンサーを手駒にすることで、振付家に対して何かメリットがあるのでしょうか。
あれもやります!これもやります!みたいな、従順すぎるダンサーはマジで興味ない。飼い犬か?と思う(笑)そういうのをぶっ壊さないと成長が止まることは、アーティストとして振付家自身もよく分かっていると思います。また、従順だと思って手懐けていた犬がいつか噛み付くことも。 自分は振付家ですが、何かしら構築された世界を一緒に破壊してくれる協力者(あるいは共犯者)としてダンサーに携わってもらえた時は、作家冥利に尽きるという感じです。
自分はダンサーとしているとき、振付家と共感?、振付家の何かが見えた時が好き。 振付家としているとき、自分の求めているものと相手の気持ち良いところが溶け合うところが見つけられた時が好き。ただ単に。 自分の場合は、密にコミュニケーションを取ってくれる振付家と踊る機会が多かったなぁ。共感を求められて、自分は共感できなくとも、お互いに他の共感できる場所を探していくのがクリエイションっていう形でやられることが多いし、自分もやることが多い。
話にならん、あなたはダンサーなのですか。振付家に直接聞けばいい、自分のやり方で提示して行けばいい、一方的な共感を求める振付家さんなんていますかね
もう一つ質問させて下さい。ダンサーは必ずしも振付家に共感して作品の一部にならないといけないのでしょうか。ダンス難しいです。私は経験も乏しいですし、振付家に共感を求められているように感じるので。皆様の意見を聞きたいです。振付家さんもダンサーさんも。
私の場合、ダンサーに承認欲求を満たすためにダンサーを使う方ではないですね。承認欲求が満たされるのは作品であって、私はむしろダンサーの承認欲求を満たしてあげたいと思いますからその上でダンサーとの関係を気づいていこうと思うようにしています。むしろ、表現と表現のコミュニケーションにおいて”機嫌”という言葉が出てきてしまうのが不思議な感覚になりますね。
批評家自身、誰に向けて書くかも重要だと思います 観劇した人々や作家へ向ける言葉と合わせて、ある程度外側(業界の外)を取り込もうとする貧欲な姿勢も必要かと。このままだと現状維持どころか、衰退していく予感がします
そもそも人って意見も違うし変わるし、悪いとこ探そうとすると、そこしか見えなくなっちゃう お互い得られるものを見つけたり、補い合っていくことくらいは出来そう
振付家を不機嫌にさせないことが、ダンサーの役割なの?
何にでも同意を求めてくる人がいて困っています。例えば 「ピンクって可愛い色じゃない?」それに対して意見すれば機嫌が悪くなります。 「ピンクって可愛い色だと思う」でいいと思うのですが。共感されないと不安なのでしょう。分かります。ただなんで違う意見を伝えると不機嫌になるのでしょうか。助けてください。
振付家ってそういう人多いと感じます。ダンスの現場でよく感じることです。結局ダンサーは振付家に洗脳され、言いなりになるほかないのでしょうか?立場的にはやはり振付家が上にいるのですか?ダンサーはコマで、従順なダンサーは振付家への承認欲求を満たすために踊ってるのでしょうか?
写真や絵画は複製されることができて、多くの目に触れることができる。美術館の構造として多くの観客を入れ一度に作品に触れる機会を与える。しかし、踊りや演劇の世界では観客のあり方も当然関わってくるわけで、多くの観客を動員すりゃいいってものでもない。しかも、写真や絵画はものとして残るから再現可能だから何度も何度も人の目に触れる機会が多い。観客という踊りを見る空間というのも考えながら表現する制作者側は提示しなければならない。そんな感じでダンスって本当に割に合わないシステムだなあ。と思いつつ。 ここのトピックではもっとダンス関係者以外の人と交流できたらと思って書き込みます。
ダンスを見に行くそこの観客の方に質問です。 ダンスを見て何が魅力的であなたは見に行くのですか?
そうか、自分は自分の中で踊りが行為として成り立ってしまっているのかもしれない。 だから、こう外枠がなくて宙ぶらりんになっている感じがしてたんだ。 少し、分かった。
仕事で遊ぶこともできるし、遊びが仕事になることもありますよねー 活躍してる人ほど、どっちもしっかり楽しんでそう
リハーサル好きで、日々充実しているダンサーなんですね ただし、法外な拘束時間での低賃金は交渉した方がいいと思いますけど ノーギャラで働かす、無茶な振付家もいるとかいないとか・・・
踊り自体が表現でなくて、行為として成り立っている場合もあるよね(人生捧げちゃってる系) あとは手法としてとか(こっちの方がドライな感じする)
誰もが真の目的を掲げて動いてるわけじゃないし、そんな綺麗事で世の中まわってない
>満面の笑みでフラフラしながら跳ねてる老婆
こえーわw
なんか、ウーマン村本思いだすわ あえての自己卑下って、たぶん他人は応援してくれるかもしれないけど、個々人の知能指数と考える努力は別じゃね?IQ低かろうが高かろうが、人間は考え続けることができるよ。
私がよくダンサーの人にこの質問をすると、「リハーサルで毎日いっぱいだから」「普段はずっと踊ってるかな〜?」「あんまり友達とかとどっかいくとかないかも…」とかで、遊んでるってイメージが無いのですよ。 みんなそうなのかな?と、疑問に思い、ここの場を借りて質問させていただきました。
そのように素直に外に現れてしまうことを、知能指数が低いと言うのですかね?私はそちらのがとても魅力的に思えます。 世界残酷物語というDVDをみて思ったのですが、朝方に酔ってゲロ吐きながらそれでも満面の笑みでフラフラしながら跳ねてる老婆になんとも言えない気持ちになりました。すごくブワッてなりました。
どうでもいい私事なんですが、脳障害やら発達障害やらが重度だった私は、小さい頃楽しいと何処と限らず歌ったり、踊ったり…?踊るというか気持ち悪い動きをしていたらしいです。 多分知能指数が低いせいで、原始人的な楽しみ方…が表面に現れちゃっていたんだと思うんですが、表現とか、自分の形とかを意識して考えながら踊る方々が、とても素敵で羨ましくて、そういった自分の踊りについて考えることがこれから出来るように、少しずつ学びたいと思いました。
踊ることの真の目的、踊りは楽しくあるといいな、とか、色々な考え方があるんですね。私は知能指数…(?)脳障害レベルで頭が悪いので表現の理由、という事についてあまり考えてこられなかったのですが、皆さん踊りながらもそれぞれの様々な思いがあるんだと思うと面白いです……というと言葉が悪いかも知れませんが、とても興味がわきます。
親友が妊娠。予定日を考えると平成最後の子供になる予定。
宗教のところもありますし、そうではないところもありますよね。
ダンサーを囲っておきたい気持ちは分かりますが。
ダンスのカンパニーって宗教なの?
私は、やるのも見るのも好きです。
お互いにリアルに戻ってくるような感じで。
カーテンコールって必要なのでしょうか。
好きな人たちだけの世界ってちょっと想像できない、どうなっちゃうんだろう。逆に嫌いになることもあるかもしれないし、生まれるものも生まれなくなるんじゃないかなぁ。好きな人しかいない世界は幸せなのかわからない
好きな人しかいなかったらどうでもいい人も嫌いな人もいないわけで本当にその人たちが好きなのか確かめることさえもできなくなってしまう。心が貧しくなりそうです。
難しいね。世界を拡げることが表現の拡大に繋がるのかと言えば違うだろうし。
好きな人っていうのがこれから出会って増える可能性もあるわけだからそんなふうに思うのはもったいないような気もします
出会ってきた人はみんな好き。多分100人ぐらい?お客さんも合わせると、もっとになるけど。きらいな人あんまいない。良い人も悪い人も、何か気づかされることいっぱいある。これから出会う人も、好きな人ばかりになりますように
好きな人が20人くらい、この世界で生きていれば
他の人は世界にいらない、と思うのだけどみんなはどうなんだろう?
右も左も分からなくなってしまうような恋がしたい。
私はどちらかというと、観る遊びよりも、自分が体験する遊びの方が好きな方で、あまり自分から何かを観に行くと言うことがないかと思います。その中でも、唯一観に行ってるなと感じるのは映画館です。映画は観に行こうと思えます。なので、もし私がダンスを観に行こうと思ったのなら、何となく映画を見ている時の感覚を味わおうとしているのかもしれません。
そして、それが味わえないから、あまり見に行かないのかもしれません。
宣伝乙
稼いでる奴は、周りにやり方教えたりしないかんね
ウダウダ言ってる奴は結局やらないって分かってるから、言っても無駄だと思ってんだろーな
有名といってもあなたの言う世界が狭すぎて、そんな世界で有名になったところで、何の意味もないからです。私もコンテンポラリーダンスやってますけど、ダンスで食べて行く!なんて端から思ってないです。
http://www.realtokyo.co.jp/whatwedo/
音楽家ですけど、楽器を演奏することや歌を歌うことと似ていますね。
なんで、こんなにもダンスがお金にならないんだろう?
この世界(俗に言われるコンテ界)では、とても有名な人でも助成金をもらっていかないと生きていけなかったり、やりたくない仕事をこなさなければならなかったり、、、なんなんだろう。
マスゲームや部活動、もしくはエキストラ的な仕事であれば、従順な方が都合が良い場合もあるかとは思います。が、言う通りに動いてもらいたいのであれば、最初からロボットを使えば良いのでは?ダンサーを手駒にすることで、振付家に対して何かメリットがあるのでしょうか。
あれもやります!これもやります!みたいな、従順すぎるダンサーはマジで興味ない。飼い犬か?と思う(笑)そういうのをぶっ壊さないと成長が止まることは、アーティストとして振付家自身もよく分かっていると思います。また、従順だと思って手懐けていた犬がいつか噛み付くことも。
自分は振付家ですが、何かしら構築された世界を一緒に破壊してくれる協力者(あるいは共犯者)としてダンサーに携わってもらえた時は、作家冥利に尽きるという感じです。
自分はダンサーとしているとき、振付家と共感?、振付家の何かが見えた時が好き。
振付家としているとき、自分の求めているものと相手の気持ち良いところが溶け合うところが見つけられた時が好き。ただ単に。
自分の場合は、密にコミュニケーションを取ってくれる振付家と踊る機会が多かったなぁ。共感を求められて、自分は共感できなくとも、お互いに他の共感できる場所を探していくのがクリエイションっていう形でやられることが多いし、自分もやることが多い。
話にならん、あなたはダンサーなのですか。振付家に直接聞けばいい、自分のやり方で提示して行けばいい、一方的な共感を求める振付家さんなんていますかね
もう一つ質問させて下さい。ダンサーは必ずしも振付家に共感して作品の一部にならないといけないのでしょうか。ダンス難しいです。私は経験も乏しいですし、振付家に共感を求められているように感じるので。皆様の意見を聞きたいです。振付家さんもダンサーさんも。
私の場合、ダンサーに承認欲求を満たすためにダンサーを使う方ではないですね。承認欲求が満たされるのは作品であって、私はむしろダンサーの承認欲求を満たしてあげたいと思いますからその上でダンサーとの関係を気づいていこうと思うようにしています。むしろ、表現と表現のコミュニケーションにおいて”機嫌”という言葉が出てきてしまうのが不思議な感覚になりますね。
批評家自身、誰に向けて書くかも重要だと思います
観劇した人々や作家へ向ける言葉と合わせて、ある程度外側(業界の外)を取り込もうとする貧欲な姿勢も必要かと。このままだと現状維持どころか、衰退していく予感がします
そもそも人って意見も違うし変わるし、悪いとこ探そうとすると、そこしか見えなくなっちゃう
お互い得られるものを見つけたり、補い合っていくことくらいは出来そう
振付家を不機嫌にさせないことが、ダンサーの役割なの?
何にでも同意を求めてくる人がいて困っています。例えば
「ピンクって可愛い色じゃない?」それに対して意見すれば機嫌が悪くなります。
「ピンクって可愛い色だと思う」でいいと思うのですが。共感されないと不安なのでしょう。分かります。ただなんで違う意見を伝えると不機嫌になるのでしょうか。助けてください。
振付家ってそういう人多いと感じます。ダンスの現場でよく感じることです。結局ダンサーは振付家に洗脳され、言いなりになるほかないのでしょうか?立場的にはやはり振付家が上にいるのですか?ダンサーはコマで、従順なダンサーは振付家への承認欲求を満たすために踊ってるのでしょうか?
写真や絵画は複製されることができて、多くの目に触れることができる。美術館の構造として多くの観客を入れ一度に作品に触れる機会を与える。しかし、踊りや演劇の世界では観客のあり方も当然関わってくるわけで、多くの観客を動員すりゃいいってものでもない。しかも、写真や絵画はものとして残るから再現可能だから何度も何度も人の目に触れる機会が多い。観客という踊りを見る空間というのも考えながら表現する制作者側は提示しなければならない。そんな感じでダンスって本当に割に合わないシステムだなあ。と思いつつ。
ここのトピックではもっとダンス関係者以外の人と交流できたらと思って書き込みます。
ダンスを見に行くそこの観客の方に質問です。
ダンスを見て何が魅力的であなたは見に行くのですか?
そうか、自分は自分の中で踊りが行為として成り立ってしまっているのかもしれない。
だから、こう外枠がなくて宙ぶらりんになっている感じがしてたんだ。
少し、分かった。
仕事で遊ぶこともできるし、遊びが仕事になることもありますよねー
活躍してる人ほど、どっちもしっかり楽しんでそう
リハーサル好きで、日々充実しているダンサーなんですね
ただし、法外な拘束時間での低賃金は交渉した方がいいと思いますけど
ノーギャラで働かす、無茶な振付家もいるとかいないとか・・・
踊り自体が表現でなくて、行為として成り立っている場合もあるよね(人生捧げちゃってる系)
あとは手法としてとか(こっちの方がドライな感じする)
誰もが真の目的を掲げて動いてるわけじゃないし、そんな綺麗事で世の中まわってない
>満面の笑みでフラフラしながら跳ねてる老婆
こえーわw
なんか、ウーマン村本思いだすわ
あえての自己卑下って、たぶん他人は応援してくれるかもしれないけど、個々人の知能指数と考える努力は別じゃね?IQ低かろうが高かろうが、人間は考え続けることができるよ。
私がよくダンサーの人にこの質問をすると、「リハーサルで毎日いっぱいだから」「普段はずっと踊ってるかな〜?」「あんまり友達とかとどっかいくとかないかも…」とかで、遊んでるってイメージが無いのですよ。
みんなそうなのかな?と、疑問に思い、ここの場を借りて質問させていただきました。
そのように素直に外に現れてしまうことを、知能指数が低いと言うのですかね?私はそちらのがとても魅力的に思えます。
世界残酷物語というDVDをみて思ったのですが、朝方に酔ってゲロ吐きながらそれでも満面の笑みでフラフラしながら跳ねてる老婆になんとも言えない気持ちになりました。すごくブワッてなりました。
どうでもいい私事なんですが、脳障害やら発達障害やらが重度だった私は、小さい頃楽しいと何処と限らず歌ったり、踊ったり…?踊るというか気持ち悪い動きをしていたらしいです。
多分知能指数が低いせいで、原始人的な楽しみ方…が表面に現れちゃっていたんだと思うんですが、表現とか、自分の形とかを意識して考えながら踊る方々が、とても素敵で羨ましくて、そういった自分の踊りについて考えることがこれから出来るように、少しずつ学びたいと思いました。
踊ることの真の目的、踊りは楽しくあるといいな、とか、色々な考え方があるんですね。私は知能指数…(?)脳障害レベルで頭が悪いので表現の理由、という事についてあまり考えてこられなかったのですが、皆さん踊りながらもそれぞれの様々な思いがあるんだと思うと面白いです……というと言葉が悪いかも知れませんが、とても興味がわきます。