表現って、何かした結果が表現になるんじゃないかな。だから、表現がプロセスなのではなく、結果なんじゃない? 服を脱ぐのだって、オヤジが酔いつぶれるのだって、その結果が表現になってるんじゃないかな。 表現って受け取り側の問題にもなってくる気もする。 でも、表現を感じられないダンスってあるのかな。
批評家の目に触れることが、淘汰されていくものなのか。 それとも、単純に見てくれる人に触れて淘汰されていくのか。 こうなると、もう自分たちで選んでいくしかないのかな? カリスマ・トップにしても少数の知識人が知識を元に評価したものか、多数の一般人が何となくの感覚で良いと思ったものか。
オヤジが酔いつぶれていく様子は、日本社会の表現だよ。^ ^
観客もダンサーも批評を拠り所にせずに自分の目を信じて好きなものを応援できたらいいね。 でもそれって淘汰されることのない、個々のダンスがそれぞれ乱立する状態。 それじゃ業界は活性化しないのかしら?
業界を盛り上げるためのカリスマ、トップを走り続ける人を生むために批評がある、のか? 淘汰と渇望、それともいわゆるダンス業界の外へリーチアウトするための宣伝?
>「今夜はブギーバック」「残酷な天使のテーゼ」でイエイイエイ!
どこのオヤジだよwww
ダンスの批評家さんが言った言葉は、ダンスの世界でしか響かないじゃない? だから、ダンスを知ってる人ってダンスの世界の人しかいないよね。 じゃあ批評家の人たちが軽い気持ちではなく、ちゃんと素直に色んなことを考えて切磋琢磨して書いたであろう、あの言葉たちは誰が見るの? 数の少ないダンスの世界の住民たち? その人たちのなかで、「あの人はああ言われてたからすごい!私もああ言ってもらえるように頑張ろう!」とか言い合うの?それって、書かれた文章の本当の目的なのかしら。
批評=よい点・悪い点などを指摘して、価値を決めること。
その価値を伝えたいのは業界内の人たち?そこに伝えて何か変わるものがあるのかな?
たしかに。 第一私はまだ自分自体を分かりきれていないし。わかってない状態で、表現してる!とは言えないかも。 だから、私は踊ることが表現じゃないよ(^^) 踊りは楽しくあるといいなとは思ってるよ。一番楽しいダンスは友達とのカラオケだよ。 「今夜はブギーバック」「残酷な天使のテーゼ」でイエイイエイ!言ってる時が、ダンスが楽しいと感じる時だよ。そのまま気持ちよくなったらそのまま服脱ぐよ。 これ!コンテンポラリーダンスのお得意の裸でしょ?別に違いなんてないでしょ? まって、これが表現なのかしら…?ん?
ダンサー側が積極的に言葉にすることも必要だよねぇー まぁダンスやったことない批評家ならではの目線も大事だし、その良さもあるっちゃある
確かにそうですね、その距離を埋めるにはどうしたらよいものか
よく、「踊っている時が自分を一番表現できる」と言うのを耳にするが、少し違うなって思う。 なにが違うかよく分からないけど、果たして踊ることは表現が目的なのかな? じゃあ、真の目的はなんだってことになるけど、これは人それぞれなのかな、、。よく分からないや。
ダンサーから批評家になった人が少ない、というのが現状だと思い、そこにダンス(ダンサー)との距離感の原因があるように思ったりします。
批評家ってどこから批評家って名乗れるんだろう 名乗ったもんがちならダンサーから批評家に転身する人とかいっぱいいてもいいのになあ
そのとおりですね
ダンス批評家あるある
・一方的な妄想ブッコミがち ・「え?招待扱いでしょ?」という顔 ・終演後、100%聞き役に徹するダンサー ・たまに飛び出すトンデモ発言 ・若手批評家いなさすぎ
お互い成長って言うか、批評家と作家が切磋琢磨できるような環境って作れないのかなー
正直、今のままじゃ厳しいんじゃね。。シーンが閉鎖的すぎて、一般人の入る余地なし 美術批評家は畑違い感ある
一昔前は、お客さんのナビゲーター的な役割を担ってたって聞いたことある
それな 二次創作とかクソコラとか、パロって楽しめるもんが増えたよなー
対価となる金銭の授受が発生しなければそれでいいと思いますよ。お金を払って自慰行為を観たいスキモノは別にしてw
嘘か本当か、本物って何かわからなくなった時代ですかね ◯◯っぽい。ものが増えた
平成ってどんな時代だったんだろ
横からすみません。僕も人づてから聞きましたw どっちも見たかったなー 合掌
批評家 という職業はどういうためにあるの? 美術批評家というのもいるけどダンス批評家とは、、、 また、美術批評家にはダンスは批評されないのか?
あなたに自由奔放だねと言うのは、お互いの不自由な世界を守るため。真に自由奔放な人間は、社会から追放されるか崇拝されるかの二択です。イライラなどの不快な感情は、体が社会に適応するよう仕組まれた自然の摂理です。とはいえ、他人に自由を強制される方がよっぽど不自由で、不健全だとは思いますがね。
そもそも「大人」って、誰のことを指すのでしょうか。
無理に、その人の正解にあてはまろうとする必要はないと思いますよ。少なからずあなたに興味があってのことで、苦しめるつもりで言っている訳ではないと思います。大切なことは、心に留めておいて下さい。
ダンスファン=まゆゆ 自演乙
恋をするとエンドルフィンという脳内麻薬物質が分泌され、ヒトの判断能力はチンパンジーと同レベルに落ちます
いつもの方々ってどこの分野にもいますね。美術、音楽にもいつもの方々にお会いします。
自己満足以上のものが万人受けしますか?
踊ることを、自己満足以上のものにする必要はあるのだろうか。 自慰行為の様な踊りでいいと、僕は思う。 相互性が必要なのか。 自己満足以上のことを求めるから、他人の言葉が重くなるのかな、って思う。 自分が気持ちいいなら、それでいいじゃんって思うんだけどな。それをみたいっていう人だっているわけだし。 万人受けすることが、そんなに大切なこと?
いやいや、仕事の面での恋愛は本当に大変だと思う。私情とかが入らないで仕事ができるのであれば良いのだけども、そんなことロボットじゃないんだから無理に近いし、第一何を大事にされていて自分があるのかを見失いやすくなりそう。 いや分からないけど、何かを見失いそうで恋愛は怖い。でも、こんなこと言ってるけど、私自身はそれにハマりやすい感じも否めないから、こういう意見なのかもしれないな。
閉じ込められるのいいですね。 閉じ込められてヒス起こす直前までいってみたい。これで、朦朧とするようなイライラが気持ち良かったりするんですよね。
天皇陛下の退位を認める特例法が6月9日、参議院本会議で可決され成立しました。
参議院本会議の様子(ニコニコ生放送より) 特例法は2016年8月に天皇陛下がお気持ちを表明されたこと(関連記事)を受けて進められてきたもの。特例法の施行日をもって天皇陛下は退位され、称号は「上皇」となります。施行日は、公布日から3年を超えない範囲。
参議院のWebサイトには特例法に向けた動きをまとめたページも 退位に伴って元号も変更となり、「平成」は終了に。また国民の祝日である天皇誕生日は12月23日から2月23日となります。
ーねとらぼ http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1706/09/news075.html
貴女は何でダンスを踊るの?とか、ダンスに求めることは?とか、何で大人はいろいろ聞いてくるんだろう。何を求めているんだろう。なんて答えたらいいんだろう。
うん。愛のある振付家って、すっと入りこんでくる。 自分の体なのかわかんないくらい曖昧になって、ふわふわする。 でも感覚は、すごい冴えてる。
なげーよ、小論文かよ
老人が戦争の凄惨さを100万回唱えても、YouTubeで100万回再生されてるくだらない動画の方に耳を傾けてしまう。内乱や紛争は毎日どこかで発生し、事件のニュースも止む気配がないので仕方がないじゃないか、という気持ちになる。欲求の領土をいくら広げたら気が済むのだろう、人間は。1940-60年代にフランス思想家が言った。 『人は他者に「挑み」、他者をまったくの尊厳のための生死を賭しての闘争に引き入れねばならない。そしてこの闘争の中に他者を引き入れた後、自己が殺されぬためには、他者を殺さざるをえない。したがって、このような状況においては、承認のための闘争は、敵対者の一方ないし双方の死による以外には終わることがない。』 争いが終結し政治的な境界が無くなれば、そこに存在する者は果たして「人間」と呼べるだろうか。脅かされず安穏とした世界に佇めば、もはや身体の必要性は薄れるだろう。善し悪しでなく、あくまで変化の話。そして「踊る」という原始的かつ崖の淵に立つような行為そのものは、どんな時代でも人間要素の一端を担っている筈だ。ダンスを生業とする者こそが、何をもって人間の身体性たり得るのかを問うことが出来ると信じている。
アラーキーのモデルって、ダンサーだったんですね。 自分は「性的な関係」と「仕事としての愛情」は別物だと思います。お互いにメリットがなければ、こじれるだけです。
https://note.mu/kaori_la_danse/n/nb0b7c2a59b65
表現って、何かした結果が表現になるんじゃないかな。だから、表現がプロセスなのではなく、結果なんじゃない?
服を脱ぐのだって、オヤジが酔いつぶれるのだって、その結果が表現になってるんじゃないかな。
表現って受け取り側の問題にもなってくる気もする。
でも、表現を感じられないダンスってあるのかな。
批評家の目に触れることが、淘汰されていくものなのか。
それとも、単純に見てくれる人に触れて淘汰されていくのか。
こうなると、もう自分たちで選んでいくしかないのかな?
カリスマ・トップにしても少数の知識人が知識を元に評価したものか、多数の一般人が何となくの感覚で良いと思ったものか。
オヤジが酔いつぶれていく様子は、日本社会の表現だよ。^ ^
観客もダンサーも批評を拠り所にせずに自分の目を信じて好きなものを応援できたらいいね。
でもそれって淘汰されることのない、個々のダンスがそれぞれ乱立する状態。
それじゃ業界は活性化しないのかしら?
業界を盛り上げるためのカリスマ、トップを走り続ける人を生むために批評がある、のか?
淘汰と渇望、それともいわゆるダンス業界の外へリーチアウトするための宣伝?
>「今夜はブギーバック」「残酷な天使のテーゼ」でイエイイエイ!
どこのオヤジだよwww
ダンスの批評家さんが言った言葉は、ダンスの世界でしか響かないじゃない?
だから、ダンスを知ってる人ってダンスの世界の人しかいないよね。
じゃあ批評家の人たちが軽い気持ちではなく、ちゃんと素直に色んなことを考えて切磋琢磨して書いたであろう、あの言葉たちは誰が見るの?
数の少ないダンスの世界の住民たち?
その人たちのなかで、「あの人はああ言われてたからすごい!私もああ言ってもらえるように頑張ろう!」とか言い合うの?それって、書かれた文章の本当の目的なのかしら。
批評=よい点・悪い点などを指摘して、価値を決めること。
その価値を伝えたいのは業界内の人たち?そこに伝えて何か変わるものがあるのかな?
たしかに。
第一私はまだ自分自体を分かりきれていないし。わかってない状態で、表現してる!とは言えないかも。
だから、私は踊ることが表現じゃないよ(^^)
踊りは楽しくあるといいなとは思ってるよ。一番楽しいダンスは友達とのカラオケだよ。
「今夜はブギーバック」「残酷な天使のテーゼ」でイエイイエイ!言ってる時が、ダンスが楽しいと感じる時だよ。そのまま気持ちよくなったらそのまま服脱ぐよ。
これ!コンテンポラリーダンスのお得意の裸でしょ?別に違いなんてないでしょ?
まって、これが表現なのかしら…?ん?
ダンサー側が積極的に言葉にすることも必要だよねぇー
まぁダンスやったことない批評家ならではの目線も大事だし、その良さもあるっちゃある
確かにそうですね、その距離を埋めるにはどうしたらよいものか
よく、「踊っている時が自分を一番表現できる」と言うのを耳にするが、少し違うなって思う。
なにが違うかよく分からないけど、果たして踊ることは表現が目的なのかな?
じゃあ、真の目的はなんだってことになるけど、これは人それぞれなのかな、、。よく分からないや。
ダンサーから批評家になった人が少ない、というのが現状だと思い、そこにダンス(ダンサー)との距離感の原因があるように思ったりします。
批評家ってどこから批評家って名乗れるんだろう
名乗ったもんがちならダンサーから批評家に転身する人とかいっぱいいてもいいのになあ
そのとおりですね
ダンス批評家あるある
・一方的な妄想ブッコミがち
・「え?招待扱いでしょ?」という顔
・終演後、100%聞き役に徹するダンサー
・たまに飛び出すトンデモ発言
・若手批評家いなさすぎ
お互い成長って言うか、批評家と作家が切磋琢磨できるような環境って作れないのかなー
正直、今のままじゃ厳しいんじゃね。。シーンが閉鎖的すぎて、一般人の入る余地なし
美術批評家は畑違い感ある
一昔前は、お客さんのナビゲーター的な役割を担ってたって聞いたことある
それな
二次創作とかクソコラとか、パロって楽しめるもんが増えたよなー
対価となる金銭の授受が発生しなければそれでいいと思いますよ。お金を払って自慰行為を観たいスキモノは別にしてw
嘘か本当か、本物って何かわからなくなった時代ですかね
◯◯っぽい。ものが増えた
平成ってどんな時代だったんだろ
横からすみません。僕も人づてから聞きましたw
どっちも見たかったなー
合掌
批評家 という職業はどういうためにあるの?
美術批評家というのもいるけどダンス批評家とは、、、
また、美術批評家にはダンスは批評されないのか?
あなたに自由奔放だねと言うのは、お互いの不自由な世界を守るため。真に自由奔放な人間は、社会から追放されるか崇拝されるかの二択です。イライラなどの不快な感情は、体が社会に適応するよう仕組まれた自然の摂理です。とはいえ、他人に自由を強制される方がよっぽど不自由で、不健全だとは思いますがね。
そもそも「大人」って、誰のことを指すのでしょうか。
無理に、その人の正解にあてはまろうとする必要はないと思いますよ。少なからずあなたに興味があってのことで、苦しめるつもりで言っている訳ではないと思います。大切なことは、心に留めておいて下さい。
ダンスファン=まゆゆ
自演乙
恋をするとエンドルフィンという脳内麻薬物質が分泌され、ヒトの判断能力はチンパンジーと同レベルに落ちます
いつもの方々ってどこの分野にもいますね。美術、音楽にもいつもの方々にお会いします。
自己満足以上のものが万人受けしますか?
踊ることを、自己満足以上のものにする必要はあるのだろうか。
自慰行為の様な踊りでいいと、僕は思う。
相互性が必要なのか。
自己満足以上のことを求めるから、他人の言葉が重くなるのかな、って思う。
自分が気持ちいいなら、それでいいじゃんって思うんだけどな。それをみたいっていう人だっているわけだし。
万人受けすることが、そんなに大切なこと?
いやいや、仕事の面での恋愛は本当に大変だと思う。私情とかが入らないで仕事ができるのであれば良いのだけども、そんなことロボットじゃないんだから無理に近いし、第一何を大事にされていて自分があるのかを見失いやすくなりそう。
いや分からないけど、何かを見失いそうで恋愛は怖い。でも、こんなこと言ってるけど、私自身はそれにハマりやすい感じも否めないから、こういう意見なのかもしれないな。
閉じ込められるのいいですね。
閉じ込められてヒス起こす直前までいってみたい。これで、朦朧とするようなイライラが気持ち良かったりするんですよね。
天皇陛下の退位を認める特例法が6月9日、参議院本会議で可決され成立しました。
参議院本会議の様子(ニコニコ生放送より)
特例法は2016年8月に天皇陛下がお気持ちを表明されたこと(関連記事)を受けて進められてきたもの。特例法の施行日をもって天皇陛下は退位され、称号は「上皇」となります。施行日は、公布日から3年を超えない範囲。
参議院のWebサイトには特例法に向けた動きをまとめたページも
退位に伴って元号も変更となり、「平成」は終了に。また国民の祝日である天皇誕生日は12月23日から2月23日となります。
ーねとらぼ http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1706/09/news075.html
貴女は何でダンスを踊るの?とか、ダンスに求めることは?とか、何で大人はいろいろ聞いてくるんだろう。何を求めているんだろう。なんて答えたらいいんだろう。
うん。愛のある振付家って、すっと入りこんでくる。
自分の体なのかわかんないくらい曖昧になって、ふわふわする。
でも感覚は、すごい冴えてる。
なげーよ、小論文かよ
老人が戦争の凄惨さを100万回唱えても、YouTubeで100万回再生されてるくだらない動画の方に耳を傾けてしまう。内乱や紛争は毎日どこかで発生し、事件のニュースも止む気配がないので仕方がないじゃないか、という気持ちになる。欲求の領土をいくら広げたら気が済むのだろう、人間は。1940-60年代にフランス思想家が言った。
『人は他者に「挑み」、他者をまったくの尊厳のための生死を賭しての闘争に引き入れねばならない。そしてこの闘争の中に他者を引き入れた後、自己が殺されぬためには、他者を殺さざるをえない。したがって、このような状況においては、承認のための闘争は、敵対者の一方ないし双方の死による以外には終わることがない。』
争いが終結し政治的な境界が無くなれば、そこに存在する者は果たして「人間」と呼べるだろうか。脅かされず安穏とした世界に佇めば、もはや身体の必要性は薄れるだろう。善し悪しでなく、あくまで変化の話。そして「踊る」という原始的かつ崖の淵に立つような行為そのものは、どんな時代でも人間要素の一端を担っている筈だ。ダンスを生業とする者こそが、何をもって人間の身体性たり得るのかを問うことが出来ると信じている。
アラーキーのモデルって、ダンサーだったんですね。
自分は「性的な関係」と「仕事としての愛情」は別物だと思います。お互いにメリットがなければ、こじれるだけです。
https://note.mu/kaori_la_danse/n/nb0b7c2a59b65