テメーみたいなBBAがダンス界狭くしてんだろ 変に馴れ合うから廃れんだよ こっちの身にもなれだわまじで。若者が息苦しいことに早く気付けし
初めまして。友達から聞いて来ました。 自分は、踊るのが好きな人って、何で舞台に立つのかみたいなことが気になります。
そもそもダンス見てもらいたかったら、ちょっと極端ですけど山奥行って、動物とか村人とかに見てもらえばいいじゃないですか。あ、それか路上とかさ。 それでもステージにこだわるのって、どういう神経してるんだろうと思ってるんですよね。照明とか音に頼って、ある程度守られてないと立てないぐらい、弱いカラダなんですか? あ、やっぱ稼げないから?有名になりたいから?所属したいから?チヤホヤされたいとか? 下衆な質問で悪いんですけど、せっかくなんで。何か理由があったらお願いします
あるあるですね〜本当誰だよ。(笑) 私は「今日はあんまり動かなかったね〜」と言われてお前誰だよってなったことあります(笑)ちょっとまた違うかもしれないけど
終演後のロビーにいるオマエさん。 終演後、演者をペットのように「今日は照明が〜だったね」と語るオマエさん。 オマエだれなんだよ! 会話を組み立てろ!キャッチボールせよ!言葉を!
まだ若いダンサーさんかな?私も昔はそうでした。周りの人と相談して、一緒に正解を探しにいくことも大事よ みんな味方♪
社会的に分類されないと不安。もし自分が何者でもなくなったら、生きていけないんじゃないかと思う。ちゃんと分類されてないと理解しずらいってことは、あまりにも社会が煩雑なのか、それだけ人間の知能が退行したっていう証拠でもあるのかな。
枠を設けようとするのは自身を守ることはもちろん利便性もあるかもしれない。社会的になにかに分類されてたほうが都合がよい時代なのかも。
確かに「枠」があるって、ある意味守られてるって事でも有りますしね 大事にされて恵まれて育ったからなのか、子供達がその有り難さに気づかないのも難儀で、生きづらそうだなって
むちゃくちゃ良い話っすねw 自分もざっくり言うと舞台に出る仕事してるんですけど、終演して話しかけてくれるお客さんとかすげーなって思います 俺、全然知らんのに何かすいませんっていっつも頭下げてますw
ーー「それすらも模造である」というリスクを背負ってでも、今はこの方法論で作るしかないのです。私たちの「オリジナル」は、その場所にしかないのですからーー
以前見た、エヴァの庵野さんのインタビューから。オリジナリティって既に出切っちゃっていて、私達は何かの複合やパロディーで、新しいと錯覚するしか術が無いのでしょうか。
認知の距離感の差に、なにか切なさみたいな物が詰まっているみたい。白い部屋から一緒に眺める夕日を想像してガラにもなくウルウルしました。 お客さんが自分の事を知っているけど自分は何ひとつ知らないと思う時、呆然する位戸惑う時があります。 会場まで足を伸ばして来て下さってそれだけで有難いのにまして差し入れなんて頂いた時には、感謝に辿り着く前に驚きが来てたまにちょっとショートします。
オフホワイトにちょっと吹き出しましたw AV女優と風俗やりましたけど、自分は全然違うものだと思いました。頭が弱いので説明が出来ないですが。 枠があってくれるから、外に出ると視線が集まるって事にも意味がある気がします。
掲示板「303号室」は3月3日午後3時3分より一般公開となります
他人との間に枠を設けたいから、自分も枠を感じるのでは
人によりますよね。 私なんかはリハーサルの間をぬってバイトしまくってますよ。 生活がありますからね。
どうやって生活しているんですか?
僕は僕の中の本当をさがしてるんですけどね。 最近は同じようなことがありふれててよくわかりませんわ。
僕は僕が主人公ですわ
決め打ちは確かにつまらない そういうのに限って大衆に受けたりもする こないだハライチの岩井が、予定調和をやって30点くらいの笑いがちょうどよくて、かつその30点を100点と思うような芸人が結局売れる、しかしそれはお笑い風だと言ってたけどダンス風もあるかもな、長文失礼
あ、僕が言ってるのは「他人の人生でも」みたいな意味です。。 似たようなタイプが、職場にもいるので、、 こちらからしたら、同僚Aでしかないんですけどね(^_^;)
みなさんの人生って誰が主人公なんですか?
なんだろう、 いつも、自分が漫画の主人公みたいに思っちゃう人なのだろうか、、、他人からしたら、はるかにどうでもいい、、
おら、漫画家だと思われてるみたいです。笑いました。
あることなのでは?そもそも選んだ時点の話だから、そのプロジェクトに関わるという最終決定をしたのは自分である。 不満を言えばいうほどみじめなのは自分です、でも出来なかったり、その疑問をその演出家に言うことは大事な事なのでは、 それに見合う給与をもらえていることがかなり少ないであろうから、、、一番見誤ってはいけないのが、自分のその演出家への気持ちだと思う
仕事だ、、、、一番向いてる気がする、、、
ダンスは逃げ?
なんだろうね、現実逃避してるとこあるかも(¯―¯٥)
それな( ^∀^)禿同
ごくたまに気持ちいいからでふ。
絶対に今この流れでその要求は飲める身体の状況にない(漫画でいえば連載が打ち切りになるから無理に展開を変えるような)ことをやれと言われたとき、ダンサーとして言われたことをただやるのが正解なのかどうかで迷う。あえてそういう演出ならばわかるがそうではないようだし、やりたくない·やれないけれど振付家の願望を叶えるためにやるべき、とは思いつつ口ごたえしてしまう自分ややれない自分、そしてなぜわからない?と振付家に腹が立つ。こういうことは皆あることですか?
その曲偶然よく聞いてはいたけれど、ゆーてこいつらも悪く言えば真似事なんだよな
真似事とは当人は思っていないが、他者がそう思うことで真似事になってしまう、押し付けられるという風潮もダンス界にはあると思う 新しいことってそもそも誰が決めるんだろう
痛いぞお前ら
皆さんどうしてダンスやってるんですかね
てかこの世界なにが面白いんだかわかんなくなってきた、皆言ってることちぐはぐ。
なにひとつ知らないことを知らされる時って途方も無い虚しさがある
無責任に近づいてきて、無責任に言葉を投げかてきて、無責任に期待してきて。そんな方法だから、みんな数打ちゃ当たるだろうみたいな感じになるのかな。みんな若手が仲良くエサもらうのを順番待ちしてる様にしか見えない。 大人3人、立て続けに「期待してる」の言葉を言われた時には、応援してる様に見えて自分のこと潰しにかかってるなって思う。
知らない方が、優しさになることもありますね。 それでも人は光を感じて、夢を見ていたいのかも知れません
よく劇場に見に来てくれる人が、入院したらしい。ので、今日はお見舞いに行って来た。 他愛もない話しかしなかったけど、すごく喜んでいた。今まで劇場でしか逢ったことがなかったので、彼が普通の会社員だったことを、そこで初めて知った。お客さんは私のことを知っているのに、私は彼のことを何ひとつ、知らなかった。 自分の細胞が、命を蝕む悪者に変わってしまうだなんて、身体は何て理不尽なんだろう。すっかり痩せ細ってしまった自分の腕を指して、ここに管が埋め込まれていて、そこから採血をしたり、点滴をしたりするんだよ、と教えてくれた。 真っ白く静かな空間で、窓に広がるビルやお寺を眺める。二人で、雲からこぼれる夕日を見たりして過ごした後で、何気なくベッドの側にある封筒を手にとった彼に目をうつすと、中にはぎっしりと色々な公演のチラシが詰まっていて 「外出許可を取って、昨日も劇場に行ったのね。けど、今年は2つしか観に行けてないの。いつもなら、20は観に行けるのにな。」と、さびしそうに呟いていた。 私はまだふわふわとした気持ちで、一歩一歩、さっきまでの彼との会話を反芻しながら、帰路についている。
そう思えたらいいですよね。でも結局、都合のいいように使われてるなって感じします。だから、自分のやりたいこととか聞かれても、あんま答えられないです。
自分のやりたいことをやりたいようにやっていればいいんじゃないかねえ、自分なんてとどのつまり、他人から見ての自分であると思うよ、何者でもないし、自分に何かできることがあるなんて思うのは少し不思議よね、何かできると思うなよ、と思う、いるだけでいいし、必要とされなかったら立たなくなるだろうし、はっきりしている
テメーみたいなBBAがダンス界狭くしてんだろ
変に馴れ合うから廃れんだよ
こっちの身にもなれだわまじで。若者が息苦しいことに早く気付けし
初めまして。友達から聞いて来ました。
自分は、踊るのが好きな人って、何で舞台に立つのかみたいなことが気になります。
そもそもダンス見てもらいたかったら、ちょっと極端ですけど山奥行って、動物とか村人とかに見てもらえばいいじゃないですか。あ、それか路上とかさ。
それでもステージにこだわるのって、どういう神経してるんだろうと思ってるんですよね。照明とか音に頼って、ある程度守られてないと立てないぐらい、弱いカラダなんですか?
あ、やっぱ稼げないから?有名になりたいから?所属したいから?チヤホヤされたいとか?
下衆な質問で悪いんですけど、せっかくなんで。何か理由があったらお願いします
あるあるですね〜本当誰だよ。(笑)
私は「今日はあんまり動かなかったね〜」と言われてお前誰だよってなったことあります(笑)ちょっとまた違うかもしれないけど
終演後のロビーにいるオマエさん。
終演後、演者をペットのように「今日は照明が〜だったね」と語るオマエさん。
オマエだれなんだよ!
会話を組み立てろ!キャッチボールせよ!言葉を!
まだ若いダンサーさんかな?私も昔はそうでした。周りの人と相談して、一緒に正解を探しにいくことも大事よ
みんな味方♪
社会的に分類されないと不安。もし自分が何者でもなくなったら、生きていけないんじゃないかと思う。ちゃんと分類されてないと理解しずらいってことは、あまりにも社会が煩雑なのか、それだけ人間の知能が退行したっていう証拠でもあるのかな。
枠を設けようとするのは自身を守ることはもちろん利便性もあるかもしれない。社会的になにかに分類されてたほうが都合がよい時代なのかも。
確かに「枠」があるって、ある意味守られてるって事でも有りますしね
大事にされて恵まれて育ったからなのか、子供達がその有り難さに気づかないのも難儀で、生きづらそうだなって
むちゃくちゃ良い話っすねw
自分もざっくり言うと舞台に出る仕事してるんですけど、終演して話しかけてくれるお客さんとかすげーなって思います
俺、全然知らんのに何かすいませんっていっつも頭下げてますw
ーー「それすらも模造である」というリスクを背負ってでも、今はこの方法論で作るしかないのです。私たちの「オリジナル」は、その場所にしかないのですからーー
以前見た、エヴァの庵野さんのインタビューから。オリジナリティって既に出切っちゃっていて、私達は何かの複合やパロディーで、新しいと錯覚するしか術が無いのでしょうか。
認知の距離感の差に、なにか切なさみたいな物が詰まっているみたい。白い部屋から一緒に眺める夕日を想像してガラにもなくウルウルしました。
お客さんが自分の事を知っているけど自分は何ひとつ知らないと思う時、呆然する位戸惑う時があります。
会場まで足を伸ばして来て下さってそれだけで有難いのにまして差し入れなんて頂いた時には、感謝に辿り着く前に驚きが来てたまにちょっとショートします。
オフホワイトにちょっと吹き出しましたw
AV女優と風俗やりましたけど、自分は全然違うものだと思いました。頭が弱いので説明が出来ないですが。
枠があってくれるから、外に出ると視線が集まるって事にも意味がある気がします。
掲示板「303号室」は3月3日午後3時3分より一般公開となります
他人との間に枠を設けたいから、自分も枠を感じるのでは
人によりますよね。
私なんかはリハーサルの間をぬってバイトしまくってますよ。
生活がありますからね。
どうやって生活しているんですか?
僕は僕の中の本当をさがしてるんですけどね。
最近は同じようなことがありふれててよくわかりませんわ。
僕は僕が主人公ですわ
決め打ちは確かにつまらない
そういうのに限って大衆に受けたりもする
こないだハライチの岩井が、予定調和をやって30点くらいの笑いがちょうどよくて、かつその30点を100点と思うような芸人が結局売れる、しかしそれはお笑い風だと言ってたけどダンス風もあるかもな、長文失礼
あ、僕が言ってるのは「他人の人生でも」みたいな意味です。。
似たようなタイプが、職場にもいるので、、
こちらからしたら、同僚Aでしかないんですけどね(^_^;)
みなさんの人生って誰が主人公なんですか?
なんだろう、
いつも、自分が漫画の主人公みたいに思っちゃう人なのだろうか、、、他人からしたら、はるかにどうでもいい、、
おら、漫画家だと思われてるみたいです。笑いました。
あることなのでは?そもそも選んだ時点の話だから、そのプロジェクトに関わるという最終決定をしたのは自分である。
不満を言えばいうほどみじめなのは自分です、でも出来なかったり、その疑問をその演出家に言うことは大事な事なのでは、
それに見合う給与をもらえていることがかなり少ないであろうから、、、一番見誤ってはいけないのが、自分のその演出家への気持ちだと思う
仕事だ、、、、一番向いてる気がする、、、
ダンスは逃げ?
なんだろうね、現実逃避してるとこあるかも(¯―¯٥)
それな( ^∀^)禿同
ごくたまに気持ちいいからでふ。
絶対に今この流れでその要求は飲める身体の状況にない(漫画でいえば連載が打ち切りになるから無理に展開を変えるような)ことをやれと言われたとき、ダンサーとして言われたことをただやるのが正解なのかどうかで迷う。あえてそういう演出ならばわかるがそうではないようだし、やりたくない·やれないけれど振付家の願望を叶えるためにやるべき、とは思いつつ口ごたえしてしまう自分ややれない自分、そしてなぜわからない?と振付家に腹が立つ。こういうことは皆あることですか?
その曲偶然よく聞いてはいたけれど、ゆーてこいつらも悪く言えば真似事なんだよな
真似事とは当人は思っていないが、他者がそう思うことで真似事になってしまう、押し付けられるという風潮もダンス界にはあると思う
新しいことってそもそも誰が決めるんだろう
痛いぞお前ら
皆さんどうしてダンスやってるんですかね
てかこの世界なにが面白いんだかわかんなくなってきた、皆言ってることちぐはぐ。
なにひとつ知らないことを知らされる時って途方も無い虚しさがある
無責任に近づいてきて、無責任に言葉を投げかてきて、無責任に期待してきて。そんな方法だから、みんな数打ちゃ当たるだろうみたいな感じになるのかな。みんな若手が仲良くエサもらうのを順番待ちしてる様にしか見えない。
大人3人、立て続けに「期待してる」の言葉を言われた時には、応援してる様に見えて自分のこと潰しにかかってるなって思う。
知らない方が、優しさになることもありますね。
それでも人は光を感じて、夢を見ていたいのかも知れません
よく劇場に見に来てくれる人が、入院したらしい。ので、今日はお見舞いに行って来た。
他愛もない話しかしなかったけど、すごく喜んでいた。今まで劇場でしか逢ったことがなかったので、彼が普通の会社員だったことを、そこで初めて知った。お客さんは私のことを知っているのに、私は彼のことを何ひとつ、知らなかった。
自分の細胞が、命を蝕む悪者に変わってしまうだなんて、身体は何て理不尽なんだろう。すっかり痩せ細ってしまった自分の腕を指して、ここに管が埋め込まれていて、そこから採血をしたり、点滴をしたりするんだよ、と教えてくれた。
真っ白く静かな空間で、窓に広がるビルやお寺を眺める。二人で、雲からこぼれる夕日を見たりして過ごした後で、何気なくベッドの側にある封筒を手にとった彼に目をうつすと、中にはぎっしりと色々な公演のチラシが詰まっていて
「外出許可を取って、昨日も劇場に行ったのね。けど、今年は2つしか観に行けてないの。いつもなら、20は観に行けるのにな。」と、さびしそうに呟いていた。
私はまだふわふわとした気持ちで、一歩一歩、さっきまでの彼との会話を反芻しながら、帰路についている。
そう思えたらいいですよね。でも結局、都合のいいように使われてるなって感じします。だから、自分のやりたいこととか聞かれても、あんま答えられないです。
自分のやりたいことをやりたいようにやっていればいいんじゃないかねえ、自分なんてとどのつまり、他人から見ての自分であると思うよ、何者でもないし、自分に何かできることがあるなんて思うのは少し不思議よね、何かできると思うなよ、と思う、いるだけでいいし、必要とされなかったら立たなくなるだろうし、はっきりしている