名前なし
2021/02/13 (土) 19:54:15
987b8@8d816
日陸4.7辛スギィ!西に虎豹東にヨシフとか辞めたくなりますよ~開発~。いい感じの課金車両もないから最悪や、至急前面114㎜側面514㎜、全備1919kg、口径81.0㎜の課金重戦車追加してくれや
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凍結されています。
前面114mmとか普通に抜かれそう…抜かれそうじゃない?
傾斜装甲なのかもしれない 側面の方が分厚くて笑っちゃうんすよね
現地改造でキャタピラを横向くんだよ90度!されてそう
Maiに体売って頼めば資料でっち上げてHo-mo Chinpo gun的な名前で実装してくれるゾ
Mai兄貴姉貴はロケットモデルズに転職してFist of War(ネイティブ)のネタ作りしてる方が適任だと思うゾ…お隣でネカマがバレてこっちに逃げてきた話すき
ヒジカタ技師(以下主任)を中心とする小規模開発チームにより設計が進められた試作戦車は、社内開発名称”弩型”(ドレッドノートにあやかったモノと思われる)と呼ばれていました。
既存の車両とは大きく違う形状をしており、最大の特長として「防御力を考慮した”74式戦車と似た形状”かつ”61式戦車のような大きさ”という形状をした曲面砲塔を装備する」同車両は当時としては日本はおろか、世界的に見ても非常に先見性のある戦車でした。
同砲塔は主任の好物であり、また形状考案の発端となった果物。そして搭載予定であった主砲が元駆逐艦の砲であった事から「イチジク艦砲」と渾名がメンバー内で付けられていたという記述もあります。
艦砲の採用は当初の予定にはなく、57mm砲(後に75mm砲へ変更)が予定されていました。しかし他の列強国で続々と投入される戦車の爆発的な性能向上を考慮し、「既に多数の使用実績を持っている」・「砲から弾薬まで全て製造ラインが構築されていて流用が効き補給に有利」・「120mmと威力不足に見舞われる事は決してないであろう火力」と言った多数の利点から決定されました。
また車体に関してもドイツより齎された対ソ戦の情報を活用しての傾斜装甲が多用されており、前面は163mm相当、側面は90mm相当(共に最大)を発揮し、その防御力の高さに反して俊足(整地最高速度53km/h)を発揮するという試算がなされていました。
他にも前面装甲の傾斜を変更し165mm相当にし、正面戦闘を中心とする事で側面装甲を75mm程度へ削減する事で、高速展開や陣地転換等を容易に達成出来るよう最高速度60km/hを目指した第二案も考案されていたという資料も存在しました。
当車両には開発スタート時から充実した支援を行うパトロンが存在しており、その小規模さからは想像もつかないような十分な研究がなされていました。同人物は不労者と言う記述のみで具体的な名称等は隠されており、財閥関係(または匹敵する財力や権力)の人間ではないか?という考察がなされています。またパトロンお抱えの汚れ仕事を好んで行う青年の存在も確認され、これらの要素から弱小チームながら製作中止の恐れもなく設計を伸び伸び続けられていた事が伺えます。
しかし1944年8月中頃、支援者を招いて行われた試運転の報告文を最後に情報は途切れる事となりました。原因としては同車両はその先進性ある設計が祟り、他の兵器と同等以上に開発が難航していただろう事は想像に難くなく、太平洋戦争終盤に行われた計画整理にて正式な中止の決定が通達されたのだろう思われます。
なお同車は前述の”不労者”の存在もあってか徹底的な痕跡消去がなされているようで、残存する資料の発見が他の日本軍兵器より極めて難しくなっています。(ウィヒ!ペディア風大嘘)