「死なせること」自体が目的化した果てにライブ感で中央とのまともな打ち合わせもなく唐突に大和を特攻させて沈めたりしだすから、ガダルカナル辺りの大日本帝國軍の頭のおかしさはまだほどほどに収まっていたと言って良い
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「死なせること」自体が目的化した果てにライブ感で中央とのまともな打ち合わせもなく唐突に大和を特攻させて沈めたりしだすから、ガダルカナル辺りの大日本帝國軍の頭のおかしさはまだほどほどに収まっていたと言って良い
死なせることが目的になったなんて話は聞いたことないなあ…どこの情報?
連合艦隊参謀長の「一億総特攻の魁となって頂きたい」ってのがあったそうな…(戦史叢書93巻大本営海軍部・聯合艦隊(7)戦争最終期274-275頁)
切腹の文化に近いよね。負け確定なら清く華々しく散りたいってのは兵隊レベルだと万歳突撃だし、当時の日本国レベルなら一億玉砕。今のロシアウクライナはそこまで絶望的だとは認識してないし、そういう文化もない。負傷して動けなくなったとこでドローンに見つかって自決ってのは流石によくあるみたいだけど。
伏龍とか震洋とか合理性なんて全く無くて正に頑張ってる感を出すために作り出された兵器だからな。生贄に捧げるかの如く、兵士の命が犠牲にならなければ許されない異常な空気だった。
戦闘詳報に「思いつきの作戦」「徒死せしむる」とか書くほど何の意味もない作戦。当時の日本軍内部ですら美化できず呆れられるほどなので、ちょっと格が違う
特攻にせよ何にせよ死ぬことじゃなくて敵を撃破することが目的だろうに。
玉砕とか命を捨てて~ってことを美化することでタヒへの拒否感を薄めるって意図はその辺の文言にあっただろうけど、その最終目的は結局のところ敵を撃破することによる時間稼ぎであり国体護持なんだから、特攻をタヒぬことを目的と言い切るのはなぁ… 大和は沈めなければならなかった、という言説はちょくちょく聞くが、どこまで本気だったのか今となっては確かめるすべも限られるのでなんとも。
当時の日本軍は例えば隊旗を無くしたら死んででも取り戻すのが当たり前で、実際そうなったら無理ゲーで人を死なせてた。ただの旗のために。戦車や飛行機があっても文化的にはそういう時代で、合理や効率とは別の何か大事なものがあった。現代とは価値観が全然違って理解しがたいけどね
軍旗のために全滅するっていう本末転倒な精神については全くの意味不明という訳でもなく、「こういう文化や歴史もあったんじゃないかな」ってのを考えようと思えばできるっちゃできるんだけど、精神的な面だったり、ろくに通信手段が無かった時代の現実的な面だったり、儒教的な文化や当時の日本人が陥ってた思想だったりが絡み合ってると思うから説明しようにも取っ散らかりそうなんだよな… 話を戻すと「死なせること」自体が目的化していたって主張には同意しかねるけど、当時の日本がライブ感で動いてたって部分については割とそんな気もする