見た目についてもここで良いのかな?
●機銃のシールド形状
角形と丸形の二種類が混在している。
大和昭和20年1月の集合写真
●高角砲の手摺
武蔵にのみあり、大和にはない(最初から?)
武蔵昭和18年6月の集合写真
大和昭和16年9月の写真
大和昭和20年1月の集合写真※上のと同じ
●艦尾空中線支柱
最期には撤去していた(ヤヌス図面集は起倒可能に描いていて撤去じゃなく畳んでる可能性もある)
大和昭和20年4月7日の写真
ホーネット報告書P75※印刷もので画質悪いオリジナル見つからず
●主砲塔上機銃の銃側弾薬箱
天蓋後部にいくつか置かれている。
大和昭和19年3月19日の写真
大和昭和20年4月7日の写真※上のと同じ
●司令塔窓
正面だけ作り忘れられてる。
写真はなし。水谷清高氏のスタイルブックに司令塔平面図の写図。操舵手用の視界取りなら真正面に無いわけがない。あとついでに第二艦橋下のくびれにあるペリスコープは無かったと思う。
●艦橋の外階段(武蔵)
武蔵は足場の作りが大和と別で階段が長い。※大和については上の写真参照
武蔵昭和17年9月の写真
●リノリウム歩行帯(武蔵)
武蔵の歩行帯はV字ではなく平行。※大和については上の写真参照
武蔵昭和17年6月頃の写真
【その他】
●二番主砲塔横の土嚢
4月7日のみ確認でき、3月19日・前日4月6日には確認できず。よって「4月7日その日の姿」に拘らなければ優先度は低い。
●単装機銃
4月7日の写真では土嚢の影で判別できず。3月19日の写真で左舷に2つの影を見つけられるがそれ以外の根拠は分からない。固定の囲いは無しっぽいので土嚢を積まなければ裸ということになる。
●三番主砲塔近くの機銃
3月19日の写真で影のようなものがいくつか見られるが分からない。これらが2016年5月の潜水調査で見つかった連装機銃という考察もあるみたい。
●錨鎖
写真から4月7日は格納しているのが分かる。武蔵の戦訓から予め捨錨に備えていた?補陀落渡海的な悲壮を感じるが知らなければ何で錨鎖無いのと違和感だけか、優先度低
●目印(塗装)
4月7日の写真で確認。恐らくマリアナより前から。被害位置推定用の肋材番号またはメートル刻みの等間隔目盛り(色関係はユーザースキンで再現可能なので優先度は低い)
まあ基本的には大和ミュージアムの1/10大和に近く修正が必要てほどじゃないと思う…けど自分が気づいてないだけなのかな。実質大和な武蔵は直すべき
大和ミュージアムの収蔵資料とかその辺もバグレポに使えるんだろうか・・・?
平賀譲デジタルアーカイブの資料が承認されていたので流石に使えるはず(てか大和ミュージアム以外に大和の写真を保存しているところなんてほとんどない)
そういうの見たうえで「これが正しい、お前らのは想像」を貫くのが🐌とモデレーターだぞ
大和ミュージアムの図面などはネット上にアップロード禁止と言うのが規則だったはずなので、バグレポに使うのはWT的にはセーフでも大和ミュージアム的にはアウトじゃないかなと思います。
だったら、リンクだけ張って「この資料の○○ページ...この写真のここが...」と説明すればモデレーターは確認してくれると思う
マジで装甲配置だけでも見直してくれればすげーいいんだけどね。少なくとも46センチ砲に耐える装甲が欲しいぜ!
舷側の装甲取り付け角度を修正したら大落角の弾でやられることはなくなるかもしれないけど、結局ほとんど抜かれてるのって防郭の切り欠きの350mm装甲帯でそこは史実通りだから装甲配置見直しても現状とあんまり変わらんくない?