名前なし
2026/06/08 (月) 22:34:33
18cbb@d0695
主任のページ、「オタクの投影を全力で拒まんとするプロフィールが設定されているあたり」と管理人さんは書かれましたが、私は少し違う風に考えました。
まず世の「オタク」はこのwikiの管理人さんが思うほどオタクではないと思います。
仮にそうであるならば、'koan'はもっと広まるべきだった。
または各種元ネタが広がっていた旧誤訳wikiも広まるべきだった。
しかし現実はそうならず結果的にクリエイターを攻撃する現象だけが発露した。
それは人の頽落、何となく情報を受け取り(曖昧さ)何となく広める(噂話)、そのあり方から生まれるとisakusanが考えたからこそ、アスオラではよりくっきりと実存主義を掲げたのかなと思うんです。
つまるところ、「主任」のプロフィールはオタクが見つめなおさなければいけない「日常性」に沈んでしまったオタクの実像そのものなんじゃないかと考えます。
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そうかもしれない。「現代のオタクっていうほど定義上のオタク[ディナミスワンが掲げるところのOTAKU]じゃなくない?」みたいな問いは立つと思います。
そのような論点を早期に掲げた人の一人
政界への接近試みる以前の東浩紀(『動物化するポストモダン』,2001)。
データベース消費
核心部分では
「提示された世界全体の受容」
⇨「任意の萌え属性に分解された消費」
みたいなトレンド移行論を受けて、思想史としてのポストモダンと結び付けた[ここがユニークな主張]文章。
海の向こうで後にキム・ヨンハが唱えるところの萌え論に近いフレームが提示されている。
SNSでよく唱えられている話
似たような話を度々並べているWiki評:
物語ってあんまり読まれてない。
この時点で考えていた「多数派であるとは考えていない」より、実数はさらに落ちると思う。
(2025年の修正)
人文科学方面の関心・嗜好を有する人の割合
および
二次元美少女コンテンツ圏のローカル事情
いずれにせよ、現在の私は「オタク」の内訳に対して「[なにかこう教条的な条件]である/あるべき!」とは思っていません。(物語に興味持つ人が増えてほしいとは思っています)
現代から見てどうなのか
⇨シナリオ志向vsキャラ志向がどちらか一方へ傾ききったオタク史って、現実には存在しなかった/今後も存在しない気がする。
旧誤訳Wiki
後発かつ治安の悪い形態を選んだWikiでしたから、規模感的にはあんなもんで相応な気もする。
(SNS経由での拡散を意識していなかった)
Wiki立ち上げの背景
koan周りの情報を拡散するために即時的インパクトを優先した
(まったく気付かれずに埋没する<文面上煽りまくってでも反応を引き出す と損得勘定した)
主任≠ユーザー仮説のロジック単純化
⇨先生=ユーザーなので姿は描かず、年齢・性別も定めません。
⇨主任≠ユーザーなので姿を描き、年齢・性別も定めます。
あえてかなり強い主張をしますと、私は「Dynamis Oneは、そもそも『オタク』という言葉の定義を更新したのではないか」と賭けてみたさがあります。
彼らが現在も「オタクの夢の実現」を掲げているのであれば、近年その総数を大幅に増えたと思われる、かつてとは異なる形で日常性へ頽落した新たな「オタク」の存在を無視しているとは考えづらいというのが一つ。
仮にDynamis Oneが従来どおり、対象への強い関心を持ち、自らの欲望や関心を主体的に引き受けている人々だけを「オタク」と考えているのであれば、そうした人々に何かを伝えるために、主任のような非常に具体的かつ斬新なプロフィールを設定する必然性が、私にはあまり感じられないのというのが一つ。
以前このWikiで挙げられていたように、ブルアカのボリューム層が平均的に主任に近い(成人付近の男性)プロフィールを持つ人々であることから、より真に迫ったアプローチをすべく敢えてここまで強力な具体性をもったキャラ付けをしたのではないかと思うのが一つ。
先生はかなり抽象的な存在だったため、キリスト的存在であるといった方向へ解釈が広がってしまいましたが、主任は逆に抽象性を捨てて具体化することで、プレイヤー自身の日常性を突きつける人物として設計されたのではないでしょうか。
かなり強い仮説ですので、流していただいて構いません。ただ、こうした読み方もあり得るのではないかと思っています。