ブログ本体の方に、なんどか書き込みをされていた「通行人」さんが、ここの掲示板にいらっしゃいました。
率直な感想として、通行人さんは、別に差別発言もしていないし、意図的なデマの拡散もしていないように思います。
なので、コメントが削除されまくりだったのは、少し不思議に思っていました。
幣原首相と、マッカーサーのエピソードのくだりが、真実なのかどうか、公正に言って、ただいま現在においては、私は判断するだけの情報を持っていません。
(勉強不足でお恥ずかしい限りです)
それも含めて、有識者の皆さんの活発な議論の場になれば良いかと思います。
どうぞ、よろしく。
北ウイングさん
>幣原首相と、マッカーサーのエピソードのくだりが、真実なのかどうか、公正に言って、ただいま現在においては、私は判断するだけの情報を持っていません。
通行人氏 というコメンターがブログから去ったかどうかは壱読者の立場からは定かではありませんが、
当時の幣原首相による憲法9条発案説に関しては、次の論文が参考になるかと思います。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/antitled/3/0/3_5/_pdf/-char/ja
結論から言うと、「幣原発案説」に対しては、戦前からの幣原を研究する外交史研究者らより、多くの疑義が出されておりまして、現時点で「学説」として有力であるかと問われると肯定はできません。
しかしながら「幣原発案説」は、「押し付け憲法説」への対抗論という観点から「政治的には重要」だと捉えられているようであり、東京新聞などが現在熱心に広めようとしている考え方だと言えそうです。
論文は次のような章だてになっています。
【論文
“平和主義者”幣原喜重郎の誕生
―憲法第九条「幣原発案説」の言説史
杉谷 直哉
はじめに
第一章 「幣原発案説」の「学説化」の形成と展開
第一節 「学説化」の前提としての証言・伝記の発表
第二節 「幣原発案説」の「学説化」の形成と展開-1960 年代~90 年代
第三節 「幣原発案説」の「学説化」の現在地-1990 年代~2020 年代
第二章 メディアにおける「幣原発案説」の展開
第一節 ノンフィクション作品の中の「幣原発案説」
第二節 『東京新聞』による「幣原発案説」キャンペーンの展開
おわりに】
北ウイングさん
※1の続き
これを読み終えた上で、他の知識と合わせた私論を述べますと、
【憲法9条の「幣原発案説」は「証拠」に乏しいが、この条文は日本にとっても「渡りに船」であった】、と言えると思います。
つまり
①当時、ソ連や中華民国(中国共産党ではないほうの中国)をはじめ、複数の戦勝国が昭和天皇の処罰を求めており、
またGHQの権力を裏付ける米国においても、その世論は、昭和天皇に対する処罰感情を抱いていた。
②しかしGHQと米国政府/ペンタゴン・国務省はいずれも、昭和天皇を処罰したり天皇制を廃止などすれば、
その「反動」で日本国内に共産主義が拡がったり、もしくは、最初は平和的な改革運動でも「過激化」しやすくなるであろうことを予測し、恐れた。
なぜなら当時の日本国民の多くにとり、天皇の存在感は大きく、価値観(若しくは価値観の形成)の中で大きな位置を占めており、精神的支柱でもあったことを、マッカーサーや米国本国の知日派は知悉していたため。
③そこで、GHQは他の戦勝国に「昭和天皇を訴追しないこと」を飲ませるため、また米国で天皇処罰を求める世論を鎮静化させるため、
「昭和天皇を訴追せず」と引き換えに
「天皇から一切の政治権力を剥奪すること」と「戦争放棄」の二つを憲法に明記させ、
それをもって
「もはや日本は、米国をはじめとする諸外国にとり危険な存在ではなくなった」、
「そして天皇による政治も、天皇の政治利用も、今後は何れも行われない」
ことの最も強力な説得事由として活用した。
この「二つはセット」で機能し、
日本から危険を取り除き、尚且つ
戦勝国を説得するためにも必須なものであった。
(しかしながら朝鮮戦争勃発を契機として、日本国憲法に縛られず、それよりも上位に位置したGHQの指令によって警察予備隊(→後の自衛隊)が設立され、その後ほぼ一貫して米国は、日本に対しその増強を要求してきたことからも、
米国本国の政府もGHQも共に、
「(米国に協力的な)日本の再武装」を当初から念頭に置いていたと考えられる。)
④「天皇から政治権力を剥奪すること」は、
到底日本の政治家側からは言い出せないようなアンタッチャブルで繊細な項目であったし、そもそもその発想すら元々なかったため、GHQから言い出してもらう必要があった。
⑤一方の「戦争放棄」については、当時の日本は戦争や軍隊の再建どころではなく、都市インフラ・産業インフラ・民生の再建こそが最優先であったため、
すんなりと受け入れることが出来た。
北ウイングさん
※2の続き
そして現在の日本にとっての憲法9条の存在意義とは、
①戦後の日本は常に憲法9条を「参照」しながら自衛隊を運用し、そのことを実直に行ってきたことをもって、諸外国(民)に対し「日本は名実ともに平和国家である」ことを説得力をもって説明できる。
②東西冷戦期はソ連という【強烈な軍事的脅威】と隣り合わせにいながら、米軍の駐留と憲法9条の効果で、「重武装」をせずにすみ、また「海外派兵」も避けることができ、
「経済活動」に専念できた。
旧ソ連という軍事的脅威は、現在は中国共産党の支配する中国・北朝鮮・ロシアという3つの軍事的脅威に置き替わっているが、憲法9条と米軍駐留の基本的な役割は変わらない。
ということが挙げられると思います。
但し今後の見通しとしては、
①マトモな外交というものが通じない国や地域もあることが誰の目にも明白になるなど、諸外国の情勢変化が激しさを増すにつれ、それに合わせるようにして「解釈改憲」は、今後ともどうしても避けられない
(それが許されないなら、文理の通りに憲法9条を解釈しなければならないなら、自衛隊の存続すら違憲になってしまう)。
②米国の覇権による世界秩序維持が今後見通せず、また、その相対的地位低下には歯止めがかからず、益々内向き国家に衰えて行くと見られることから、日本の自衛のための「解釈改憲」の必要性は今後とも生じ続け、提起され続けることが予想される。
③憲法の「条文改正」については政治的コストが高くつき、尚且つカケの要素が多分にあるため、おそらく安倍元首相でさえ本気でやる気ではなかっただろうと思われる。
以上のように考えます。