北ウイングさん。
※2
そのように考えて戴けて幸いです。
私が読んだのは、公立図書館に所蔵されていた旧版でしたが、最近刊行された新版の翻訳版(著者:シンシアリー、出版社:扶桑社)については、インターネットで冒頭部を試し読みできます。
https://booklive.jp/focus/author/a_id/115819
そこの「訳者前書き」もなかなか味わい深きものです。
一部を抜粋してみます。
「いまを生きている私たちは、無条件で植民地制度を『悪』扱いします。しかし、当時としては、それは世界の中に普通に存在する『価値』でした。
(中略)
私は彼のことを、彼が残した文面から『植民地制度を認めながらも、それは正しいのかというジレンマに悩む、博学で優しい人』だとイメージしています。
(中略)
ある国の統治がちゃんと行われているかどうかは、主観的な『正しいかどうか』で判断すべきではなく、客観的な『データ』でのみ判断できるというのです。『正しいかどうか』という主観的な観点では、その『正しい』が、ある意味『結論ありき』になってしまうおそれがあるからです。
『日本の統治で朝鮮が発展した』という話をしても、それが正しくないと思う人たちは、重箱の隅をつつくように、『でも、それは日本が自国のためにやっただけだから❲正しくない❳よね』と言うばかりです。結局、永遠に結論は出ません。
アレン・アイルランドは列強側の人間でしたが、決して属国とされた国々を見下していたわけではありません。彼は本書で、朝鮮の人たちを(中略)『朝鮮王朝が悪かっただけで、決して無能な人たちではない』などと何度もフォローしています。
(中略)
日韓関係においての韓国側の主張は、まさに私が危ぶむ『正しいかどうかを決めるのは私たち(朝鮮側の人たち)であり、日本ではない』というものです。(註:この考え方は、まるでNetrightHunterそのものですよね)
いわゆる『道徳的優位』です。戦後処理のための条件などにより、自分たち(朝鮮側)の『正しい』が上にあるべきだというのです。そして、日本はそれに従うのが人としての道理である、と。
儒教思想(註:朱子学)が強いだけあり、その『道徳的(すなわち、正しいかどうかでの)上下関係』の決めつけは頑固で、また執拗です。(註:これもまた、NetrightHunterそのものですね)
(中略)
韓国の無分別な『宗教的な領域』になってしまった反日思想(註:旧統一教会の日本における活動内容など、反日思想の塊であるとも言えます)への反論としてはもちろんですが、それ以外にも、いまの私たちは本書から『現在と通じ合う』ものをいろいろと見いだせるかもしれません。」