かとかの記憶

富野由悠季 周回 / 111

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katka_yg 2025/04/10 (木) 08:53:25 修正

コンラッド・ヘイヤーガン

『アベニールをさがして』2巻10 ヘイヤーガンのところだが、わたしは前回、3か月は前に言っていてその後順序通りに読んできた結果、折も折というか今頃になった。ここまでの情報をまとめる。シャアやシャリア・ブルや、カガチ等とどう違うとか、小説執筆順でどこが新しい等、いえるだろう。文中でこれまで語られること(各人の憶測含む)。

一般的理解

サージェイやネフポ側からの憶見

  • 地球上で人類が存続するためには、大衆はコントロールしなければならないと唱えている。そのための力の行使は必要だ。愚民観。
  • ヘイヤーガンは自分を頂点にした帝国を作ろうとしている。
  • 十全にコントロールできる規模にまで現在の地球人口は整理されなければならない。ヘイヤーガンは不要人口の大量虐殺を目論んでいる。
  • ヘイヤーガン思想実践のためにインスパイアー・エンジンを武器にする。宇宙帝国を築き、それ以外の人類は強力なテンダーギアと宇宙戦艦で殲滅するつもりだ。
  • インティパ効果は人間の精神を教化するために使える。無害で欲のない理想的な人間として、人間を退化させる意図が疑われる。
  • スターバスター・プロジェクトの黒幕にひそむネオ・フリーメーソンはインスパイアー・エンジン開発推進のための代行者、または囮としてヘイヤーガンを黙認している。各国からの莫大な拠出金(税金)を流用しており、その批難が向いた場合ヘイヤーガンはスケープゴートになる。ネフポ士官(大佐)としては表向き、除籍済み。

より正確な情報

  • ヘイヤーガン大佐は著作家。著書は地球でも翻訳されている。自然環境を保全しつつ人類が生きていくための方策を問うテーマは一見過激だが、考え方の根本に「優しさ」を置きつつ実行可能な方法を説く。発言には責任感と良心があり、十分に人を納得させる文章表現力がある。
  • ヘイヤーガンの求める人間の態度は、地球で過去幾億年を経た自然の摂理に対して、現在、EMOの有無にかかわらず謙虚であること。環境汚染の元凶である過剰な人口は適正値に収めなければならない。
  • 大量殺戮は考えていない。インティパ効果は可能性のうちに示唆している。人間の尊厳を保ちながら人口縮小を慈悲深く行うすべの模索途上で苦悩する。
  • 宇宙生活者の宗教についても著書の中で思索している。(2巻12以降)

人となり・容貌

  • 厳正だが部下に対しては基本優しい。
  • 異相。独特な髪型をしている。頭髪から眉間にまで毛が生えこんでいて額に逆三角形(M字?)を描いてみえる。禿げてはない。イラストではヘルメット姿で平服でどんな容姿かはよくわからない。
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    katka_yg 2025/04/10 (木) 09:57:42 修正 >> 111

    顛末

    上のような人となりを述べた後、作中に初登場するなりテンダーギアのメッケードで突進してきてアラフマーンを圧倒し、猛威(と暴言)を振るうヘイヤーガンは、上の人物像ともちぐはぐで、精神感応で憎悪・侮蔑を吐き散らす独善的なありさまに笛吹・オノレも呆気にとられる。

    狂暴に襲いかかってきながら自分本位な理屈を語り〈同盟者になれ〉と一方的に呼びかけてくる描写は、富野作品のずっと昔の小説版『機動戦士ガンダム』中、ブラウ・ブロのシャリア・ブルを思い出させる。これは通読していれば必ず連想すると思う。
    シャリア・ブルがサイコミュによる相手方(アムロ)へのダメージを理解していなかったように、ヘイヤーガンはメッケード(攻撃型のプロトタイプ)を対話の発信機にして扱いかねているような文章の節でもあるが…。

    富野通読上の諸点

    軍事力による大衆管理

    上記のヘイヤーガンの唱えるところ、「力による大衆コントロールは必要」というのは、本作中では日本のサージェイも同じ、主人公の側の笛吹がその最先鋒でもある。サージェイ政権はまた官僚的になりきってしまい軍国の実質をなくしているので自分一人だけでも軍人になってやるとも思っている右翼だった。

    軍事力による管理の正当さを保証するのは軍人の心根の高貴さと折々にいわれる。不良軍人の笛吹でさえノーブルを口にする。人間が本当に高貴たりえるか、何をもって高貴とするか、どうすれば高貴になるか等は続けて悩ましい。

    贖罪観

    過去作品では、シャアはすでに「地球への贖罪」を言ったが、逆シャアの時点で贖罪云々はむしろ唐突に言い始められたようで、「地球に対して贖罪しなければならんのだ」といって、具体的にどうしろ、人類には地球を退去して核の冬にすることがどうして贖罪なのか、などは曖昧だった。
    このたび小説通読では、『Vガンダム』2巻に「人間は自然に対して謙虚であるべき」考案は詳しい。そこでは、さらに続いて「人類は地球への贖罪もやめなければならない」とも進んでいた。人の罪深さを口にしながら結局同じことをしているか、それを隠れ蓑になお業深いのは、中世のキリスト教会もそうだし、贖罪観念自体は地球連邦も当初から言っている。

    ここまではカガチとも共通で、Vガンダムのその章ではオリファーが論じていた。罪深さ・後ろめたさで生きてもいけないならどうしたらいいの、死ねというの…?とウッソは暗澹と思うが、オリファーはじめ当時の宇宙青年達がするディスカッションの共通話題ではあってもその場の結論は絶対に出ない。「ニュータイプなら今後うまく考えてくれる」というのは願望だ。

    (追記)贖罪観についての追究の続きはこの後『王の心』七話に見られるようだ。ここで終わってはない。

    殺戮者の態度

    アーマゲドン史観・人間観のような思案をあえて蒸し返してみて、人類粛清に赴くヘイヤーガンの態度はどんなものかを考えると、ヘイヤーガンはもともと大量殺戮は望んでいない。それに悲しみ、悩みながらなんとか慈悲深く優しく収めようと苦悶しているのはカロッゾともカガチとも異なる。
    カロッゾは良心の呵責を回避するために万策を講じているし、カガチは全人生を賭けたブラックユーモアの発露としてそれを考える……生涯を費してやりたいことなら、誰も思いつかない悪魔的アイデアこそやってみるに足る。機械的な処理方法や愉悦的満足を求めず殺戮に対して正面から苦しんでいるのは、わたしはハサウェイより、人を殺して最後に泣き崩れるケネス・スレッグの連想をする。といっても、コンラッド大佐とケネス大佐を連想する人はあんまりいないだろう、ここだけ。

    あまりにも理解されないので『レッド・インディアンの恨みか!?』とまで勘ぐられたりするが、それはヘイヤーガン本人にはもっとも不本意なところのようだ。
    ヘイヤーガンのネイティブ・アメリカンの出自はここまで全く言われていないので、笛吹が知っているのは前段までの劇の外でネフポのスタッフから訊いたか、インティパ効果の感応中でヘイヤーガンの心から読み取ったということなのかもしれない。

    ユーモア

    思想家としてのヘイヤーガンの責任感と良心は疑うことでないらしい。理想的な発信者としてはもう一点、ユーモアの有無は問いたいところで、ヘイヤーガンには申し分なく真理を語れてもユーモア欠乏ではないかの感はある。
    理論面ではシャアよりヘイヤーガンの方が進んでいるはず。一方、シャアは発言ごと・振る舞いごとに人をニヤリとさせるユーモリストでもあり、その点でみればヘイヤーガンは及ばない。髪型は欠点ではない。

    最近のもの思いでは、クンパ・ルシータ大佐は思想家であり、責任的立場からは行方をくらましてしまったが、悪意となかなかのユーモアセンスの持ち主でもある