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Wars of Vis

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シリーズ: Wars of Vis (Tanith Lee, 1976-88)について。

シリーズ

  • The Storm Lord (1976)
  • Anackire (1983)
  • The White Serpent (1988)
katka_yg
作成: 2025/06/17 (火) 23:12:48
最終更新: 2026/07/15 (水) 03:11:08
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レムの同性愛嗜好は幼児期の母親との関係に由来するもので、それが解消すると異性を愛する事自体は生理的にできるみたいだな。「おまえ平気なんか」とそれも余計な心配が挟んでしまった。

こういうことの考え方……身体のつくりが違うので習慣の「矯正」や「適応」では語れないんですよのような風潮が上がってくるのも、その時代があってのことで、1980年代にはどうだったか。知識として知られてはいても発言できたか、のようなことも歴史的事情で今わたしはわからない。わたしは、2025年に読むと上のような感想が一瞬挟む。

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心理的要因とその生理は安易に切り分けることはできまい。すべての場合に同じようには言えまい、この小説の中では何かおかしかったわけではないが、「今の風潮ならこう書くかな?」と思った、という方がいいか。

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katka_yg 2025/12/22 (月) 08:31:37 修正 >> 92

「同性愛者が異性愛に行き着いて解決する」というストーリーの型が現代の出版事情で商業的に受け入れられるか、という意味。

それよりは、「ヒーローとヒロイン」と書いてあったじゃないか。苦難や試練を経てそこに行き着いたんだからヒロイック・ファンタジーの型通りでいいんだよ。

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The White Serpent 読みはじめ。1-1 The Snow まで。

リー通読が間を開けすぎたせいか、文章に気持ちが集中せず、たえず上の空で15ページほどを読むのに1週間ほども開いたり閉じたりしていた。でも、前回も前々回も同じことをずっと言っていないか……。エンジンがかかるというか、同期が合うまでにわたしの時間がかかる。章の内容は、わたしは好き。

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Cah had created the world. Those who said otherwise were naturally in error. Theology was not worth discussing, it simply was.

こういう言い方はファンタジー作品ではたびたびある。このまえ『リーンの翼』(1985頃)にあって(「理由はない」)日本人作家には意外な気がしたけど、富野由悠季はイデオン等の頃からわりとその話はする人なのかもしれない。ただ、日本人の場合はそれが主題になってしまうので、やはりぎこちない、という違いがあるのかな。

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神学の話はいずれにしてもしてない。神話研究とか、伝承の物語の研究を背景に話を考えている作家間のような、その親和性を感じていた。そのほかの作風などは全然ちがう。

勿論ここはCahの神話を語る自体が余談だが、リーの場合「信仰」が一挙にメインテーマに躍り出てくるのと、Visシリーズはとくにそれだし、わたしはまず思い出す。

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この三部では蛇女神(Anackire)の信仰はやや過去のものか、この土地Iscahではそれほど優勢ではない雰囲気なのかな。Yennefは台詞の中でAnack,と口走っていたようだったか。今、数ページだけ読む。

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かとかの記憶
katka_yg 2026/05/16 (土) 19:13:27 修正

In this trance, Tibo had gone about her household duties as ever, worked and slaved, eaten her meager share, slept her curtailed sleep. In the trance she had not wept or complained, had not torn out her hair or rent her cheeks with her nails, had not fallen down screaming. No, She had only waited, with the promise of Orbin's slaughter in front of her.
――The White Serpent

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Book One: Iscah

じつに45ページが読み進まないほど、気持ちが上がらないぶん本文の外のことをあれこれと長く考えるのだが、1988年までのリーの作品の中でもこの章のような話の型は、もう何十回かくり返したのではないだろうか……。属性に分解したら目新しい要素はない気がする。それで、この話は以前にあったろうか。

ラルドナーなり、ヴァズカーなりのエピソードは、息子目線だった。今ばくぜんとそれくらい。

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katka_yg (@ygasea.bsky.social)
ベン・ハーをみる
Bluesky Social

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katka_yg (@ygasea.bsky.social)
ミクロス・ローザ「協奏交響曲 作品29」「ヴィオラ協奏曲 作品37」 を聴く。このCDは、ニュージーランド交響楽団。手作業中BGMとして、ヘッドフォン 大好き わたしは昨夜「ベン・ハー」を通し観していた続きだが、映画音楽のOSTを聴きたいわけではそんなになく、なんかそれではないもの……のような漠然とした欲だったけどこれ、こういうのだよ。このところ「協奏曲」という気分でもあったし。現代人日本人作曲家のテーマもすぐに尽きてしまい、三枝成彰や吉松隆は聴き続けていてもちょっと甘すぎるしね [contains quote post or other embedded content]
Bluesky Social

これは今とくに物語のような連想はしてない。

単純に、ソロがしゃかりきに弾いてオーケストラがドン!と鳴る、という「サウンド」で音楽に耽りたいものは、気持ちにはあるけど、あまりにクラシックすぎる(誰でも知っている)と好き嫌い以前に気持ちに障壁が立つ。どういう作家がいて作品があるのかは、詳しい誰かに教わればいいようなものだが、わたしは手探り。

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4まで。チャリオットおわり。Rornの伝説のところからすると前作から百年は経っているということだったか。わたしが燻っていただけで、ストーリーはまだ始まったばかりだ。

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5まで。

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6まで。

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hiddraxは草食。

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katka_yg 2026/06/06 (土) 18:28:18 修正 >> 106

いま9。上の、hiddraxって読み返すと第一部ではどんな動物かはわからないが名前だけ出ていて、その文脈から猛獣か怪獣の一種のようなメモをしていた。現在三部の読み始め、逆にこの世界の一般的な車輌の輓獣のことを忘れていたが、それはzeeba。

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zeebaは騎乗用だったかな。the thoroubredとあるのはzeebaのことだろう、と。

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That which the Vis call Chance, and we, Anackire, tends always to a balance where allowed.

今ちょっと前の箇所に戻って、Aztiraの手紙から。AnackireとChanceのことはこれまでにあったっけ? そしてやはり、ダンセイニの連想をする。

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第二部に登場する坊さんなら言いそうな教義だと思ったが、今わからなかった。

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katka_yg 2026/06/08 (月) 23:10:10 修正 >> 109

英国人のファンタジー作家について「ダンセイニの影響がみられる」といってもそれは当り前レベルで何も言っていないのに等しいので、「多作家で普段そうは言っていないのに、ここは珍しく明示的に言及しているように見受ける。その目で見返せばそこここに暗示らしきものがある」……のような言い方したい。その言い方は、ハイコスト。

それも、本当あるのかないのか、はっきり言い切れないことで、チャンスかフェイトか、のような簡単に決着つかない論議を持ち上げるのがいい。

「チャンスかフェイトか」というのは初期のペガーナ作品の冒頭のスローガンだけど、今だったらもっと後年、1930年代か40年代の話を主にしたいよね。後期のは、中野先生とかの訳で比較的最近になって日本では流布するようになってきた経緯だと思うから、日本語で言えたら、まだ新しい話のはずだ。

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今日、『神林長平トリビュート』を読み返そうと思い、その序文まで読んでいた。「自問自答が小説になっている」とのところ。

書き手に何らかの自問、迷い、葛藤がなければ小説にならないはずだ。それはスペキュレイティブ・フィクションにかぎらず、たとえば……主人公よりも物語上悪いやつの方が言ってることは正しいのかもしれん、戦いに負けて死ぬ方が相応しい話なのかもしれない(でも生きたい)とか、……この恋は禁忌で結ばれることはない、求めてはいけないのだろう、その先は破滅しかない(でも好き)とか。そういう動機のことをチャンスと呼ぶとしたら、リーはそういう解釈は好きそうだ。

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結末は最後までわからない。決着ついたと思っても、終章の末文まで、最後にひるがえるかもしれない。ダンセイニについてリー作品の印象から言ったのは、前回はリフレーミング手法について。

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katka_yg 2026/06/16 (火) 12:57:25 修正

10まで。Book Two おわり。

災害より核戦争のようなイメージで途中読んでいた。なにか連想していたのは、近い年では最近久美沙織を読んでいたので、『精霊ルビス伝説』(1990)かな。でもこれはタニス・リーなので、陰惨な光景の中に妙なブラックユーモアがまじるのと、勢いづいてくると韻文めく。

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11と12の半ばまで。とても楽しい。

夜、遊歩道を歩きながら片手にリーダーもって読み歩く。このフォームがいちばん合っているらしい。部屋にいてリーを読んでいると周りのものが非常に気が散る。他の何の作業とも気持ちが干渉する、との感じはずっとあって参っていたが歩くリズムにはぴったりだ。でもこの習慣になるとは思わない。

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12まで。Panduvのストーリーがめきめき面白くなっていく。何これ。

このシリーズは人物等の呼び名が作中、行く先々の地方ごとの訛りで変わっていく趣向があるが、Panduvについてはもともと誰も正確に発音いないような奇妙さがある。Panoov、と呼ばれたときが良い線だったのだったか。元はなんだっけ。

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Palmv.

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かとかの記憶
katka_yg 2026/06/21 (日) 17:42:37

In the new silence, Panduv felt her own exhaustion. She was wrung out. She had made confession and she was purged, she was empty. She could have wept at last, but she scorned tears, the Zakorian. Fire not water.
――The White Serpent

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13まで。Book Threeおわり。一言では言い表しがたいストーリーだ……「幸福」とか「自由」とかでは。読者感情もきっと様々だろうけど、言いたいのは、これはぜひ読まれるべき。きっと現代に流行らないとしても。

その観念的なテーマでないところで、この章の超自然的な火の魔法のシーンは、リーの作品中で何度もくり返し登場する。印象的なのは「冬物語」の冒頭のオアイーヴの点火の儀式の様子を思い出すだろう。シチュエーションとしては、わたしは『炎の聖少女』(ヴェヌス3)を想起していた。お気に入りらしいからまだ先にあるに違いない。

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14。
急にコミカルになってきて読みながら途中から笑いだしてしまった。そこからまた一転して章の終わりまで、本当に凄くて参る。タニス・リーの真骨頂という気持ちだな。でも、まだ65%

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「more lovely than life」は「命(or人生)そのものより愛らしい」では、日本語ではぎこちない。訳すなら「命をかぎりに」…輝いていた、とか比較級にはこだわらないべきだろう。命短し、今を恋せよのような含み。

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katka_yg 2026/06/28 (日) 14:04:44 修正

15まで。Chacorがコメディの人物になりつつある一方、Rehgerのイケメンぶりがシリーズで随一かのよう。男同士の会話だけど、なんかタニス・リーの造形する美青年の理想像じゃないの……タオンのハヴォルのような。女性に優しい。

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凄惨な場面はすでに経ているけど、Visシリーズではこの第三部は心理的にギスギスしていないというか、平穏さがある。この章だけだったかな。

あと、ChacorにはTarlaというもう一人、女の縁があったと思うけど、それは……まあ後にしておこう。

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前作のRemは、母親に虐待されていた女性トラウマがあるせいで女性に優しい。基本的に女性に厳しい世界でも、女性を虐待しないのは、ゲイだから。初代のRaldnorは女性に優しくない。暴力的に少女を犯して結果的に殺してしまったせいで、その面影を引きずるようになった。

そういえば、Astarisが何者だったかは結局、不明だったのか。Amanackireではないのにテレパス的なものを持っていた……だっけ。

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アスタリスは人種や遺伝的にではなく、全く突然変異的に、個人の特性として自閉的な性格と、テレパスくらいはとくに説明なく感受できた。作品世界の設定を若干無視して傍若無人な個性体。

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16。

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katka_yg 2026/07/10 (金) 10:35:52 修正

遊び

"Why do the children play games?" said Kuzarl. "Isn't it unkind and unbecoming to prevent them, even when they bruise their limbs or sometimes hurt their companions. Children must play. And why should we think so?"

この台詞はわたしはすぐに梁塵秘抄の「遊びをせんとや生まれけむ」を思い出したが、ここはすさまじく暴力的なシーンのあと。その歌は子供の遊ぶ声を聴きながらのおそらく女性の感慨だが、ここは戦士同士の男の格闘。

でもこれを前回に言及していたのも第一部の頃に大河ドラマ「平清盛」組曲の連想ゲームで、源平頃の武者達の闘争もその頃の人々の心性の中では「子供の遊び」と見るような、当時の宿命観はあったのではないか、という想像。この連想は思い出してもよかった。吉松隆はもうすっかり忘れていた。

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katka_yg 2026/07/10 (金) 13:26:42 修正 >> 127

berserker

  • 連想つづき 1 / 2
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The hard common sense of savagery

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19まで、Book Fiveおわり。

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20。

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Rehgerが彼女に"Goddess"というときシリーズの過去作の主人公らを通り越して昔のDarakのイメージがある。

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21。

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読了。今回はわたしの気合が入ったのがほとんど最終章だったがストーリー自体にはずっと耽溺していた。このシリーズはよかった。

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