短歌の作業ログ。SNSでざっと言ってみて経緯はここに保管すればよい。
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あんまり良い出来でもない。古うぐいす。
古めじろ。野鳥との距離の近さは楽しいものですが、一方で当たり前になっている野生保護観念……あまり人馴れしすぎることも鳥や動物たちにとってよくないことではないか、心に兆し、それ以上接近しない、直視し続けまいと踏みとどまるのも、躊躇う一瞬のことです。
こちらの方がいい。古メジロの印象は一週間くらい保留してあったが上ののきっかけで簡潔に済んだので、一緒にしておく。
こう、二首一対で一人応答歌のようにつくるのがここしばらくトレンドのようで、そんなルールだったわけでもないが、とにかく二首つくるとその日は満足するらしい
というか、歌というのは必ずしも通常の文法や叙法で書かなくてもよい。それではなくて、『思わなくとも』という古文現代文が混じってるようなとりとめのなさのこと。
現代語で短歌……というか、和歌(やまとうた)を造ろうとすると、ことに漢語(漢字)とカタカナ語がネックになる。というか漢字は日本で1600年は使ってるのだが、そんな、「外来語を使うな」という話ではなくて、活用が少ない=「~す」(サ変)に限られるのが、韻を踏む(ライム)のが現在興味のわたしの中では邪魔になると思っていた。
これくらいなら、わたしは漢字使っていい。これだと、漢語を枕詞的に使うということだな……。韻文は和語部分に詰め込む。
カタカナ語は単純に、和語より字数を多く消費するから。活用がないのは同じだが、英語の読みをカタカナには幾らでも崩したり伸ばしたりできるものをあえて三十一文字でやろうと思わない。やろうと思ったことがないだけで……実際どんなものかな。
べつに「松の木」ではない。あえていえば遊歩道の桜だった。
くろ - ろく - むくろ
黒→白
韻よりも叙法による幻想性……に、なっているかな。「自分自身が見えている」という体験は非現実だ。
この「うつる」は、映る・移る(雲が)と、水たまりが蒸発するの含みが念頭にあるが、三つは載っていないか…。
退屈さがよく出ている。
練習曲を作ったと思えばいい。
ツイッターで作成の経緯
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三一文字にはだいぶ重い意味の文章を書いているので、和歌として良いかというと、「を」のあたりは言い含めが強すぎて、わたしは自分で読んでも良いとは思わないな……ただ、数分間の早い思案のうちに出てくる表現を優先しているところ
それほど深刻でなさ
「ゆけば」かな。保管庫は「ゆけば」にしておこう。
作業経緯 1 / 2 / 3
経過 1 / 2 / 3 / 4
「待つ」が被っていたか。自然に気づかなかったけど、「待ち遠しい」という含みのくり返しかもしれない。べつにアオマツムシのシーズンを待ちわびているわけではない。今夜これだけにしよう。
ひらがなで「こたえ」でもいいけど……。待つは二回くり返す。わたしが、耳を傾けて待っているのと、虫どうしが応答を待ち合っているのニ回。
これは、去年のアオマツムシ歌、再掲。9月にもなるとこんなダレた感慨になる。
鳴き音の止む間は推敲している/たがいの様子を窺っている。ちなみに両方、オスである。
経過 1 / 2 / 3 / 4 / 5
『単発で、とくに理由のない行動(現象)には、次にくり返しを待つまでもなくその意味を読むすべがある』、という連想
次の夜にはもうアオマツムシが切れ目なしに鳴き続けているから、カネタタキだけをじっと聴いていた夜は実質、年に二晩。
経過 1 / 2
八月が夏なことに驚きが要るのか?
経過 1 / 2 / 3