七章「記憶」より。ナディアが失踪して一年後、シオと、中学卒業間近のセシリーはゆっくり話し合う時間をもつ。少女のセシリーは母の振る舞いの裏をあれこれ想像できる齢になっていたが、シオはナディアの人格に立ち入ることには節度を保ちながら、セシリーにわかるように大人の男女関係の一端を話してくれる。シオ自身の偽らない気持ちでもある。
男女関係はロマンチックな恋愛、だけではなく、打算や慰め合いで一緒になることも多々ある。それでも、夫婦生活の長年の経過や別離に耐えて「愛というものは、育てるものだ」と教えてくれた、母さんを愛している、と躊躇わずに話してくれた。衒いや嘘でなくそういう話をしてくれることがセシリーには嬉しかったし、
やはりこの人には文学的な才能があるから、こういう風に表現できるのだろう、とセシリーは思った。
シオは小説家のキャリアで、手短に言い表すのがむずかしいことや、子供には想像するしかないことも、伝えたいことを正確に言葉にする訓練をしているからこんなふうに話せるんだ……と、思う中学生セシリーはそれはまた年不相応なのかな、むしろ年相応なのか。「中学生らしい達見」とか「大人ぶった意見」が彼女の口から続けて出てくる。シオは苦笑しながらも、言葉の言いつくろいでその場でごまかすことはしない。一つ一つに答えていく。この章はこのF91上下巻でもとくに良いところで、モビルスーツや政治陰謀はないが、著者も相当に集中力を傾けて書いているだろう、対話篇になっている。
こういうのは丁々発止、とはいわないが充実した父娘の会話だっただろう。脆くて、どっちにでも壊れそうな時期のセシリーの気持ちをシオは父親として注意深く守ってくれたのはたしか。その時間のあとで、シオは一人になり、「言葉を弄んでみせたこと」にやはり淡く苦い思いを残している。シオの文学面の#2
伝えたい言葉を選ぶのさえ、少年少女にはむずかしくて目もくらむように思えることがある、大人になっても簡単にできることではないかもしれない。なんでも叫べばいいわけじゃないのはわかってる。ナディア譲りのセシリーの特質は、聞き上手